□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2012年5月4日 NO.1182号 )
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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★亡国のTPPを粉砕せよ!日本はアメリカの属国か!それとも主権国家か?★
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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パイロット人生の34年は英霊の慰霊旅でもあった
もっとも科学の最先端ジェット戦闘機乗りが多くの超常現象を体験
♪
佐藤守『ジェット・パイロットが体験した超科学現象』(青林堂)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
滞空時間3800時間のベテラン・パイロット、南西航空混成団司令だった佐藤さんは、防衛問題を論じて多彩な活躍ぶりは周知の通り。
大東亜戦争史論から金正日の誕生の謎に迫ったミステリーまで執筆の対象も幅広い。
その佐藤さんがオカルトに挑んだのだ。
パイロットに限らず、激戦地の址地へ行けば「英霊の声」がある。硫黄島へ行って、異常体験をしない人がいるが(小沢と菅)、たぶん日本人ではないからだろう。硫黄島の霊は天皇皇后両陛下が鎮魂の旅に行かれて、ようやくおさまった。
評者(宮崎)もじつは超科学現象を体験したひとりで、嘗て会津若松白虎隊の墓参りを済ませた夜、熟睡中に幾百幾千の粒子のような霊がどっと押し寄せて、「うわっー」と金縛りになったが、悪霊ではないので、すぐに消えた。そのことを嘗て弊誌にも書いたのだが、佐藤さんは、この本のなかに、小生の体験もながながと引用されている。
霊的な体験も豊富な人生で「この世の中の人と人との間には目に見えない情念、霊感のようなものがあると信じて」、その氏がなぜか「科学の粋を集めた最新鋭ジェット戦闘機パイロット人生」を送られたのだから、人生の妙と言えるのかも知れない。
ところがパイロット人生のなかで、佐藤さんはじつに「非科学的」な体験ばかり、とりわけ「非科学的な現象を大戦の戦場で散った多くの英霊と目に見えない『交信』があった」ことを淡泊な書き方で語られる。
佐藤さんは「パイロットとして三十四年間、急な二十二回の人事発令に従い、北は北海道から南は沖縄まで二十四回の転居」という人生だったが、振り返るとそれは「鎮魂と慰霊の旅そのものだった」
奇跡的な体験を豊富に織り込んで非科学的領域と「気」の世界に迫る労作になった。
□ □
(宮崎正弘)
◎西田昌司
【Showyou通信 VOL.260】-2012.4.26-〔訂正〕
★伝えよう、美しい精神と自然。
-日本の背骨を取り戻そう-
1.【Showyouビデオレター】
『それでも言う、小沢一郎のどこに義があるのか!』を新たに追加いたしました。
http://www.showyou.jp/videoletter/
ホームページの新着情報よりご覧下さい。
☆☆☆☆☆☆西田昌司 国政報告2012☆☆☆☆☆☆
-自民党時局講演会-
日時:平成24年6月29日(金) 18時~20時
場所:シルクホール(京都産業会館8F)
入場無料ですので、皆様ぜひご来場下さい。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
目次
◎佐藤守 「大東亜戦争の真実を求めて 363」
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━
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◎佐藤守 「大東亜戦争の真実を求めて 363」
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ドーリットルの東京空襲で山本のメンツはつぶれ、彼は予定されていたフィジー・サモア作戦をミッドウェイ作戦に変更させる。
これもドーリットルの“ギャンブラー攻撃”に過剰反応したギャンブラー・山本らしい動きだと私は思うが、その結果おっとり刀で飛び込んだミッドウェー作戦では、ハワイとは打って変わって大敗北に終わった。
ハワイ作戦終了後の連合艦隊司令部は、瀬戸内海の柱島に停泊している戦艦大和にあった。南方攻略作戦が一段落し、インド洋方面作戦が終了したので、連合艦隊水上部隊の主兵力を瀬戸内海西部に集結させ、基地航空部隊の大部分を太平洋東正面に配備して、次期作戦の準備に取り掛かっていた。
そんな最中に起きたのが、ドーリットルの東京空襲であった。
このころわが海軍は、ハワイ作戦の成功によって当面太平洋方面においては、撃ち漏らした米空母を中心とする機動部隊による“奇襲”を受ける程度であろうと読んでいた。しかし日本本土の太平洋に面する海岸線の総延長線は、3000マイルに及ぶ遠大なものだったから、敵機動部隊による奇襲を防止するのは極めて難しいところがあった。
