ヒトリシズカ
静御前が吉野山で舞う姿をなぞらえて名づけられた花とされています。花言葉は、隠された美、愛にこたえて。
http://blog-imgs-46-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/20120422081613cec.jpg
静御前には、たくさんの逸話が残されています。有名なお話としては、鶴岡八幡宮の舞の物語の他に、「吉野山の別れ」があります。
義経と静御前出会いは、先に述べた「雨乞い神事」の舞のときのことでした。
後白河法皇のお側で神事を観た義経は、静御前のあまりの美しさに、その場で御前を妻に娶ることを願い出て、許されました。以来、二人は、ずっと寝起きをともにします。
けれど京の都で雅な生活をする義経は、鎌倉にいる兄の源頼朝に疎まれ、ついに京を追われてしまいます。京を出た義経一行は、尼崎から船に乗って四国を目指すのですが、海上で暴風雨に遭い、船が難破してしまいます。一行は散り散りになってしまう。
その嵐の中でも、決して手を離さなかった二人は、一夜開けて、芦屋の里に漂着する。そしてそこから陸路で、大和へ、そして吉野を目指します。このとき義経と一緒にいたのは、源有綱・堀景光・武蔵坊弁慶、そして静御前、および数名の雑役夫です。たくさんいた義経の一行は、わずか10名ばかりになってしまっていたのです。
吉野山に到着した義経らは、吉水院という僧坊で一夜を明かします。そこからは、大峰山の山越え路です。ところが大峰山は、女人禁制なのです。神聖な山とされていたのです。やむなく義経は、吉野山で、静御前に「都へ帰りなさい」と告げます。
ここからなら、都もさほど遠くない。これから先は、酷く苦しい旅路ともなろう。そのたは都の生まれ。必ず戻るから、都に帰って待っていておくれ。
それを聞いた静御前は、ここで「私は義経さまの子を身ごもっています」と打ちあけます。そして、「別れるくらいならいっそ、ここで殺してください」と涙ぐみます。
このときの静御前の服装は、鎧に身を包み、大薙刀を持った姿です。御前は、薙刀の名手でもあったのです。鎧姿に身を包み、愛する人との別れに涙する絶世の美女、静御前。泣かせる場面です。
義経は、泣いている静御前に、そっと、いつも自分が使っている鏡を差し出します。「静よ、これを私だと思って使ってくおくれ。そして私の前で、もういちど、静の舞をみせておくれ」
愛する人の前で、静御前は、最後の別れの舞を舞います。眼に涙を浮かべ、いまにも崩れ落ちそうな心で、静御前は、美しく舞を舞います。それを見ながら涙する義経。名場面です。
このとき静御前が舞った歌の歌詞です。
♪見るとても 嬉しくもなし 増鏡
恋しき人の 影を止めねば
鏡など見たって嬉しくありません。なぜなら鏡には愛する貴方の姿を映してくれません
義経一行は、雪の吉野山を旅立ちます。その姿を、いつまでもいつまでも見送る静御前。一行の姿が見えなくなった山道には、義経の足跡が、転々と、ずっと向こうの方まで続いています。文治元(1186)年11月の山中のことでした。
この月の17日、義経が大和国吉野山に隠れているとの噂を聞いた吉野山の修行僧たちが、義経一行の捜索のために山狩りを行います。
夜10時頃、藤尾坂を下り蔵王堂にたどり着いた静御前を、僧兵が見つけました。そして執行坊に連れてきて尋問します。
荒ぶる僧兵達を前にして、静御前はしっかりと顔をあげ、
「私は九郎判官義経の妻です。私たちは、一緒にこの山に来ました。しかし衆徒蜂起の噂を聞いて、義経様御一行はは、山伏の姿をして山を越えて行かれました。そのとき、数多くの金銀類を私に与え、雑夫たちを付けて京に送ろうとされました。しかし彼らは財宝を奪い取り、深い峯雪の中に、私を捨て置いて行ってしまったので、このように迷って来たのです」と述べます。
翌日、吉野の僧兵たちは、雪を踏み分け山の捜索に向かいます。そして静御前は、鎌倉へと護送されます。
鎌倉に護送された静御前は、厳しい取り調べを受けますが、義経の行方は、知りません。知らないから答えようもありません。やむなく頼朝は、彼女を京へ帰そうとしますが、このとき彼女は妊娠5ヶ月の身重であることを知ります。このため、やむを得ず出産の日まで、静御前は鎌倉にとどめ置くことになったのです。
そして4月8日、鎌倉幕府で将軍ご出席の花見の席で、静御前は舞を舞うことになったわけです。けれど、愛する人を想う歌を歌い、舞を舞った御前は、頼朝の怒りを買い、子を殺されることになりました。権力者の前で、それをすることがどんなに危険なことなのか、静御前も当然にわかったことであろうと思います。けれど、並みいる鎌倉御家人たちの前で、彼らを釘付けにする舞を舞うことが、愛する義経の名誉を守ることとになる。逆に、たいした舞などできないじゃないかとなれば、それだけ義経は軽い存在でしかなくなる。彼女は、我が身が殺されることになることを覚悟の上で、義経を慕う歌を歌い、舞ったのです。
