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国柄探訪: 奇跡のリンゴはこうして生まれた

 無農薬、無肥料でリンゴをつくるという夢に掛けた男の執念。

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■1.6年間、探してきた答が、目の前にあった

 木村秋則さんは、満月の下、リンゴ畑の間の道を通って、黒い影となってそびえる津軽富士こと岩木山に向かって歩いていた。手にはロープを握りしめ、誰にも見つからないところまで登って、そこで首を吊って死のうと思っていた。

 長年の労苦で老人のように皺が刻まれた顔は、死を決意した開放感でもとの30代の男の表情を取り戻していた。6年もの間、無農薬でリンゴをつくるという夢にとりつかれて、財産を潰し、家族を貧乏のどん底に突き落としてまで頑張ってきたが、ついにその夢は潰えたのだった。

 その夢こそが自分の生まれてきた意味と信じていたが、その夢が果たせない以上、生きている意味はない。自分がいなくなれば、家族も今よりは幸せになるだろう。そう思うと、この何年も背負い続けてきた自分には重すぎる荷物を下ろせるという開放感を感じていた。

 2時間ほども登って、首を吊るすにはちょうどいい具合の木が見つかった。持ってきたロープを枝に投げると、ロープの端が指をするりと抜けて、あらぬ方向に飛んでいった。

 ロープを拾いに山の斜面を降りかけると、月光のもとに一本のリンゴの木が立っていた。のびのびと枝を伸ばし、そのすべての枝にみっしりと葉を茂らせて、思わず見惚れてしまうほど、美しい木だった。

 こんな山奥で、誰も農薬などかけていないはずだ。そうだ、森の木々はそもそも農薬など必要としていない。6年間、探してきた答が、目の前にあった。


■2.「無農薬でリンゴを育てる」という夢

 木村さんが、無農薬でリンゴをつくるという夢にとりつかれたのは、ふとした偶然がきっかけだった。研究熱心な木村さんが、本屋で農業の専門書を見つけた。書棚の最上段にあるので、ちょうどそばにあった棒でその本をつっついた所、隣にあった本も一緒に落ちてきた。

 床は雪か雨で濡れていて、汚れた本を仕方なく一緒に買った。『自然農法』というタイトルで「何もやらない、農薬も肥料もなにも使わない農業」とコピーがついていた。木村さんは、その本を擦り切れるほど読んだ。

 リンゴを育てるには、年に13回も各種の農薬をそれぞれ最適な時期に散布しなければならない。そうしないと、昆虫、カビ、細菌など、多種多様の外敵にやられて、虫食いのない、甘くて大きい、美しいリンゴは育たないのだ。

 農薬の残留量は、人体に影響を与えないよう、厳しく決められている。しかし、妻の美千子さんは農薬に過敏な体質で、散布するたびに1週間も寝込んでしまう。

 無農薬のリンゴができたら、妻に辛い思いをさせることもなくなるし、より安心なリンゴを消費者に届けられる。こうして木村さんは重すぎる夢を背負い込んだのである。


■3.冬のように葉のない寒々とした光景

 リンゴ畑での農薬散布をやめてみると、害虫が一斉にリンゴの木に襲いかかった。蛾の幼虫が何万匹も枝に集まってきて、葉を食べ尽くしてしまう。虫の重さで、リンゴの枝がしなって垂れ下がるほどだった。

 一家四人で毎日、朝から晩まで虫取りをしたが、一本の木からスーパーのビニール袋3杯分の虫がとれた。それでも虫はあとからあとから湧いてくる。さらには病原菌が、残った葉を冒した。黄色くしなびた葉が一枚、また一枚と落ちていく。

 殺菌作用のある酢やニンニク、焼酎などを片っ端から農薬のかわりに散布してみたが、満足な結果は得られなかった。周囲の畑のリンゴの木々は鬱蒼(うっそう)と葉を茂らせているのに、木村さんの畑だけが、冬のように葉のない寒々とした光景をさらしていた。

 結局、リンゴはひとつもとれず、収入もなかった。あと一年だけ頑張ってみよう。その繰り返しで、2年過ぎ、3年が過ぎた。蓄えは底をつき、自家用車も農作業用のトラックも売り払った。電話代も払えないので、止められてしまった。

 3人の娘たちには穴のあいた靴下にツギをあて、短くなった鉛筆2本をセロテープでつないで使わせた。


■4.「あいつは頭がおかしくなった」

 4年目が過ぎ、5年目に入ってもリンゴ畑の状態は悪化するばかりだった。木村さんの友人たちは心配して激しい口調で忠告した。

「無農薬では無理だってことは、もうわかっただろう。いい加減に目をさませ」「少しは奥さんや、子供たちのことを考えたらどうだ」
 しかし、木村さんは頑(かたく)なに首を横に振るだけだった。友人たちは心からの忠告に耳を貸さない木村に腹を立て、友人たちは愛想を尽かして、去って行った。

「あいつは頭がおかしくなった」「バカが感染(うつ)るから、近づくな」と陰口を叩かれるようになり、木村さんも人を避けて、道で誰にも出会わないように、夜が明ける前に畑にでかけ、日が暮れてから家路についた。

 ただ一つの救いは、家族がバラバラになっていなかったことだ。木村さんが「もう諦めた方がいいかな」と珍しく弱音を吐くと、いつもは大人しい長女が色をなして怒った。「そんなの嫌だ。なんのために、私たちはこんなに貧乏しているの?」 いつしか長女は父親の夢を共有していたのである。

 6年目になると、リンゴの木々は根っこまで弱ったのだろう。幹を押しただけで、ぐらぐら揺れるようになった。木村さんはリンゴの木を一本づつ回って、こう言いながら、頭を下げてあるいた。

「無理をさせてごめんなさい。花を咲かせなくとも、実をならせなくてもいいから、どうか枯れないでちょうだい」

 もう出来ることは無くなって、あとはリンゴの木にお願いするしかなくなっていたのである。この頃から、木村さんはリンゴの声が聞こえるようになった、という。


■5.「そうだ。この土をつくればいい。」

 こうして万策尽きた昭和60(1985)年7月31日、木村さんは死を決意して岩木山に登っていった。そして偶然、山中の斜面に立つ美しい木を見つけたのである。

 走って近づくと、それはドングリの木であることに気がついた。しかし、リンゴの木でもドングリの木でも同じことだった。虫の音は周囲にうるさいほど鳴り響いている。病気の原因となるカビや菌もたくさんあるに違いない。それなのに、なぜこの木は農薬もなしにこんなに葉をつけているのか。

 決定的な違いは地面にあることに木村さんは気がついた。雑草が生え放題で、足が沈むほど、ふかふかだった。木村さんは無我夢中で土を掘った。柔らかい土は、素手でいくらでも掘ることができた。

 ツンと鼻を刺激する、山の土の匂いがした。思わず、土を口に含んでいた。よい匂いが口いっぱいに広がった。「そうだ。この土をつくればいい。」

 この土はここに住む生きとし生けるもの、すべての合作なのだ。落ち葉と枯れ草が何年も積み重なり、それを虫や微生物が分解して土ができる。そこに落ちた木の実が、土の深い部分まで根を伸ばしていく。

 ここではすべての命が、他の命と関わり合い、支え合って生きていた。その中で生き物は、このドングリの木のように、本来の力で自分の身を守ることができるはずなのだ。