「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年5月7日(月曜日)
通巻第3640号
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(本号はニュース解説がありません)
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(編集前記)
昨夜遅く、中国取材から戻りました。上海からの便が一時間遅れた為に帰宅が深夜になりました。中国は「情報空間」が異様ですから薄煕来関連のニュースも、盲人活動家陳氏の動向も一切報道が無く、むしろ先方から聞かれるほどでした。
雲南省のビルマ国境地点を二個所、異様な警戒ぶり、辺境警備隊が防弾チョッキに自動小銃の武装でした。
というわけで、小誌は明日から正常発行になります。
△□○◇☆ △□○◇☆
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樋泉克夫のコラム 一挙三本掲載
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 741回】
――中華民族復仇史観というアジテーションの末路
『近代中国史話』(湖南師範学院《近代中国史話》編写組 人民出版社 1977年)
△
この本出版の前年に起きた大事件といえば毛沢東の死と四人組逮捕。出版翌(78)年末、?小平に率いられた共産党政権は政治から経済へ、革命からカネ儲けへ――「滅私奉公」ならぬ「滅私奉毛」の毛沢東路線をきれいサッパリと清算し、新たな道への“革命的大転進”を果たす。現在の身勝手・金満・傲慢大国への道を拓くことになる改革・開放路線に大きく舵を切ったのだ。ならば、この本が出版された当時は毛沢東路線を継承すべきか否か。開放派と毛沢東主義者との間で、さぞや熾烈な権力闘争が展開されていたに違いない。
この本は、1840年のアヘン戦争を発端に51年の太平天国軍の挙兵から1870年代初頭の太平天国の壊滅までを「第一章 侵略は反抗を引き起こす」、中国市場を目指してしのぎを削る列強の専横と中国人民の抵抗なるものを「第二章 帝国主義は永遠に中国を滅亡させることは出来ない」、清朝転覆を導いた1911年の辛亥革命に繋がる革命家の苦闘の軌跡と中華民国建国前後を「第三章 帝政を転覆し、共和国を建国する」――という構成である。
「史話」と銘打たれているだけあって史実を巧妙に組み合わせてあり、近代史が判り易く面白く綴られている。だが、それだけに資料の引用は牽強付会で身勝手気侭。自らに不都合な部分への言及は巧妙に避け、あるいはすっ飛ばし、中華民族主義を大きく掲げ、民族主義に訴え、中華民族の近代を“蹂躙”した封建地主階級と帝国主義という内外の敵に対する“復仇”を煽りまくる。まさに歴史アジテーションといったところだ。
たとえば第一章は、西南や西北の辺境に棲む少数民族を「兄弟」と呼び、彼らは「中国近代第一次革命」である太平天国に呼応し相互に助け合いながら「反帝反封建民主革命の戦いの途上において肩を組み、中華民族解放のために、自らが置かれた条件の中で可能な限りに卓越した貢献をみせた」。雲南に住む多くの少数民族の「20年に及ぶ戦いは中国各民族人民による戦闘的団結を反映し、共に解放の情誼と願望を希求した」と、ハデに煽る。
だが中華民族とはいうものの、それは各民族の平等を意味しない。飽くまでも“漢族の漢族による漢族のための中華民族”であり、であればこそ少数民族は永遠に漢族の下っ端の立場、いいかえるなら下僕に甘んずるしかないということ。漢族の圧政下に呻吟するチベット、ウイグル、内モンゴルの各民族の悲惨な現状をみせつけられれば、少数民族の「解放の情誼と願望」を踏みにじっている最大の要因が、漢族が掲げる超自己チュー中華民族主義にあることは明白だろう。