この物語は、いまから千年も昔の物語です。
そして実話です。
愛する人を慕う静御前の心、戦う勇気、子を思う親としての気持ち。敵側でありながら、静御前に深く同情を寄せる北条政子。
義経の物語は、千年の時を越えて、いまも昔も日本人の心は変わらないものであることを教えてくれます。
いやあ、それにしても日本の女性は強いですね。
~~~~~~~~~~
<閑話休題>
正直なところ、以前静か御前の記事をかいたときは、NHKの大河ドラマでの静御前の扱いに、少々腹を立てていて、その怒りの延長線上で記事を書いただけに、いまいち内容の薄いものになってしまっていました。けれど、ボク的にはこの静御前の物語は、もう大好きなお話で、いつかもういちど書き直して再掲したいと思っていたものです。けど、また今日の記事を読み直すと、書き直したくなるんだろうなあ。
それからもうひとつ。
NHKが大河ドラマの源義経で石原さとみ演じる静御前を秋の紅葉の下で踊らせているのですが、たぶんボクはこのことにいらだちを覚えたのだと思うのです。それは番組の構成上、放送が秋頃だったからという都合もあったためかもしれないけれど、やはり静御前の鶴岡八幡宮の舞は、満開の桜の下だと思うのですね。なぜかというと、静御前は苧環(おだまき)の花の雰囲気を持つ女性です。澄み切った春の青空。桜舞う鶴岡八幡宮。そこに舞う青紫の一輪の花。ものすごく美しい世界です。そういう色彩性を花とともに語り継いだのが日本文学の特徴で、その文学性の深みを、NHKにはもっと大事にしてほしかったと思うのです。
あと、静御前といえば、上村松園の静御前が素晴らしいです。
http://blog-imgs-46-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/20120421211310574.jpg
上村松園は、明治生まれの女性日本画家で、この「静」は最晩年、お亡くなりになった年に書かれた作品なんです。それが昭和19年。戦争末期で、空襲や艦砲射撃があり、電力食料が統制された厳しい社会情勢の中にあってさえ、このようにに美しい絵が、しかも女性の手によって描かれ書かれていたという事実。それってなんだかとっても深くて、感動的って思います。





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静御前が吉野山で舞う姿をなぞらえて名づけられた花とされています。花言葉は、隠された美、愛にこたえて。
http://blog-imgs-46-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/20120422081613cec.jpg
静御前には、たくさんの逸話が残されています。有名なお話としては、鶴岡八幡宮の舞の物語の他に、「吉野山の別れ」があります。
義経と静御前出会いは、先に述べた「雨乞い神事」の舞のときのことでした。
後白河法皇のお側で神事を観た義経は、静御前のあまりの美しさに、その場で御前を妻に娶ることを願い出て、許されました。以来、二人は、ずっと寝起きをともにします。
けれど京の都で雅な生活をする義経は、鎌倉にいる兄の源頼朝に疎まれ、ついに京を追われてしまいます。京を出た義経一行は、尼崎から船に乗って四国を目指すのですが、海上で暴風雨に遭い、船が難破してしまいます。一行は散り散りになってしまう。
その嵐の中でも、決して手を離さなかった二人は、一夜開けて、芦屋の里に漂着する。そしてそこから陸路で、大和へ、そして吉野を目指します。このとき義経と一緒にいたのは、源有綱・堀景光・武蔵坊弁慶、そして静御前、および数名の雑役夫です。たくさんいた義経の一行は、わずか10名ばかりになってしまっていたのです。
吉野山に到着した義経らは、吉水院という僧坊で一夜を明かします。そこからは、大峰山の山越え路です。ところが大峰山は、女人禁制なのです。神聖な山とされていたのです。やむなく義経は、吉野山で、静御前に「都へ帰りなさい」と告げます。
ここからなら、都もさほど遠くない。これから先は、酷く苦しい旅路ともなろう。そのたは都の生まれ。必ず戻るから、都に帰って待っていておくれ。
それを聞いた静御前は、ここで「私は義経さまの子を身ごもっています」と打ちあけます。そして、「別れるくらいならいっそ、ここで殺してください」と涙ぐみます。
このときの静御前の服装は、鎧に身を包み、大薙刀を持った姿です。御前は、薙刀の名手でもあったのです。鎧姿に身を包み、愛する人との別れに涙する絶世の美女、静御前。泣かせる場面です。
義経は、泣いている静御前に、そっと、いつも自分が使っている鏡を差し出します。「静よ、これを私だと思って使ってくおくれ。そして私の前で、もういちど、静の舞をみせておくれ」