兵力上、連日広範囲な偵察にも限度がある。そこで帝国海軍は、窮余の一策として南鳥島の北から千島南方にかけて、漁船を一列に配置した哨戒線を展張した。そして海軍の哨戒機にはさらに洋上遥か600マイル沖まで行動させた。
この「海上邀撃航空部隊」は、木更津基地を主幹として一部を南鳥島に分派した陸攻約80機を基幹とし、南方作戦から帰還した精鋭第26航空戦隊を加えたものであった。
4月10日午後6時30分ごろ、我が方は、空母2~3隻からなる米機動部隊が真珠湾北西約400マイルに進出し、14日頃には東京空襲を企図するかのごとき兆候を窺わせる無線情報を探知していた。
そこで哨戒部隊には700マイル圏内の綿密な捜索が命じられ、反撃計画も急速に樹てられていた。ところが敵機の発艦位置はおそらく海岸から300マイル付近だろうと見積もられたのである。
この見積もりに基づく作戦は、第一撃を魚雷攻撃、第2次攻撃は雷爆撃を集中して東京空襲を不可能にさせるというもので、さらにインド洋作戦を終えて帰還中の南雲機動部隊で追撃させとどめを刺そうというものであった。
その後敵の動きは不明のままだったが、4月18日午前6時30分に、海上哨戒線で監視中だった監視艇「第23日東丸(漁船)」から、「敵空母3隻見ゆ。我が地点犬吠岬の東600マイル」という緊急電が入る。
第26航空戦隊は直ちに攻撃準備を開始し、午前11時30分に触接機として陸攻3機を発進させた。その後哨戒線からの報告がなかったのは、第23日東丸が撃沈されたからで、発見されたことを知った米機動部隊は、直ちに日東丸の“口を封じて”B-25爆撃機を発艦させたのである。
他方この日、午前6時30分に哨戒に飛び立った哨戒機からは、午前9時45分に「敵の“双発機2機”を東京の東600マイル付近で発見」と報告があった以外、何ら報告がなく、情報は途絶していた。
そこで機会を逸することを危惧した攻撃部隊は午後零時45分、敵を求めて発進した。ところがこのころ、わが防空部隊は、敵の空襲は19日ころだろうと予測していて、横須賀鎮守府管区のみが午前8時39分に空襲警報を発令した以外は警報発令を手控えていた。
なぜこのような結果になったのかといえば、日本海軍では敵空襲は19日午前より以前に行われることは“絶対に”ありえないと判断していたからであり、その根拠は「空母から発艦するのは航続力の少ない艦載機」であるから300マイル圏外からはあり得ないという仮定に立っていたからである。
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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★亡国のTPPを粉砕せよ!日本はアメリカの属国か!それとも主権国家か?★
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もっとも科学の最先端ジェット戦闘機乗りが多くの超常現象を体験
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佐藤守『ジェット・パイロットが体験した超科学現象』(青林堂)
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滞空時間3800時間のベテラン・パイロット、南西航空混成団司令だった佐藤さんは、防衛問題を論じて多彩な活躍ぶりは周知の通り。
大東亜戦争史論から金正日の誕生の謎に迫ったミステリーまで執筆の対象も幅広い。
その佐藤さんがオカルトに挑んだのだ。
パイロットに限らず、激戦地の址地へ行けば「英霊の声」がある。硫黄島へ行って、異常体験をしない人がいるが(小沢と菅)、たぶん日本人ではないからだろう。硫黄島の霊は天皇皇后両陛下が鎮魂の旅に行かれて、ようやくおさまった。
評者(宮崎)もじつは超科学現象を体験したひとりで、嘗て会津若松白虎隊の墓参りを済ませた夜、熟睡中に幾百幾千の粒子のような霊がどっと押し寄せて、「うわっー」と金縛りになったが、悪霊ではないので、すぐに消えた。そのことを嘗て弊誌にも書いたのだが、佐藤さんは、この本のなかに、小生の体験もながながと引用されている。
霊的な体験も豊富な人生で「この世の中の人と人との間には目に見えない情念、霊感のようなものがあると信じて」、その氏がなぜか「科学の粋を集めた最新鋭ジェット戦闘機パイロット人生」を送られたのだから、人生の妙と言えるのかも知れない。
ところがパイロット人生のなかで、佐藤さんはじつに「非科学的」な体験ばかり、とりわけ「非科学的な現象を大戦の戦場で散った多くの英霊と目に見えない『交信』があった」ことを淡泊な書き方で語られる。
佐藤さんは「パイロットとして三十四年間、急な二十二回の人事発令に従い、北は北海道から南は沖縄まで二十四回の転居」という人生だったが、振り返るとそれは「鎮魂と慰霊の旅そのものだった」
