さて、アメリカ軍は、何故、台湾に上陸せずに台湾を素通りして沖縄に上陸してきたのか。
 台湾の人々と懇談していたとき、彼等が「先の戦争で、アメリカ軍が台湾に上陸してきていたら、今頃台湾は立派な独立国になれたのになー」と残念がっている。
 そこで、その通りだと思いながら、もしアメリカ軍が台湾に上陸してきたら、どうなっていただろうかと考えた。
 そうなったら、台湾山岳部の高砂族義勇兵と西部に展開する台湾軍精鋭の迎撃を受けて、アメリカ軍は膠着状態のまま日々犠牲者を増やしてベトナム戦のように消耗したのではなかったか。台湾は、ついに制圧できなかったのではないか。特に、高砂族のいる東部の南北に連なる山岳地帯は無理だ。

 大戦の末期、東京の陸軍首脳(大本営)は、アメリカ軍がまず台湾に来ると見て、沖縄から歴戦の精鋭部隊を引っこ抜いて台湾に移動させた。そして台湾を主戦場にしてアメリカを撃退しようと計画していた。
 従って、現実にアメリカ軍が上陸してきた沖縄を護る第三十二軍は、精鋭を失った部隊だった。
 しかし、それでも、第三十二軍は、圧倒的な艦砲射撃と空爆に曝されながら、三倍以上のアメリカ軍上陸部隊(十六万八千人)を迎撃し三ヶ月にわたって組織的戦闘を継続したのだ。
 その結果、アメリカ側は次のように報告することになる。
「これほど短期間に、これほど狭い地域で、これほど多くのアメリカ軍艦が沈み、これほど多くのアメリカ軍兵士が血を流したことはかつてなかった」
 沖縄戦では、アメリカ陸軍史上初めてのことが起きていたのだ。つまり沖縄上陸軍司令官のサイモン・バックナー中将が日本軍の十五センチ留弾砲によって戦死している。戦場における軍司令官の戦死は、日本軍においてもあり得ないことだったのだ。

 アメリカ軍が、大本営の予想に反して、台湾上陸を回避したことはアメリカ軍にとっては賢明だった。
 では、何を根拠にしてアメリカ軍は台湾上陸を回避しあきらめたのだろうか。私は、台湾で、山の人々にこう語った。
「待ちかまえている台湾軍が精鋭そのものだったことと、山岳部にニューギニア戦線など南の島々でアメリカ軍が遭遇した驚くべき勇猛な高砂義勇軍がいる。
 あなた方が、南の島々で敵に見せ付けた勇猛果敢な戦い振りがアメリカ軍の台湾上陸を阻止したのだ」

 台湾軍が精鋭だったという記憶は、台湾に残っている。
日本内地には、「台湾軍の歌」を歌える者は少ないだろう。私も歌えない。
 しかし、台湾の多くの山の人は「台湾軍の歌」を歌った。
 やはり台湾の東海岸の旅は、日本への旅だった。
 「台湾軍の歌」の一番の歌詞は次の通り。
 
   太平洋の空遠く 輝く南十字星 黒潮しぶく椰子の島 
   荒波吼ゆる極東を 睨んで起てる南の 
  護りは吾ら台湾軍 嗚呼厳として台湾軍

西村真悟事務所