愛する人の前で、静御前は、最後の別れの舞を舞います。眼に涙を浮かべ、いまにも崩れ落ちそうな心で、静御前は、美しく舞を舞います。それを見ながら涙する義経。名場面です。
このとき静御前が舞った歌の歌詞です。
♪見るとても 嬉しくもなし 増鏡
恋しき人の 影を止めねば
鏡など見たって嬉しくありません。なぜなら鏡には愛する貴方の姿を映してくれません
義経一行は、雪の吉野山を旅立ちます。その姿を、いつまでもいつまでも見送る静御前。一行の姿が見えなくなった山道には、義経の足跡が、転々と、ずっと向こうの方まで続いています。文治元(1186)年11月の山中のことでした。
この月の17日、義経が大和国吉野山に隠れているとの噂を聞いた吉野山の修行僧たちが、義経一行の捜索のために山狩りを行います。
夜10時頃、藤尾坂を下り蔵王堂にたどり着いた静御前を、僧兵が見つけました。そして執行坊に連れてきて尋問します。
荒ぶる僧兵達を前にして、静御前はしっかりと顔をあげ、
「私は九郎判官義経の妻です。私たちは、一緒にこの山に来ました。しかし衆徒蜂起の噂を聞いて、義経様御一行はは、山伏の姿をして山を越えて行かれました。そのとき、数多くの金銀類を私に与え、雑夫たちを付けて京に送ろうとされました。しかし彼らは財宝を奪い取り、深い峯雪の中に、私を捨て置いて行ってしまったので、このように迷って来たのです」と述べます。
翌日、吉野の僧兵たちは、雪を踏み分け山の捜索に向かいます。そして静御前は、鎌倉へと護送されます。
鎌倉に護送された静御前は、厳しい取り調べを受けますが、義経の行方は、知りません。知らないから答えようもありません。やむなく頼朝は、彼女を京へ帰そうとしますが、このとき彼女は妊娠5ヶ月の身重であることを知ります。このため、やむを得ず出産の日まで、静御前は鎌倉にとどめ置くことになったのです。
そして4月8日、鎌倉幕府で将軍ご出席の花見の席で、静御前は舞を舞うことになったわけです。けれど、愛する人を想う歌を歌い、舞を舞った御前は、頼朝の怒りを買い、子を殺されることになりました。権力者の前で、それをすることがどんなに危険なことなのか、静御前も当然にわかったことであろうと思います。けれど、並みいる鎌倉御家人たちの前で、彼らを釘付けにする舞を舞うことが、愛する義経の名誉を守ることとになる。逆に、たいした舞などできないじゃないかとなれば、それだけ義経は軽い存在でしかなくなる。彼女は、我が身が殺されることになることを覚悟の上で、義経を慕う歌を歌い、舞ったのです。
この物語は、いまから千年も昔の物語です。
そして実話です。
愛する人を慕う静御前の心、戦う勇気、子を思う親としての気持ち。敵側でありながら、静御前に深く同情を寄せる北条政子。
義経の物語は、千年の時を越えて、いまも昔も日本人の心は変わらないものであることを教えてくれます。
いやあ、それにしても日本の女性は強いですね。
~~~~~~~~~~
<閑話休題>
正直なところ、以前静か御前の記事をかいたときは、NHKの大河ドラマでの静御前の扱いに、少々腹を立てていて、その怒りの延長線上で記事を書いただけに、いまいち内容の薄いものになってしまっていました。けれど、ボク的にはこの静御前の物語は、もう大好きなお話で、いつかもういちど書き直して再掲したいと思っていたものです。けど、また今日の記事を読み直すと、書き直したくなるんだろうなあ。
それからもうひとつ。
NHKが大河ドラマの源義経で石原さとみ演じる静御前を秋の紅葉の下で踊らせているのですが、たぶんボクはこのことにいらだちを覚えたのだと思うのです。それは番組の構成上、放送が秋頃だったからという都合もあったためかもしれないけれど、やはり静御前の鶴岡八幡宮の舞は、満開の桜の下だと思うのですね。なぜかというと、静御前は苧環(おだまき)の花の雰囲気を持つ女性です。澄み切った春の青空。桜舞う鶴岡八幡宮。そこに舞う青紫の一輪の花。ものすごく美しい世界です。そういう色彩性を花とともに語り継いだのが日本文学の特徴で、その文学性の深みを、NHKにはもっと大事にしてほしかったと思うのです。
あと、静御前といえば、上村松園の静御前が素晴らしいです。
http://blog-imgs-46-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/20120421211310574.jpg
上村松園は、明治生まれの女性日本画家で、この「静」は最晩年、お亡くなりになった年に書かれた作品なんです。それが昭和19年。戦争末期で、空襲や艦砲射撃があり、電力食料が統制された厳しい社会情勢の中にあってさえ、このようにに美しい絵が、しかも女性の手によって描かれ書かれていたという事実。それってなんだかとっても深くて、感動的って思います。





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