【 伝統とは何か?】


 日本が大東亜戦争に負け、7年間GHQ(連合国軍最高司令部)の占領下におかれたことはご存じだと思います。その時、GHQのジョン・ペルセルという情報部の人間が日本語のひらがな、カタカナ表記をやめさせてアルファベットにさせようとしたそうです。その時、私たちの文字は消される危機に直面していたわけ
ですね。

 しかし日本語を消そうとしていたのは何も敵であったアメリカの人間 ばかりではありませんでした。驚くべきことに日本人、それも言葉を使う最高の知識人であるはずの作家、有名な志賀直哉が「日本語なんかもう使うのはやめてフランス語を使おう。日本語なんか使っていたから戦争に負けたんだ」と言ったそうです。私はこの話を読んだ時、本当 だろうか・・・と、その話の真偽を疑いました。

 しかし最近、『漢字と日本人』(高島俊男著・文春文庫・720円)という本を読んでもっと驚くべき事実を知りました。明治の初めにも日本語を捨てて英語を採用しよう、という議論があり、それをもっとも強く主張していたのが文部大臣の森有礼(ありのり)だった、ということです。森有礼は言語だけでなく人種までも変えるべきだと主張し、日本の優秀な青年はアメリカへ行ってアメリカ女性と結婚して日本に連れかえり、がっちりした体格と優秀な頭脳を持つ子供を残しなさい、と公然と言っていたそうです。

 私たちがこの発言を聞くと森有礼という人は頭がおかしかったのではないか、と思ってしまいます。でも彼は正気だったし、文部大臣になるぐらいですから有能な政治家でした。若い頃ヨーロッパに留学して西洋をよく知っていた人です。西洋を知っていただけに日本との国力の差がよく分かり、どうやったら西洋に追いつくことができるのか、と真剣に悩んだ結果、日本語を捨てるしかない、と思い込んだのだと思います。今の時代に生きる私たちが森有礼を批判することはできません。当時の日本人は今とは比べ物にならないぐらい外国の脅威というものを肌身に感じていたのだと思います。でも、だからといって日本語を捨ててしまったら私たちは日本人ではなくなってしまいますよね?

 

『漢字と日本人』の著者の高島俊男氏によれば「進歩」とか「発展」という観点で歴史を見ることを日本人は西洋から学んだそうです。西洋との接触がなかった江戸時代、人々は「進んでいる」とか「遅れている」という発想自体がなかったそうです。どこどこの国は文化が進んでいる、とか先進国だ、とかいう観念が本来、日本にはなかったのです。ところが明治になって西洋の文物が怒涛のように押し寄せてきて、それに巻き込まれているうちに発想や価値観まで西洋に染まってしまった、というのが高島先生のお説です。そして日本は遅れている、後進国だ、だから何もかも西洋のやっている通りにやればよいのだ、という発想になる――なかなか深いお話だと思いませんか?

 
 高島俊男氏は中国語・中国文学の研究者ですがエッセイストとしても有名な方で雑誌「週間文春」に連載していた「お言葉ですが・・・」は人気があってすべて単行本になっています。博学で辛口のエッセイを読むと気分がすうっとします。では最後に、高島先生が伝統について言っている言葉をご紹介します。




 「伝統」とは「過去と将来を一貫する」「過去の日本人と将来の日本人とを切断しない」という意味である。それは決して過去の日本が偉大だからではない。偉大であろうと卑小であろうと、われわれが立つところはそこしかないからである。われわれは空虚の上に立つことはできないのである。


花時計:岡真樹子