奇跡的な体験を豊富に織り込んで非科学的領域と「気」の世界に迫る労作になった。
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(宮崎正弘)
◎西田昌司
【Showyou通信 VOL.260】-2012.4.26-〔訂正〕
★伝えよう、美しい精神と自然。
-日本の背骨を取り戻そう-
1.【Showyouビデオレター】
『それでも言う、小沢一郎のどこに義があるのか!』を新たに追加いたしました。
http://www.showyou.jp/videoletter/
ホームページの新着情報よりご覧下さい。
☆☆☆☆☆☆西田昌司 国政報告2012☆☆☆☆☆☆
-自民党時局講演会-
日時:平成24年6月29日(金) 18時~20時
場所:シルクホール(京都産業会館8F)
入場無料ですので、皆様ぜひご来場下さい。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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◎佐藤守 「大東亜戦争の真実を求めて 363」
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◎佐藤守 「大東亜戦争の真実を求めて 363」
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ドーリットルの東京空襲で山本のメンツはつぶれ、彼は予定されていたフィジー・サモア作戦をミッドウェイ作戦に変更させる。
これもドーリットルの“ギャンブラー攻撃”に過剰反応したギャンブラー・山本らしい動きだと私は思うが、その結果おっとり刀で飛び込んだミッドウェー作戦では、ハワイとは打って変わって大敗北に終わった。
ハワイ作戦終了後の連合艦隊司令部は、瀬戸内海の柱島に停泊している戦艦大和にあった。南方攻略作戦が一段落し、インド洋方面作戦が終了したので、連合艦隊水上部隊の主兵力を瀬戸内海西部に集結させ、基地航空部隊の大部分を太平洋東正面に配備して、次期作戦の準備に取り掛かっていた。
そんな最中に起きたのが、ドーリットルの東京空襲であった。
このころわが海軍は、ハワイ作戦の成功によって当面太平洋方面においては、撃ち漏らした米空母を中心とする機動部隊による“奇襲”を受ける程度であろうと読んでいた。しかし日本本土の太平洋に面する海岸線の総延長線は、3000マイルに及ぶ遠大なものだったから、敵機動部隊による奇襲を防止するのは極めて難しいところがあった。
兵力上、連日広範囲な偵察にも限度がある。そこで帝国海軍は、窮余の一策として南鳥島の北から千島南方にかけて、漁船を一列に配置した哨戒線を展張した。そして海軍の哨戒機にはさらに洋上遥か600マイル沖まで行動させた。
この「海上邀撃航空部隊」は、木更津基地を主幹として一部を南鳥島に分派した陸攻約80機を基幹とし、南方作戦から帰還した精鋭第26航空戦隊を加えたものであった。
4月10日午後6時30分ごろ、我が方は、空母2~3隻からなる米機動部隊が真珠湾北西約400マイルに進出し、14日頃には東京空襲を企図するかのごとき兆候を窺わせる無線情報を探知していた。
そこで哨戒部隊には700マイル圏内の綿密な捜索が命じられ、反撃計画も急速に樹てられていた。ところが敵機の発艦位置はおそらく海岸から300マイル付近だろうと見積もられたのである。
この見積もりに基づく作戦は、第一撃を魚雷攻撃、第2次攻撃は雷爆撃を集中して東京空襲を不可能にさせるというもので、さらにインド洋作戦を終えて帰還中の南雲機動部隊で追撃させとどめを刺そうというものであった。
その後敵の動きは不明のままだったが、4月18日午前6時30分に、海上哨戒線で監視中だった監視艇「第23日東丸(漁船)」から、「敵空母3隻見ゆ。我が地点犬吠岬の東600マイル」という緊急電が入る。
第26航空戦隊は直ちに攻撃準備を開始し、午前11時30分に触接機として陸攻3機を発進させた。その後哨戒線からの報告がなかったのは、第23日東丸が撃沈されたからで、発見されたことを知った米機動部隊は、直ちに日東丸の“口を封じて”B-25爆撃機を発艦させたのである。
他方この日、午前6時30分に哨戒に飛び立った哨戒機からは、午前9時45分に「敵の“双発機2機”を東京の東600マイル付近で発見」と報告があった以外、何ら報告がなく、情報は途絶していた。
そこで機会を逸することを危惧した攻撃部隊は午後零時45分、敵を求めて発進した。ところがこのころ、わが防空部隊は、敵の空襲は19日ころだろうと予測していて、横須賀鎮守府管区のみが午前8時39分に空襲警報を発令した以外は警報発令を手控えていた。
なぜこのような結果になったのかといえば、日本海軍では敵空襲は19日午前より以前に行われることは“絶対に”ありえないと判断していたからであり、その根拠は「空母から発艦するのは航続力の少ない艦載機」であるから300マイル圏外からはあり得ないという仮定に立っていたからである。