晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ
バスケバスケバスケバスケバスケバスケバスケバスケバスケ
日本の心を伝える会メールマガジンNo.427
20121/1/26(木曜日)
バスケバスケバスケバスケバスケバスケバスケバスケバスケ
ホームページ
http://www.nippon-kokoro.com/
晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ

【転送歓迎】

〇〇〇〇様こんにちは。
日本の心をつたえる会です。

ねずブロ/メルマガ(有料版)のお申し込みは↓から。
http://www.mag2.com/m/0001335031.html

日心会メルマガ(無料版)のお申し込みは↓から。
http://www.nippon-kokoro.com/mailmag_entry.php


牡牛座牡牛座 もくじ 牡牛座牡牛座
━━━━━━━━━
1磨製石器と相沢忠洋(1/2)
─◆◇──────
2携帯で接続の皆様へ
━━━━━━━━━


  お茶お茶お茶お茶お茶

ベルベルベルベルベルベルベルベルベル
1磨製石器と相沢忠洋(1/2)
ベルベルベルベルベルベルベルベルベル

下のURLをクリックするすと、ある写真を見ることができます。
http://blog-imgs-46-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/201201081038496f6.jpg
写真、何だと思われますか?

実はこれ、昭和24年に発掘された「槍先形尖頭器」と呼ばれる石器です。

長さ約7cm、幅約3cmのこの石器は、薄緑色に透き通る黒曜石で出来ています。
中心部に白雲のようなすじが入っていて、神秘的な美しさです。

この石器は、日本で発見されたものです。
群馬県みどり市笠懸町にある岩宿遺跡(いわじゅくいせき)で出土したものです。

時代は、いまから約3万年前の旧石器時代のものです。
そして、人の手によって磨きがかけられた石器としては、これが「世界最古」の石器です。
そしてこの石器は、単に旧石器時代の石器というだけでなく、「人の手による加工技術の産物」として「世界最古の道具」でもあります。

日本以外では、こうした磨製石器は、オーストリアのヴォレンドルフ遺跡出土の石器が、約2万5000年前のものとされています。
日本の磨製石器は、それよりも5千年も古い。

それ以外の石器となると、ロシアのコスチョンキ(約1万4000年前)、アフォントヴァゴラ(約2万年前)、オーストラリアのナワモイン(約2万1500年前)、マランガンガー(約2万9000年前)などがありますが、いずれも人が石を削って作ったものではなく、その形の自然石を利用したものになります。

日本の加工技術は、なんと3万年の歴史があるなんて、なんだかすごいですよね。
技術大国日本の象徴のような気がします。
とっても感動的です。

ちなみに青森県の三内丸山遺跡といえば、いまから5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡なのですが、ここでは多数の栗やクルミ、トチなどの木の栽培跡が確認され、有名な六本柱建物跡なども発見されています。

六本柱建物(復元)



これだけ大きな木造建築物を建造するには、まず大木を伐採しなければなりませんが、ではどうやって大木を伐っていたのかというと、これが実におもしろい。

最近では、森の木を伐採するときには、チェンソーや電動ノコギリを使います。
けれどチェンソーや電ノコは、また誕生してまだ60年ほどの歴史しかありません。なにせ戦後生まれの道具です。

ではそれ以前はどうやって森の木を伐採していたのかというと、斧やマサカリ、ノコギリで木を切っていた。
斧もノコギリも鉄製ですが、ノコギリが普及したのは、日本でいったら鎌倉時代以降のことです。700年程度の歴史です。

マサカリかついだ金太郎は、大型の斧を手にしていますが、そうした鉄製の斧が誕生したのは、いまから1700年ほど前の古墳時代頃のことだといわれています。

では、それより以前は、どのような道具で木を伐採していたのかというと、これが実は石でできた石器です。

どうやったかというと、まず木の根もとで火を起こして、伐りたいところを焦がす。
そして焦がしたところを小さくて先の尖った石斧で、すこしづつ大木を削り、ついには木を伐り倒したのだそうです。