アジテーション調が最高潮に達するのは、やはり「神州大地(ちゅうごく)の東方の空が曙に染まり一筋の真紅の光が射し、四方の空を鮮やかに染めあげる。我らが偉大な領袖であり導師である毛沢東同志は、中国における旧民主主義革命がプロレタリア階級の導く新民主主義革命へと向かう分岐点に在って中国と世界を改造し、中国と世界の人民に共通する利益を図るべく壮大な信念を抱き時代の最前線に立ち、マルクス・レーニ主義を創造的に用いて中国革命の具体的情況に結びつけ、中国共産党を創建し、歴史の前進的発展を指導し、中国人民を勝利から勝利へと導いた」と謳いあげた最終部である。
「一筋の真紅の光」「中国と世界を改造」などといった類の毛沢東賛歌の美辞麗句は、「強盛大国」を目指した北の将サマに似てブザマで滑稽で無内容に過ぎる。昨今の中国の傲慢・倨傲ぶりからは、彼らの説く「歴史の前進的発展」の虚しさを痛感するのみ。
《QED》
【知道中国 742回】
――その言い草を、滑稽無類・荒唐無稽・笑止千万といいます
△
4月27日朝、成田を発って上海経緯で昆明に向かう。
機内で手にした『環球日報』(4月26日)を読んでいると、「国際論壇」欄の「中国の大衆は興味を失っているのに、なぜ反対に西側では増しているのか」と題した単仁平(同紙評論員)の論説が眼についた。
彼は日本でも関心の高い薄熙来事件への反応について論じ、「薄熙来に関する事情について、中国民衆が最も高い関心を示していた時期は既に過ぎ去り、与論は常態に復した。現在の中国において、大衆が一つの事件に対する興味を持ち続けることは難しくなった」と書き出し、にもかかわらず、なぜ西側では薄事件に関し根掘り葉掘り、あることないことを大仰に報じるのかと疑問を呈した後、次のように綴る。
「先ず指摘したいのは、西側での(薄事件に関する)過剰報道は中国政治における薄熙来の地位を過大評価している点にあるということだ。薄が法律に基づいて追及・処断されることは確かにショックではあるが、それは中国の正常な政治生活においは必ずしも突発的出来事というわけではなく、同時に中国の政治体制と国家戦略に対する衝撃でもない。それゆえに衝撃は短時間のうちに沈静化する」と述べる。
次いで、「西側のある種の人々は、薄個人の中共全体の執政作風に対する破壊力を誇大に評価するが、薄が重大な腐敗行為を行ったか否かの認定は中央における最終的調査の結論を待たなければならない。じつは薄は中国幹部層の全体を代表するわけではない。ここ数年、確かに指導幹部のなかから腐敗分子が摘発されてはいるが、中央は腐敗を厳重処分すべしとの態度を鮮明にしているし、社会全体が監視・監督に積極的に取り組んでいる。それゆえ現在の中国においては、社会的地位の高低にかかわらず、重大な腐敗行為を犯しながら処分されないなどということはありえない」とする。かくして、「薄熙来の事件は極めて唐突に発生した。それが中国社会に新たなる成熟と活力をもたらす一方で、正しいようで間違った噂が流布し社会を混乱させないように希望する」と結ぶ。
ここで興味深いのは、「ここ数年、確かに指導幹部のなかから腐敗分子が摘発されてはいる」と正直に認めている点だ。ということは、あるいは単仁平は実は「薄は中国の凡ての幹部層を代表」していると告発したかったのではなかろうか。むしろ、そう糾弾したほうが論旨が明確になっていたように思える。胡錦濤を筆頭とする「中国の凡ての基層幹部」における夫人や子女、さらには親族を含む権力をカサに着ての黒金(ダーティー・マネー)ビジネスが枚挙に暇がないことから、容易に指摘できそうだ。
じつは薄事件の第一報が伝えられた際に先ず頭に浮かんだのが71年に発生した林彪事件だった。
「毛主席の親密な戦友」と讃えられ、共産党規約で毛沢東後継と名指しされながらも毛暗殺を企てソ連への逃亡途中にモンゴルで墜落死したというのが、共産党の公式見解である。「中国の大衆」が林彪夫婦の“天をも恐れぬ犯罪”を知らされたのは、事件発生から1年以上も過ぎた後のこと。
