◆2-3シリアの体験談と現在のシリア情勢
シリアはイスラエルの情報部員エリ・コーエンがシリア政府要職に潜入活動し、逮捕され処刑された国である。著者は女王陛下の大英帝国・ロンドンで彼の活動に関するレポートを読んだ数ヵ月後にシリアを初めて訪問した。当時はハーフィズ・アル・アサド大統領(前アサド大統領・現大統領の父)が統治していた時であり、当時はまだソ連の強い影響下があった。ヨルダン王国・首都アンマン国際空港で、シリアに行くならヨルダンで両替したほうがレートはいいと銀行から忠告を受けた。両替した紙幣はシリアの入国検査に引っかからないようにマジシャンのように手のひらからお札を消すしかないが。ルフトハンザー・ドイツ航空が優先予約で確保したロイヤル・ヨルダン航空はこれでもかという鉄腕アトム(アストロボーイ)の主題歌のように繰り返される様々な角度から撮ったヨルダン航空機と自我自賛のような自社PRの映像は興味深いものだった。やがて、色あせたそしてくたびれたソ連製航空機ツポレフのシリア航空機などが並ぶダマスカスに夜中に到着した。(今日はカラーや機体は以前より洗練されている。)東側陣営の影響下があったため、信条として西側陣営では最高級の贅沢をするときもあるが対立していた東側陣営には余計なお金(外貨獲得)は使用したくなかった(東側陣営の政治・非合法活動などに還元されるからだ。)。ホテルは予約せず、真夜中にタクシーで市内の一番安いボロ宿(睡眠と荷物の保管だけ)で英語、ドイツ語が通じない宿主とドイツ語が話せる運転手を介し交渉し外国人向けの公定料金をさらに値下げさせた。現金を先払いし、外国人宿泊に関する情報などの提供は必要以上に避けた。夜はゴキブリなどが、シャワー、トイレ、野戦病院にあるような金属パイプのベットの下の床をはいずっていた。スーツケースやドイツ製高性能装備品類はもう一つのベットの上に置いた。持参のドイツ製虫除け剤を散布して寝ていた。森やジャングルの中よりましだ。カーテンはベットのシーツより薄い。明かりをつければ外から丸見えだ。夜空の明かりで部屋の中を動くしかなかった。この宿の目の前には最高級ホテルがあった。早朝はこのような高級ホテルで、このようなホテルに相応しいあつらえのいい英国調の服装で、英国で食事に満足したければ朝食を二回食べればよいというように、一日分が十分足りるぐらいの食事をした。実際、昼や夜も軽いスナック程度か取らない時もあるぐらい市内を縦横に動き回る日もあるからだ。同時に当時のアラブ諸国でありがちな野菜不足をここで解消していた。このシリアの監視社会の痕跡を可能な限り消すために全て現金で処理した。

◆2-3-1シリアの情報統制
ダマスカスは聖書に記述されているぐらい古く歴史がある大都市である。他のオイルマネーで潤うアラブ諸国と異なり、シリアは豊かではないアラブ諸国の一国の印象を与えた。シリアは冷戦下の東欧の共産圏同様にメディア情報が管理されていた中で、安宿の前のこの高級ホテルではシリア国内、ダマスカス市内の情報を徹底的に入手した。(インターネットがない時代だ。ローテクつまり手と足で情報を入手する時代。)また人気のないホテル内のビジネスセンターの近くの通路の壁は海外ニュース(英語)ロイター電などのテレックスがあり随時読む事ができた。毎日寄って読んでいた際に、昭和天皇陛下の崩御を知った。(通常時期を特定させる情報は与えないが、これで著者の滞在時期は判明するだろう。)このシリア・アサド政権の国民への情報統制はご承知の通りインタネット時代の今日も続いている。

◆2-3-2-1シリアの監視・密告社会と内乱
ハーフィズ・アル・アサド政権は監視・密告社会であり、多くのシリア市民が政権によって消された。今日の息子のバシャール・アル・アサド政権も継承され前アサド政権以上に市民への弾圧が行なわている。ご承知の通り、シリア各都市が軍による反アサド派の市民(その多くはスニン派)への砲撃、都市の炎上(衛星写真からも確認できる)、市民の殺害が行なわれている。一部のシリア市民は隣国のレバノン、トルコへ避難している状況である。シリア市民の中には「なぜ国際社会は我々を助けないのか!」「アメリカはなぜ助けて…

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