たいへんな時間のかかる作業ですが、そうやって伐り倒した樹木は、今度は枝を打ち払い、必要な長さに切って、家屋の建築や船の制作に使われた。

このときに使われた道具が、冒頭の写真のような先の尖った小型の石器だったわけです。
言い換えれば、3万年前というとほうもない昔の日本人は、先の尖った小さな道具一本で、大木を倒し、枝を打ち払い、適当な長さに加工して、さまざまな道具や建物建築に使用していたというわけです。

ちなみに加工をともなわない単なる「石器」では、これとは別に、日本で12万年前のものが発掘されています。

人類史は、いまから200年前に人類が猿人から分化し、15万年前に現世人類が誕生したとされています。
ミトコンドリアイブの解析から、15万年前の人類の始祖は、アフリカ中央部にいた、というのが最近の研究なのだそうです。

その人類が、いまから5万年前、150人くらいの集団で、サウジアラビアのあたりに移住する。
いまのサウジは砂漠ですが、5万年前はそこは緑の大地だったのだそうです。
一節によれば、その地はエディエンと呼ばれ、そこで人類は豊かに暮らしていた。
そうです。エデンの園です。

ところが、人類は食事のために火を使ったため、森の木々が燃やされ、森林が枯渇し、あたりが砂漠化して人類はエディエンを追い出された。
つまり、火=赤=リンゴ、というわけです。

そして世界に散った人類は、一部はヨーロッパ方面に向かって白人種となり、一部はバイカル湖のあたりに向かってモンゴロイドとなった、のだそうです。

ところが3万年ほど前に地球気温が急速に低下し、このためバイカル湖辺りのモンゴロイドは、一部はベーリング海峡を渡って北米大陸に向かい、一部は太平洋を南下して日本人となったのだという。

つまり日本に人が住み始めたのはいまから3万年前だ、というわけで、その3万年前の世界最古の磨製石器が日本で出土した。
これが冒頭の写真となるわけなのですが、ところが、日本で、12万年前の石器が出土しちゃった。
こうなると日本て、いったいどういう国なのだろうと、なんだかワクワクしてしまいます。

もうひとつ、冒頭の磨製石器ですが、先の尖った形状の道具を使って、木を加工するという技術。
その技術の産物として、加工した磨製石器が出土したわけなのだけれど、このことについて、すごくおもしろいと思うのですが、奈良の法隆寺の五重塔です。

磨製石器は3万年前のもの、法隆寺の五重塔は世界最古の木造建築物とはいえ、1300年ほど前の建造物で、時代は全然違うのだけれど、耐震性や防火設備をそろえた、あの芸術品とさえいえる五重塔の建築は、釘を一本も使わず、ほとんど「槍(やり)カンナ」と呼ばれる先の尖ったノミのような道具一本で、あれだけの構造物が建設されています。

槍カンナというのは、もちろん鉄製なのだけれど、その形状は、そのまま冒頭の磨製石器が鉄になった形状のものです。

おもうにそうした日本古来の、先の尖った道具一本で、木材に様々な加工を施してしまうという技術は、日本で3万年前から使われていた磨製石器という先の尖った小型の道具を活用する技術として、日本ではものすごく古くて長い歴史と伝統の中で培われた技術であるように思えるのです。
そうでなければ、とつぜん降ってわいたように法隆寺の複雑な仕様の建築物など、突然できるものではありません。

言い方を変えると、世界最古の磨製石器が出土した日本は、世界最古の石を加工した技術国家であり、かつ、先の尖った道具一本で様々な木造加工技術を開発した技術国家でもあったといえる。
すごいことです。
なにせ技術に3万年の歴史がある!

この磨製石器をめぐって、3つめの感動的なお話が、この石器の発見をめぐるお話です。

冒頭の写真でご紹介した群馬県みどり市の岩宿遺跡で発掘されたこの石斧は、発見されたのが、戦後間もない昭和21(1946)年のことです。

発見者は相沢忠洋(あいざわ ただひろ)さんという方で、東京、羽田のお生まれの方です。
8歳のとき、鎌倉に転居し、そこで考古学に目覚めたのだそうです。
鎌倉といえば、日心会の故bbさんが鎌倉ですが、彼女も考古学や民俗学が大好きで、主婦でありながら研究活動をずっと続けておいでだった。
鎌倉という街には、なにかそういう民族や考古に人を目覚めさせる力があるのかもしれません。