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月のせいで、そんなに暗くなかった。
艦は三〇 度くらい傾いていたのではなかったか。
山口司令官の訣別の訓示は、
皆のお陰で、他の三空母(赤城、加賀、蒼 龍)の分もやった。
敵空母二隻と巡洋艦一隻をやつけたと、我々はそのときそう信じていた。どうもありがとう。
しかし、飛龍をみて分かるとおり内地に帰還するだけの力ははすでにない。
艦長と自分は、 飛龍とともに沈んで責任をとる。
戦争はこれからだ。
皆生き残って、より強い海軍を作ってもらいたい、と訓示した。
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その場にいあわせた生存者全員は、日本の方向に向き直り、山口長官の音頭で万歳をとなえます。
軍艦旗と将旗 がおろされ、退艦儀式が手順どおりに進みます。
御真影(天皇・皇后両陛下の額入りの写真)を背におぶった主計兵曹を先頭にたて、負傷者、搭乗員、艦内勤務者の順に退艦する。
駆逐艦二隻が接近してきて、短艇をくり出す。
山口を師と慕う主席参謀伊藤清六中佐が、このとき、「司令官!」と大きな涙声で呼びます。「何か頂く物はございませんか」
山口多聞は、ふり向くと、ニヤリと笑い、
「これでも家族に届けてもらうか」と頭にかぶっていた黒の戦闘帽を脱きます。
伊藤中佐が受け取ると、山口は「それをくれ」と腰に下げていた手ぬぐいを指さします。
空母が沈むとき浮き上がらぬよう 、自分の体をどこかにくくりつけるつもりだったのでしょう。
日付が変わった六日午前二時、白煙を上げながら漂う「飛龍」に、駆逐艦「巻雲」から二本の魚雷が発射されます。
山口多聞、享年49歳。
戦後、ハーマン=ウォークという作家が、「リメンバランス、オブ・ウォー」という本を書いています。
彼はこの本の中で、次のように書いています。
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ミッドウェー海戦で米国太平洋艦隊の航空母艦が失われれば、海上で日本軍の侵攻を止める術がなくなるから、陸軍の主力を西海岸に配置しなくてはならない。
そのため、ヨーロッパや、北アフリカでイギリスを助ける力が弱まり、(中略)イギリスは絶体絶命となり、ヒトラーがヨーロッパの勝者になった可能性が高くなったであろう。
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ヒットラーの勝利はともかくとして、もし帝国海軍が山口多聞の言を入れ、ミッドウエーにおいて、空爆による敵空母粉砕を実現していたら、おそらく、その後の世界史はまったく別なものになっていたであろうことは、想像に難くない。
山口多聞は、当時もいまもこれからも、世界の海軍史上に名を残す名提督です。
そんな提督がいた帝国海軍を、誇りに思います。





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