「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
     平成24(2012)年5月12日(土曜日)
         通巻第3645号 <前日発行>
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 薄煕来夫人の長姉のビジネスは二十数社、海外資産は100億円
  薄の実兄は香港の企業(光大国際公司)の役員を辞めたが。
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 薄煕来排除によって共産党内部は安定したかと言えば、まだ党内秩序はがだがた、一部地方委員会は幹部連名で「周永康の停職」を求めている。
10日発売の香港誌『開放』(2012年五月号)は、薄の朋友でともに政治結盟を誓った劉少奇の息子、劉源(陸軍大将)が、薄一波の密葬に家族のように出席するなど、あまりにも薄に近かったため、次期中枢入りはほぼ絶望的だろう、と予測している。

一説に「毛沢東の再来」を自認してポピュリズムを気取った薄煕来が劉源とくんで軍を動かし、政変をおこして一気に政権を奪取するシナリオも存在したというが、デマの一種かもしれない。

他方、重慶のスラム街では、貧困層が暴動を繰り返している。
下層階級ほど、重慶市民は「薄書記時代が良かった」と嘯く始末、首都北京でも景山公園では「紅歌集会」が連続的に開催され、市民が(多くはビジネス便乗を逃した『負け組』だが)あつまって毛沢東礼賛の革命歌を大声で歌い続ける。中南海に近い同公園ゆえに歌は胡錦涛の耳にも達したか?
 
 ハーバード大学ケネディ・スクールに留学していた息子の薄瓜瓜は、薄失脚直後から姿を消したまま。逃亡直前に大学のネットに書き込んでいたのは「わたしは金銭スキャンダルと一切関係がない」だった。
 ところが英紙テレグラフ等によれば、米国内に「瓜瓜科学技術有限公司」なる企業を設立しており、資本金が32万ドル、家庭教師だったニールと合名設立になっているという説もあるが、会社の登記者は張暁軍(薄家の執事、ニール殺害の実行犯)になっている。

 薄の兄=薄煕永は役員をかねていた香港の光大国際公司を退社したが、弟の薄煕成(元北京市観光局長)と薄煕寧はホテル・チェーンの「六合興集団」の役員と務めている。現在所在不明。
またほかに三人の弟らが薄煕来にはあるが、中国外務省(外交部)前アジア・アフリカ局勤務の外交官、大学の歴史学教授、医者という噂があるだけで具体的詳細は不明である。


 ▼香港で派手なビジネスを展開した薄夫人の姉たち

 一方、薄夫人の谷開来には四人の姉がいる。
彼女の父親は谷景生(元将軍)。長姉は谷望江、次姉は谷望寧、三姉は谷丹、四姉は谷ゼンシェ(音訳不明)。文革中、いずれも下放され辛酸をなめた。

 家族の多くは開放後、香港へでて手広くビジネスを拡大させ、経営に参画する企業の数は二十数社と言われる。とりわけ長姉の谷望江が海外に移転させた資産だけでも邦貨100億円(米ドルで1億2600万ドル)という。この長姉・谷望江は64歳、別名を王江と名乗り、ビジネス界では女傑として君臨した。

谷望江は製鉄、印刷、洋紙、パルプ、服飾、梱包材料、建材、保険など次々と商圏を拡大させてきた。このグループの旗艦となる持ち株会社は香港に登記されて「喜多来ホールディングス社」(資本金は400万香港ドル=邦貨4000万円)。次姉の谷望寧も経営に加わって同社では第三位の株主、望寧はほかに科学技術企業を独自に経営している。長姉は香港の永住許可証をもち、高級住宅地セントラルに居を構えている。

この姉ふたりは薄の金銭問題で取り調べを受けている。「水に落ちた犬を打て」の格言通り、失脚した政治家は親兄弟親戚までトコトン追求される伝統があり、再浮上は考えにくいだろう。三姉の丹は、薄煕来の前妻(丹宇)の兄と結婚している。四姉は国有企業の副書記。

 当局の調べでは薄一族が海外へ移転させて秘密資金は1000億円以上と推定されているが、他方、薄煕来が重慶に就任以来の大建設ラッシュで、重慶市政府が抱える負債は14兆円(一兆元)。重慶は「中国の夕張」どころか、「中国のギリシア」化しつつある。
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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 あの虚妄の繁栄は幻影だったのか?
   サブカル、虚ろ気、皆が高度成長に酔っていた80年代の落とし穴

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西村幸祐『幻の黄金時代』(祥伝社)
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 「オンリー・イエスタディ 1980年代」という副題が示唆するように、バブル景気、地上げ屋の暗躍、高級ディスコ、プラザ合意、快進撃が続いていた日本経済。たしかに精神的にも昂揚し、毎日が享楽と金儲けと快楽とグルメと銀座の華々さが混在して同居していた、あの古きよき時代を時間の縦軸において、著者は縦横無尽に「だれもが日本の未来を疑わなかった」という懐かしき時代の視座から危機の本質を読み解く。こうした視点からのサブカルチャー批判が基底にある。そうだ。誰もが右肩あがりの日本が永遠に連続してゆくと信仰し、GDPは世界一の座を獲得するのも夢でなかった。強い日本円でアメリカへ行くと高級別荘のプール付きが買えた。88年、ブッシュ選挙で評者(宮崎)が米国にいたおり、ワシントン郊外の住宅戸建て業者を取材したことがあった。瀟洒な一軒家、ガレージ、庭付きでアイランドキッチン、「いくら?」と訊くと15万ドル程度で、おもわず「安い」と言うと、アメリカ人はじつに不愉快そうな顔になったことを鮮明に思い出す。
しかしジャパンドリームは85年のプラザ合意あたりから、じわりじわりと終熄に向い、やがて日本から元気が奪われてしまった。

 あの黄金時代は幻と終わった。高度成長は戦後日本の一時的な徒花だったのか。爾後、日本経済はプラザ合意で首を絞められるように、徐々に奈落へと墜落して行った。株価はてっぺんから地獄の底へ、不動産バブル破綻は日本の銀行制度は破壊させる寸前まで陥没させ、銀座(大阪のキタも札幌の薄野も博多の中州も)の灯は消えて(名古屋の栄だけは別だった。トヨタは不景気知らずだったから)、ソープランドも廃れて風俗嬢も失業し、いまや就職できない新卒の若者が大量に自殺する。
 右肩下がりの時代しか知らない若者は、活気のある中国へ職を求める時代でもある。著者の西村さんはこう言う。
 「ぎらぎら輝く80年代に、じつはポッカリと大きな暗い穴が見えない場所に空いていた。それを見落とした日本人は平成を迎えてから「黄金時代」を一瞬の「幻」にしてしまう。絶頂期の日本の裏側に、現在の日本の危機を読み解く鍵が隠されていた」
 なるほど、色々と複雑な思いでが絡んできますね。

 個人的感想をのべると、本書のなかで、軽薄カルチャーを横軸に論じながら、ムラカミハルキと三島由紀夫を比較評論している個所が印象深く、また面白かった。
 村上春樹は(三島自決は)「どうでもいいこと」と意図的に綴って平静を装いながらも、じつは11月25日にこだわり続けた。大江健三郎の感想を模倣したコメントを意図的に作品に挿入したのだが、それは彼の劣等意識の表れであることが行間に示唆されている。
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 749回】              
 ――庶民のために安価な墓地を提供致します


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昆明で雲南講武学堂見学を終え街に出て歩いていると、歩道でおばさんがビラを配っている。見ると墓地の広告だ。そこで暇潰しがてら、おばさんの話に耳を傾ける。