続けて静御前は「君が代」を舞います。舞に、いまひとつ心がこもらない。
ちょっと脱線しますが義経記には、ここでたしかに静御前が「君が代」を舞ったという記載があります。
日教組に代表される戦後左翼は、ずっと「君が代」は軍国主義のための天皇礼賛、戦争礼賛の曲であると主張し続けているけれど、とんでもないいいがかりです。大東亜戦争よりも800年以上前に、静御前がこうして君が代を舞っています。君が代が我が国に歌として登場するのは、醍醐天皇が勅命で編纂した「古今和歌集」(延喜5(905年)が初出です。この巻7、賀歌の初めに「題しらず」「読み人知らず」で掲載されています。
もっといえば、君が代の「きみ」とは、漢字で書いたら「君」ですが、そもそも日本語は、一音一音に深い意味を込める言語で、「き」は男性、「み」は女性を表す言葉です。ですからイザナ「キ」、イザナ「ミ」、おきな(翁)、おみな(嫗)だし、そもそも「おんな(女)」は、「おみな→おうな」が「おみなご」→女子となったものです。
つまり「きみがよ」の「きみ」とは、き(男)み(女)であり、貴方と私、君とボク、の意ととることもできます。ですから、「君が代は千代に八千代に」は、「貴女と私の世は、未来永劫に」と読めるわけで、だからこそ君が代は江戸時代から明治初期にかけて、婚礼の際の祝い歌として歌い継がれてもきたのです。
さて、話がだいぶ脱線しました。鶴岡八幡宮です。
場内から声が飛びました。
「なんだ、当代随一とか言いながら、この程度か?」「情けない。工藤祐経の鼓がよくないのか?それとも静御前がたいしたことないのか?」会場が騒然となります。
敵の中にたったひとりいる静御前にとって、そのざわめきは、まるで地獄の牛頭馬頭のたちのうなり声のようにさえ聞こえたかもしれない。
二曲を舞い終わった静御前は、床に手をつき、礼をしたまま舞台でかたまってしまいます。そのまま、じっと動かない。
「なんだ、どうしたんだ」
会場のざわめきが大きくなります。けれど静御前は動かない。
このとき御前は何を思っていたのでしょう。遠く、離ればなれになった愛する夫の義経。二度と逢えない義経。自分は、もうすぐ殺されるかもしれない。これが最後の舞となる。逢いたい、逢いたい。義経さまに、もういちど逢いたい。
舞台でピクリとも動かなくなった静御前のこのときの脳裏には、愛する義経の姿が、はっきりと浮かんでいたのかもしれません。
「義経記」ではこのくだりを、「詮ずる所敵の前の舞ぞかし、思ふ事を歌はばやと思ひて」とあります。
どうせ敵の前じゃないか。
いっそのこと、思うことを歌ってやろう!
そう心に決めた静御前は、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと立ち上がります。
それまでざわついていた鎌倉武士たちが、何が始まるのだろうと、徐々に静まりかえって行きます。
そして、しわぶきひとつ聞こえなくなったとき、静御前が手にした扇子を、両手で前に差し、歌いはじめます。
いつも私を、静、静、
苧環(をだまき)の花のように美しい静
そう呼んでくださった義経様
幸せだったあのときに戻りたい
吉野山で雪を踏み分け
山に去って行かれた愛する義経様
残されたあのときの義経様の足跡が、
いまも愛しくてたまらない。
~~~~~~~
♪しづやしづ
しづの苧環(をだまき)繰り返し
むかしを今に なすよしもがな♪
吉野山 嶺の白雪 ふみわけて
入りにし人の 跡ぞ恋しき
~~~~~~~~
歌いながら、舞う。舞いながら歌う。
まさにその姿は、神です。
美しい。あまりにも美しい。
まさに おだまきの花が舞っているようです。
苧環 (をだまき)の花
4月から5月にかけて咲く花です。
http://blog-imgs-46-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/20120422075409a7f.jpg
この「しづやしづ」を、静御前が白拍子だったから賤(しず)である、などと書いている最近の学者さんの本があるけれど、とんでもない話です。義経は、静御前を「苧環(おだまき)の花」に例えているのです。
映画やドラマなどでは、静御前はいろいろな女優さんが演じ、私たちはその映像を観ます。けれど物語は千年前です。映像なんてない。だから昔の人は、文字にできない部分を、背景や花でイメージさせます。
静御前は、苧環(おだまき)の花に例えられます。背景は、満開の桜の花です。薄桃色一色に染まった背景の中で、おだまきの青い花が舞う。
このようにして物語を立体的な総天然色の世界として読み手にイメージさせるのが日本の古典文学の特徴です。「賤」なんて、とんでもない。
さて、鶴岡八幡宮を埋め尽くした鎌倉御家人たちの前で、静御前はたったひとりの戦いを、この舞で挑みました。その勇気と愛と壮絶な美しさは、千年経ったいまでも私たちの胸に深い感動を呼び起こします。
歌は、あまりにも激しい慕情です。舞は、ゆっくりと、まるで風にそよぐ柔らかな春の花のようです。
場内にいた坂東武者たちは、あまりのその舞の美しさに、ただ呆然とみとれた。
声もでなかった。あまりの美しさ、神々しさに、静御前が舞い終わったあとに、拍手さえも忘れてしまった。拍手をすることも忘れてしまうほど、武者たちは御前の神々しさに打たれてしまっていたのです。
御前が舞を舞い終わります。扇子を閉じ、舞台の真ん中に、座り、頭を垂れます。
およそプロの芸能を行う人というのは、瞬時にして視聴者の心をぎゅっと掴んでしまう凄味を持っています。中でも神に通じる当代随一と呼ばれた静御前です。しかもその御前が、愛する人のために舞ったのです。その舞の凄味はいかばかりだったでしょう。想像するだけで、体が震えるほどの凄味を感じます。しかも、舞った場所は敵の武将達のド真ん中。その中で、女一人でたったひとりの戦いを挑んだのです。
すごいです。
あまりにもすごい。
会場は、まるで一本の糸がピンと張ったように静まり返った緊張につつまれる。
