そしてインフラ整備状況は多岐にわたるが、いくつか紹介すると……
(1)道路は今や「四通八達」
清国時代には道路らしき道路は無く、交通運輸の不便は言語に絶した。日本は台湾領有
後(1895年)直ちに工兵隊を投入して南北縦貫軍用道路を開設、地方地域の道路も住民の
協力を得て開設、改修し、1930年には自動車道路も整備され、「山村僻地の交通も今や何
等危険なく自由」となった。
(2)鉄道は「官私線縦横」
清国時代に既に鉄道は敷設されていた(基隆~新竹)が、殆んど不定期運行であった。
1899年、南部北部双方より縦貫線工事に着工し、1908年竣工。その他宜蘭線、屏東線、台
東線、阿里山鉄道なども次々に着工し、1923年に開通させた。これらは官営であったが、
製糖事業の発達に伴って多くの私設線が敷設され、官線の及ばない地方部落を縦横に連絡
し、交通上大いなる貢献を果した。
(3)衛生は「行き届いた施設」
衛生思想なく、飲料水は河川や溜池の濁った水を用い、下水道の設備はなく汚物汚水は
室外に放置されていたが、上水道を設け、明治32年には下水規則を発布し、工事を進め、
「今日では市、街並に大部落に於いては旧来の汚水瀦溜の痕跡すらとどめざるに至った」
と。
各地に医療、衛生機関を設け、伝染病予防策を講じ、チブス、コレラなどの撲滅を図っ
た。
(4)水利(飲用、工業用、潅漑用)は「嘉南大?開設」
最近良く知られるようになった八田与一氏の功績で、「嘉南大?の台湾蔗作農業に対す
る施設としては正に新面目を発揮せるもので、又大いなる革命でもある」と讃え、目的を
旱魃及び給水に苦しんでいる土地に対して潅漑・排水の設備となし、水稲甘蔗その他農作
物の増収を図ると説明している。
4. 中華民国はこの成果をどう見たか
伊藤潔著『台湾』によりますと、「台湾総督府は1935年10月に『台湾始政四十周年記念
大博覧会』を台北で開催した。この時、中華民国国民党政権は福建省と厦門市の幹部を中
心とする視察団を派遣し、博覧会はもとより日本統治下の台湾の施政を、つぶさに視察さ
せた。視察団は帰国後の1937年に、『台湾考察報告』なる報告書を刊行した。
この報告書は、日本の台湾統治に最大級の賛辞を惜しみなく呈しており、いわく『他山
の石』『日本人にできて中国人になぜできないのか』『わずか40年の経営で、台湾と中国
の格差は驚くばかり』と評して、日本帝国主義の台湾支配を批判するどころか、その成果
に驚愕し絶賛している。」(同書121頁)と記しています。
5. 10年後の姿
『台湾大観』の序文は「台湾の真価の現われるのは今後十年の後にあるであろう」と述
べていますが、その10年後について伊藤潔氏の著作『台湾』は次のように書いています。
ポツダム宣言の受諾により、日本は連合国軍に降伏し、1945年9月2日、東京湾の米国戦
艦ミズリー号上において、日本国全権が連合国に対する降伏文書に署名した。そして同日、
連合国軍司令部は指令第一号を発表、その一般命令第一号IのAにおいて、中国(満州を
除く)と台湾およびフランス領北ベトナムの日本軍に、蒋介石(1887―1975)大元帥への
投降を命じている。この命令にもとづいて、台湾と北ベトナムは蒋介石麾下の中国軍に占
領されることになった。
台湾の領有権の変更に関する国際条約もないまま、素早く台湾を中国の「台湾省」とし
たのは、カイロ宣言に依拠してのことであった。(同書137~138の要約)
6. おわりに
『台湾大観』の冒頭の序文は、今後10年の後に「真価」が現われる、いうなれば清国の
李鴻章をして「瘴癘蠻雨の地」、「化外の民の蟠居する地」と言わしめた台湾を、日本人