平成24(2012)年5月7日(月曜日)
通巻第3640号
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(編集前記)
昨夜遅く、中国取材から戻りました。上海からの便が一時間遅れた為に帰宅が深夜になりました。中国は「情報空間」が異様ですから薄煕来関連のニュースも、盲人活動家陳氏の動向も一切報道が無く、むしろ先方から聞かれるほどでした。
雲南省のビルマ国境地点を二個所、異様な警戒ぶり、辺境警備隊が防弾チョッキに自動小銃の武装でした。
というわけで、小誌は明日から正常発行になります。
△□○◇☆ △□○◇☆
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樋泉克夫のコラム 一挙三本掲載
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 741回】
――中華民族復仇史観というアジテーションの末路
『近代中国史話』(湖南師範学院《近代中国史話》編写組 人民出版社 1977年)
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この本出版の前年に起きた大事件といえば毛沢東の死と四人組逮捕。出版翌(78)年末、?小平に率いられた共産党政権は政治から経済へ、革命からカネ儲けへ――「滅私奉公」ならぬ「滅私奉毛」の毛沢東路線をきれいサッパリと清算し、新たな道への“革命的大転進”を果たす。現在の身勝手・金満・傲慢大国への道を拓くことになる改革・開放路線に大きく舵を切ったのだ。ならば、この本が出版された当時は毛沢東路線を継承すべきか否か。開放派と毛沢東主義者との間で、さぞや熾烈な権力闘争が展開されていたに違いない。
この本は、1840年のアヘン戦争を発端に51年の太平天国軍の挙兵から1870年代初頭の太平天国の壊滅までを「第一章 侵略は反抗を引き起こす」、中国市場を目指してしのぎを削る列強の専横と中国人民の抵抗なるものを「第二章 帝国主義は永遠に中国を滅亡させることは出来ない」、清朝転覆を導いた1911年の辛亥革命に繋がる革命家の苦闘の軌跡と中華民国建国前後を「第三章 帝政を転覆し、共和国を建国する」――という構成である。
「史話」と銘打たれているだけあって史実を巧妙に組み合わせてあり、近代史が判り易く面白く綴られている。だが、それだけに資料の引用は牽強付会で身勝手気侭。自らに不都合な部分への言及は巧妙に避け、あるいはすっ飛ばし、中華民族主義を大きく掲げ、民族主義に訴え、中華民族の近代を“蹂躙”した封建地主階級と帝国主義という内外の敵に対する“復仇”を煽りまくる。まさに歴史アジテーションといったところだ。
たとえば第一章は、西南や西北の辺境に棲む少数民族を「兄弟」と呼び、彼らは「中国近代第一次革命」である太平天国に呼応し相互に助け合いながら「反帝反封建民主革命の戦いの途上において肩を組み、中華民族解放のために、自らが置かれた条件の中で可能な限りに卓越した貢献をみせた」。雲南に住む多くの少数民族の「20年に及ぶ戦いは中国各民族人民による戦闘的団結を反映し、共に解放の情誼と願望を希求した」と、ハデに煽る。
だが中華民族とはいうものの、それは各民族の平等を意味しない。飽くまでも“漢族の漢族による漢族のための中華民族”であり、であればこそ少数民族は永遠に漢族の下っ端の立場、いいかえるなら下僕に甘んずるしかないということ。漢族の圧政下に呻吟するチベット、ウイグル、内モンゴルの各民族の悲惨な現状をみせつけられれば、少数民族の「解放の情誼と願望」を踏みにじっている最大の要因が、漢族が掲げる超自己チュー中華民族主義にあることは明白だろう。
