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  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2607号
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 2012(平成24)年5月12日(土)



  「政権は9月まで保たない」亀井節が炸裂:古澤 襄

  日本軍は売春宿を経営せず:渡部亮次郎

  小渕元首相の十三回忌:岩見隆夫

    話 の 福 袋
                   反     響
                   身 辺 雑 記


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第2607号
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「政権は9月まで保たない」亀井節が炸裂
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     古沢 襄

しばらく鳴りをひそめていた亀井静香氏が「野田政権は9月まで保(も)たない」と吠えた。外野で小沢一郎氏の応援団長。混迷する政局について「小沢さんと石原さんが組むかどうかは分からんな。でも幕末の薩摩と長州は殺し合いをやった末に手を握ったでしょ」と見立てた。当たるも八卦、当たらぬのも八卦。

<小沢一郎民主党元代表は絶対に消費税増税反対の旗を降ろさないよ。降ろしたら政治生命はおしまいだ。増税を進めようとする野田佳彦首相は退陣に追い込まれる。間違いなく…。

自民党は消費税増税の度に選挙で負けてきたんだぞ。だから3月29日に首相と2時間半話した時も「自民党があんたたちに協力するなんてあるはずねぇぞ」と言ってやったんだ。

自民党にとっては、増税に賛成して話し合い解散に持っていくより、内閣不信任案を出して正面から解散に追い込んだ方が得策なんだよ。

公明党も賛成しない。絶対に消費税増税関連法案は成立できないし、継続審議にもできない。内閣支持率が20%台に落ち込んだ以上は首相に衆院解散を打つ力もない。どう考えたって政権は9月の民主党代表選まで保たないだろ。

退陣したら民主党内で首相選びが始まる。そこで今の主流派が「小沢首相でいい」というならば別だが、そうはならない。「小沢首相だったら自民党の谷垣禎一総裁の方がましだ」となる可能性だってある。そこで民主党は分裂するだろうな。そして民主党主流派と谷垣自民党が連立だか何だか知らんが、選挙管理内閣を作るわけだ。

でもそんな内閣は次の衆院選で惨敗よ。そのとき小沢さんは、民主・自民の談合した連中の対極にあるわけだ。どういう立場になるか、分かるだろう?

            × × ×

なぜ民主党がこんな惨憺(さんたん)たる状況になったのか。自民党型政治を変えるという歴史的使命を忘れてしまったからじゃないのか。

小泉純一郎政権以降、市場原理至上主義の「強者の流れ」が席巻した。でも反作用は必ず起きる。平成21年に民主党は、国民新党だけでなく社民党とも手を結んで政権を奪取した。つまり強者に対する「弱者の反撃」だったわけだ。

ところが鳩山由紀夫首相は官僚排除を掲げながら財務省に屈しちゃった。
一般会計と特別会計を一体にする目玉政策もやらず、自民党時代と同じそろばん勘定で予算を作れば、民主党のマニフェスト(政権公約)通りにはなり得ないだろ。

鳩山さんは米軍普天間飛行場移設問題もあって自滅し、次の菅直人首相は消費税増税を口走って参院選に負け、レームダックになった。野田首相も国民への約束を果たそうとせず、公約していない消費税増税やTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)をやろうなんておかしな話だよ。

            × × ×

民主党が歴史の役割を全うできなかった以上、新たな勢力に政権を交代せざるを得ない。

旗手は誰か。永田町の既成政党は無理さ。国民に信用されてないんだか
ら。

中央が真空状態になっている中、橋下徹大阪市長、大村秀章愛知県知事、河村たかし名古屋市長、さらに石原慎太郎東京都知事と地方でうねりが起きている。

彼らも一人では何もできないから、こうした新しい力を合流させて新しい日本を作るしかない。江戸幕府がダメになった後の明治維新と同じだ。

石原さんは必ず国政に復帰すると思うよ。俺に「死ぬ気でやる」と言ってきたんだからな。やらなかったら「命が惜しかったのか」となっちゃうだろ。

石原さんは「既成の政治家に担がれても新しい波を起こせない」とも思っている。これは正しい。幕末の奇兵隊のようなものを考えているかもしれない。個々の政治家もその一員になればいい話だ。

小沢さんも無罪判決が出て「ああよかった」だけでは済まされない。日本のために行動を起こし、結果を出す責任がある。

ただ、小沢さんと石原さんが組むかどうかは分からんな。でも幕末の薩摩と長州は殺し合いをやった末に手を握ったでしょ。

俺は国民新党を出て清々している。今はただの傘張り浪人だけど、お堀の深さはすでに測り終えたからな。なぜって? 城攻めに向けてに決まってるだろ。(産経)

2012.05.12 Saturday name : kajikablog



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日本軍は売春宿を経営せず
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    渡部 亮次郎

だから戦時中、陸軍を追いかけさせられた女郎は沢山いたし、韓国(当時は日本人国籍)女郎もいたが、軍が女郎をかき集めたり女郎屋を経営したりしたことは無かった。当時を知る人たちはだから「従軍慰安婦」とはなんぞや、と聞いてくる。

女性問題で総理の椅子を喪った宇野宗佑(うの そうすけ)という政治家は、それなりにさばけた政治家。今どき、あれほどの政治家はなかなか育つまい。

私がNHKで自民党の実力者河野一郎(こうの いちろう)を担当した時、宇野は河野の秘書から代議士に当選したばかりだったが、既に政治歴はすでに滋賀県会議員を2期務めた経歴があり、河野の信頼は抜群だった。

両国にとって永年の懸案だった日韓基本条約締結の陰の功績者は宇野である。

「ウィキペディア」によれば

<宇野は1929(昭和4)年に吉身尋常小学校に入学。このころから成績がよかった。絵もうまく『少年倶楽部』に漫画を送ってよく当選し、このころに乗馬も覚えた。

1935(昭和10)年に滋賀県立八幡商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)に入学。中等学校時代は映画に夢中になり、剣道を始めるようになった 。1940(昭和15)年に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)に入学し、2年生のときに全国高商剣道大会で初の全国優勝に導いた。

宇野は外交官を目指して、1943(昭和18)年10月に旧制神戸商業大学(現神戸大学)に進学。しかし2か月後の 1943(昭和18)年2月1日に学徒出陣により敦賀連隊に配属された。

満州の新京経理学校で主計将校として訓練を受けた後、12月に主計少尉として朝鮮北部の連浦連隊に配属された。

1945(昭和20)年の終戦後、8月23日にソ連軍により武装解除され、4日後に朝鮮の宣徳収容所に入った。ソ連の船に乗り、10月7日にナホトカに上陸してマラザ収容所に入所した。それから2年間ソ連に抑留された。

1947年(昭和22年)7月28日に収容所から出所、10月15日に帰還船「信洋丸」で帰国した。

1948(昭和23)年11月に自身の抑留体験を綴った『ダモイ・トウキョウ』(ロシア語で「東京に帰る」の意味)を出版。この本は1952年(昭和27年)に阿部豊によって『私はシベリアの捕虜だった』というタイトルで映画化され、大きな反響を呼んだ。