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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成24年(2012)1月21日(日曜日)
       通巻第603号  
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(読者より)
宮崎正弘氏の書評に関して私の福澤諭吉論
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                       多田 彰矢

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 宮崎正弘氏による新保祐司氏『内村鑑三 別冊〈環〉18』の書評を拝読。私はまだ新保氏の文章そのものを読んでいないのでそれについては何もいう立場にないが、宮崎正弘氏が書評の末尾に書かれた「しかし近代日本は福澤諭吉路線を歩み、戦後は『経済至上主義の吉田ドクトリン』を歩み、みごとなまでの正気を失ったのである。」という文章は、文脈的に山折哲雄の「近代日本にあった三つの選択肢」の内容の引用であると理解するが、これについて私は異論を表明せざるをえない。

山折哲雄氏は高名な宗教学者であり、私はかつて1,2冊その著書に目を通したことはあるが、それ以上深く読んだことはない。宮崎氏が書評で紹介された、近代日本は福澤諭吉、柳田国男、内村鑑三らの三つの思想的路線のなかで福澤を選んだ、という山折氏の解釈はそれなりに興味深い。
 戦前から福澤諭吉に対する評価は時代の変遷とともに揺れ動いてきた。明治維新直後の文明開化の時代には福澤はその思想的牽引者として崇められたが、明治十四年の政変以降福澤門下の慶應義塾出身者が政権から下野するや、以降は教育やジャ-ナリズムの世界を足場に活発な言論活動を展開していった。

下って昭和期に入り国家主義が台頭してくると福澤は欧米流自由主義の教祖と批判されるようになった。戦争が終わると今度は民主主義の旗手として、自由民権運動の植木枝盛などとともにもてはやされることになった。戦後民主主義を主導した論者たち、たとえば丸山真男などは彼らの思想的論拠として福澤諭吉を都合よく利用した。

 戦前昭和期において福澤を批判した者の代表は徳富蘇峰であろう。
徳富蘇峰は朝日新聞などに論陣を張って、福澤諭吉の「独立自尊」とは欧米流個人主義、利己主義のスローガンであるなどと舌鋒鋭くこれを攻撃したものである。
その度に当時慶應義塾の塾長であった小泉信三は反論を行っている。大東亜戦争がはじまっても徳富蘇峰の福澤批判は執拗に続いたが、小泉信三が、もし福澤諭吉が欧米個人主義の思想家でありその福澤が創設した慶應義塾が個人主義、利己主義を教える学校であるならば、支那事変や大東亜戦争にかくも多くの慶應出身者が醜の御楯として聖戦に赴き、身を君国に捧げた事実を徳富蘇峰氏は如何に説明されるのか、と開き直った反論を行ったらさすがの徳富蘇峰も沈黙したという逸話がある。(こうした言説を捉えられて戦後小泉信三は戦争協力者扱いされた。)

 一方で左翼陣営においては、特に福澤諭吉をその「脱亜入欧」論をもって、日本帝国主義のアジア侵略のイデオロ-グと非難攻撃する。
しかし福澤は決してアジアを蔑視していたのではない。よく知られているように、福澤は支那(当時の清国)の革命派や金玉均など朝鮮の独立改革派を物心両面で支援した。日清戦争において福澤と慶應義塾は、この戦争は封建的中華秩序を打倒し、アジアを進歩化させる正義の戦争であると全面的に支持した。そして自らの力で改革をなしえない支那や朝鮮の現状に絶望した結果が、「脱亜入欧」論であったといえる。

かつて福澤諭吉嫌いの一人が保田與重郎であった。保田の福澤嫌いの最大の理由が「痩我慢の説」で福澤が行った維新後「変節」して新政府に仕えた勝海舟や榎本武揚ら旧幕臣批判であった。
福澤は確かに封建主義の最大の批判者である。しかし、一方で福澤の精神的バックボ-ンはあくまで尊皇と武士道にあった。若い頃の福澤にはかなり論理的に相手を徹底的に追い詰める、情よりも理を優先させる、いわば若気の至りとも思えるところがある。しかし福澤が、函館戦争直後ひそかに榎本武揚の助命運動に奔走したことは余り知られていない。福澤も榎本武揚が維新後の日本にとって必要欠くべからざる大切な逸材であることを十分に分っていたのである。
 
最大の封建主義批判者であった福澤が最も敬愛したのが西郷隆盛であった。
現在の価値観からみれば、木戸孝允や大久保利通らの近代化派が進歩であり、西郷隆盛らの武装決起士族集団はまさに頑迷固陋な反動的封建主義者であろう。しかし福澤は西郷の人柄と武士らしい生き方を愛し、その死を誰よりも惜しんだのである。

 福澤が何よりも重視したのが「独立自尊」であることはいうまでもない。これはかつて徳富蘇峰らが批判したような個人主義、利己主義の思想ではなく、一身独立して一国独立するという個人と国家の関係を明確にし、幕末維新の当時如何に欧米列強がアジアを植民地支配していたかを知るがゆえの危機感から発せられて福澤のテ-ゼであった。明治のある時期までは福澤諭吉の考えが政府に影響を与えたであろうが、以降は日本の進路は違った方向にかうことになる。従って日本が現在までずっと福澤諭吉路線を歩んできたというのは事実に反する。ましてや戦後70年近くになるのにいまだに多くの外国軍基地が国内に置かれ、主体性なき政府が米国や中国の顔色をうかがう「独立自尊」とほど遠い日本の現状を福澤が見るならば嘆くに違いない。
 
福澤諭吉も内村鑑三もともに西郷南洲を敬愛し、武士道精神を背骨にもっていた点では全く同じである。
また福澤諭吉には『帝室論』と『尊皇論』という二つの文があり、これは平沼赳夫氏監修の下池田一貴氏現代語訳による『福沢諭吉の日本皇室論』としてまとめられている。(島津書房刊)現代でも通用するまことに堂々たる尊皇論である。関心を持たれる向きには是非ご一読をお勧めしたい。

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 皇紀二千六百七十二年【二十八回】紀元節奉祝式典の御案内
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紀元節奉祝式典の御案内
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紀元の佳節たる二月十一日、神武天皇肇国の古を偲び、第二十八回「紀元節奉祝式典」を開催致します。国難来たる中、元拓殖大学総長、前日本の建国を祝う会会長の小田村四郎先生を講師と迎へ、尊台のご参列を仰ぎ、共に敬神尊皇の誠を捧げ攘夷討奸の誓ひを新たに致したく、茲に謹んでご案内申し上げます。

とき   平成24年2月11日(祝・土)午後3時30分開場 4時~6時
ところ  日本青年館・地下中ホール(新宿区霞ヶ丘町7番1号)
≪会場への交通機関≫ JR総武線 「千駄ケ谷」「信濃町」駅徒歩9分、東京メトロ銀座線 「外苑前」駅徒歩7分。都営地下鉄大江戸線 「国立競技場」駅徒歩9分

式次第 【紀元節祭】神武天皇即位建都の大詔奉読・浦安の舞奉納・紀元節の歌奉唱他
記念講演 小田村四郎先生(元拓殖大学総長、前日本の建国を祝う会会長)「紀元節に想ふ」
参加費   1000円(学生無料)
事前の申し込みは不要です。当日直接会場にお越しください。
主 催:紀元節奉祝式典実行委員会

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