アジテーション調が最高潮に達するのは、やはり「神州大地(ちゅうごく)の東方の空が曙に染まり一筋の真紅の光が射し、四方の空を鮮やかに染めあげる。我らが偉大な領袖であり導師である毛沢東同志は、中国における旧民主主義革命がプロレタリア階級の導く新民主主義革命へと向かう分岐点に在って中国と世界を改造し、中国と世界の人民に共通する利益を図るべく壮大な信念を抱き時代の最前線に立ち、マルクス・レーニ主義を創造的に用いて中国革命の具体的情況に結びつけ、中国共産党を創建し、歴史の前進的発展を指導し、中国人民を勝利から勝利へと導いた」と謳いあげた最終部である。
「一筋の真紅の光」「中国と世界を改造」などといった類の毛沢東賛歌の美辞麗句は、「強盛大国」を目指した北の将サマに似てブザマで滑稽で無内容に過ぎる。昨今の中国の傲慢・倨傲ぶりからは、彼らの説く「歴史の前進的発展」の虚しさを痛感するのみ。
《QED》
【知道中国 742回】
――その言い草を、滑稽無類・荒唐無稽・笑止千万といいます
△
4月27日朝、成田を発って上海経緯で昆明に向かう。
機内で手にした『環球日報』(4月26日)を読んでいると、「国際論壇」欄の「中国の大衆は興味を失っているのに、なぜ反対に西側では増しているのか」と題した単仁平(同紙評論員)の論説が眼についた。
彼は日本でも関心の高い薄熙来事件への反応について論じ、「薄熙来に関する事情について、中国民衆が最も高い関心を示していた時期は既に過ぎ去り、与論は常態に復した。現在の中国において、大衆が一つの事件に対する興味を持ち続けることは難しくなった」と書き出し、にもかかわらず、なぜ西側では薄事件に関し根掘り葉掘り、あることないことを大仰に報じるのかと疑問を呈した後、次のように綴る。
「先ず指摘したいのは、西側での(薄事件に関する)過剰報道は中国政治における薄熙来の地位を過大評価している点にあるということだ。薄が法律に基づいて追及・処断されることは確かにショックではあるが、それは中国の正常な政治生活においは必ずしも突発的出来事というわけではなく、同時に中国の政治体制と国家戦略に対する衝撃でもない。それゆえに衝撃は短時間のうちに沈静化する」と述べる。
次いで、「西側のある種の人々は、薄個人の中共全体の執政作風に対する破壊力を誇大に評価するが、薄が重大な腐敗行為を行ったか否かの認定は中央における最終的調査の結論を待たなければならない。じつは薄は中国幹部層の全体を代表するわけではない。ここ数年、確かに指導幹部のなかから腐敗分子が摘発されてはいるが、中央は腐敗を厳重処分すべしとの態度を鮮明にしているし、社会全体が監視・監督に積極的に取り組んでいる。それゆえ現在の中国においては、社会的地位の高低にかかわらず、重大な腐敗行為を犯しながら処分されないなどということはありえない」とする。かくして、「薄熙来の事件は極めて唐突に発生した。それが中国社会に新たなる成熟と活力をもたらす一方で、正しいようで間違った噂が流布し社会を混乱させないように希望する」と結ぶ。
ここで興味深いのは、「ここ数年、確かに指導幹部のなかから腐敗分子が摘発されてはいる」と正直に認めている点だ。ということは、あるいは単仁平は実は「薄は中国の凡ての幹部層を代表」していると告発したかったのではなかろうか。むしろ、そう糾弾したほうが論旨が明確になっていたように思える。胡錦濤を筆頭とする「中国の凡ての基層幹部」における夫人や子女、さらには親族を含む権力をカサに着ての黒金(ダーティー・マネー)ビジネスが枚挙に暇がないことから、容易に指摘できそうだ。
じつは薄事件の第一報が伝えられた際に先ず頭に浮かんだのが71年に発生した林彪事件だった。
「毛主席の親密な戦友」と讃えられ、共産党規約で毛沢東後継と名指しされながらも毛暗殺を企てソ連への逃亡途中にモンゴルで墜落死したというのが、共産党の公式見解である。「中国の大衆」が林彪夫婦の“天をも恐れぬ犯罪”を知らされたのは、事件発生から1年以上も過ぎた後のこと。