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ちょっと脱線しますが義経記には、ここでたしかに静御前が「君が代」を舞ったという記載があります。
日教組に代表される戦後左翼は、ずっと「君が代」は軍国主義のための天皇礼賛、戦争礼賛の曲であると主張し続けているけれど、とんでもないいいがかりです。大東亜戦争よりも800年以上前に、静御前がこうして君が代を舞っています。君が代が我が国に歌として登場するのは、醍醐天皇が勅命で編纂した「古今和歌集」(延喜5(905年)が初出です。この巻7、賀歌の初めに「題しらず」「読み人知らず」で掲載されています。
もっといえば、君が代の「きみ」とは、漢字で書いたら「君」ですが、そもそも日本語は、一音一音に深い意味を込める言語で、「き」は男性、「み」は女性を表す言葉です。ですからイザナ「キ」、イザナ「ミ」、おきな(翁)、おみな(嫗)だし、そもそも「おんな(女)」は、「おみな→おうな」が「おみなご」→女子となったものです。
つまり「きみがよ」の「きみ」とは、き(男)み(女)であり、貴方と私、君とボク、の意ととることもできます。ですから、「君が代は千代に八千代に」は、「貴女と私の世は、未来永劫に」と読めるわけで、だからこそ君が代は江戸時代から明治初期にかけて、婚礼の際の祝い歌として歌い継がれてもきたのです。
さて、話がだいぶ脱線しました。鶴岡八幡宮です。
場内から声が飛びました。
「なんだ、当代随一とか言いながら、この程度か?」「情けない。工藤祐経の鼓がよくないのか?それとも静御前がたいしたことないのか?」会場が騒然となります。
敵の中にたったひとりいる静御前にとって、そのざわめきは、まるで地獄の牛頭馬頭のたちのうなり声のようにさえ聞こえたかもしれない。
二曲を舞い終わった静御前は、床に手をつき、礼をしたまま舞台でかたまってしまいます。そのまま、じっと動かない。
「なんだ、どうしたんだ」
会場のざわめきが大きくなります。けれど静御前は動かない。
このとき御前は何を思っていたのでしょう。遠く、離ればなれになった愛する夫の義経。二度と逢えない義経。自分は、もうすぐ殺されるかもしれない。これが最後の舞となる。逢いたい、逢いたい。義経さまに、もういちど逢いたい。
舞台でピクリとも動かなくなった静御前のこのときの脳裏には、愛する義経の姿が、はっきりと浮かんでいたのかもしれません。
「義経記」ではこのくだりを、「詮ずる所敵の前の舞ぞかし、思ふ事を歌はばやと思ひて」とあります。
どうせ敵の前じゃないか。
いっそのこと、思うことを歌ってやろう!
そう心に決めた静御前は、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと立ち上がります。
それまでざわついていた鎌倉武士たちが、何が始まるのだろうと、徐々に静まりかえって行きます。
そして、しわぶきひとつ聞こえなくなったとき、静御前が手にした扇子を、両手で前に差し、歌いはじめます。
いつも私を、静、静、
苧環(をだまき)の花のように美しい静
そう呼んでくださった義経様
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吉野山で雪を踏み分け
山に去って行かれた愛する義経様
残されたあのときの義経様の足跡が、
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しづの苧環(をだまき)繰り返し
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吉野山 嶺の白雪 ふみわけて
入りにし人の 跡ぞ恋しき
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歌いながら、舞う。舞いながら歌う。
まさにその姿は、神です。
美しい。あまりにも美しい。
まさに おだまきの花が舞っているようです。
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映画やドラマなどでは、静御前はいろいろな女優さんが演じ、私たちはその映像を観ます。けれど物語は千年前です。映像なんてない。だから昔の人は、文字にできない部分を、背景や花でイメージさせます。
静御前は、苧環(おだまき)の花に例えられます。背景は、満開の桜の花です。薄桃色一色に染まった背景の中で、おだまきの青い花が舞う。
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さて、鶴岡八幡宮を埋め尽くした鎌倉御家人たちの前で、静御前はたったひとりの戦いを、この舞で挑みました。その勇気と愛と壮絶な美しさは、千年経ったいまでも私たちの胸に深い感動を呼び起こします。
歌は、あまりにも激しい慕情です。舞は、ゆっくりと、まるで風にそよぐ柔らかな春の花のようです。
場内にいた坂東武者たちは、あまりのその舞の美しさに、ただ呆然とみとれた。
声もでなかった。あまりの美しさ、神々しさに、静御前が舞い終わったあとに、拍手さえも忘れてしまった。拍手をすることも忘れてしまうほど、武者たちは御前の神々しさに打たれてしまっていたのです。
御前が舞を舞い終わります。扇子を閉じ、舞台の真ん中に、座り、頭を垂れます。
およそプロの芸能を行う人というのは、瞬時にして視聴者の心をぎゅっと掴んでしまう凄味を持っています。中でも神に通じる当代随一と呼ばれた静御前です。しかもその御前が、愛する人のために舞ったのです。その舞の凄味はいかばかりだったでしょう。想像するだけで、体が震えるほどの凄味を感じます。しかも、舞った場所は敵の武将達のド真ん中。その中で、女一人でたったひとりの戦いを挑んだのです。
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