と台湾人が力を合わせて、本/
(1)道路は今や「四通八達」
清国時代には道路らしき道路は無く、交通運輸の不便は言語に絶した。日本は台湾領有
後(1895年)直ちに工兵隊を投入して南北縦貫軍用道路を開設、地方地域の道路も住民の
協力を得て開設、改修し、1930年には自動車道路も整備され、「山村僻地の交通も今や何
等危険なく自由」となった。
(2)鉄道は「官私線縦横」
清国時代に既に鉄道は敷設されていた(基隆~新竹)が、殆んど不定期運行であった。
1899年、南部北部双方より縦貫線工事に着工し、1908年竣工。その他宜蘭線、屏東線、台
東線、阿里山鉄道なども次々に着工し、1923年に開通させた。これらは官営であったが、
製糖事業の発達に伴って多くの私設線が敷設され、官線の及ばない地方部落を縦横に連絡
し、交通上大いなる貢献を果した。
(3)衛生は「行き届いた施設」
衛生思想なく、飲料水は河川や溜池の濁った水を用い、下水道の設備はなく汚物汚水は
室外に放置されていたが、上水道を設け、明治32年には下水規則を発布し、工事を進め、
「今日では市、街並に大部落に於いては旧来の汚水瀦溜の痕跡すらとどめざるに至った」
と。
各地に医療、衛生機関を設け、伝染病予防策を講じ、チブス、コレラなどの撲滅を図っ
た。
(4)水利(飲用、工業用、潅漑用)は「嘉南大?開設」
最近良く知られるようになった八田与一氏の功績で、「嘉南大?の台湾蔗作農業に対す
る施設としては正に新面目を発揮せるもので、又大いなる革命でもある」と讃え、目的を
旱魃及び給水に苦しんでいる土地に対して潅漑・排水の設備となし、水稲甘蔗その他農作
物の増収を図ると説明している。
4. 中華民国はこの成果をどう見たか
伊藤潔著『台湾』によりますと、「台湾総督府は1935年10月に『台湾始政四十周年記念
大博覧会』を台北で開催した。この時、中華民国国民党政権は福建省と厦門市の幹部を中
心とする視察団を派遣し、博覧会はもとより日本統治下の台湾の施政を、つぶさに視察さ
せた。視察団は帰国後の1937年に、『台湾考察報告』なる報告書を刊行した。
この報告書は、日本の台湾統治に最大級の賛辞を惜しみなく呈しており、いわく『他山
の石』『日本人にできて中国人になぜできないのか』『わずか40年の経営で、台湾と中国
の格差は驚くばかり』と評して、日本帝国主義の台湾支配を批判するどころか、その成果
に驚愕し絶賛している。」(同書121頁)と記しています。
5. 10年後の姿
『台湾大観』の序文は「台湾の真価の現われるのは今後十年の後にあるであろう」と述
べていますが、その10年後について伊藤潔氏の著作『台湾』は次のように書いています。
ポツダム宣言の受諾により、日本は連合国軍に降伏し、1945年9月2日、東京湾の米国戦
艦ミズリー号上において、日本国全権が連合国に対する降伏文書に署名した。そして同日、
連合国軍司令部は指令第一号を発表、その一般命令第一号IのAにおいて、中国(満州を
除く)と台湾およびフランス領北ベトナムの日本軍に、蒋介石(1887―1975)大元帥への
投降を命じている。この命令にもとづいて、台湾と北ベトナムは蒋介石麾下の中国軍に占
領されることになった。
台湾の領有権の変更に関する国際条約もないまま、素早く台湾を中国の「台湾省」とし
たのは、カイロ宣言に依拠してのことであった。(同書137~138の要約)
6. おわりに
『台湾大観』の冒頭の序文は、今後10年の後に「真価」が現われる、いうなれば清国の
李鴻章をして「瘴癘蠻雨の地」、「化外の民の蟠居する地」と言わしめた台湾を、日本人
と台湾人が力を合わせて、本/