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日本の心を伝える会メールマガジンNo.419
20121/1/13(金曜日)
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1山口多聞(2/2)
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1山口多聞(2/2) ◆
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<昨日からの続き>



歴史というものは皮肉を教えてくれます。

南雲中将は、水雷畑の出身で「水雷の権威」で「航空戦」にはズブの素人です。
それをいきなり航空艦隊の総帥に任じられたのは、年功序列を重んじる海軍の平時の人事の発想であったといえるのかもしれません。

航空に素人の南雲中将が上官で、プロの山口がその指揮下に甘んじていた。

もし、山口多聞少将が真珠湾機動部隊を指揮していたら、ハワイの軍事施設を徹底的に叩いていたであろうし、米空母艦隊を求めて決戦を遂行したであろうと思われます。

すでにこの時点で、米国太平洋艦隊は、戦艦を失っています。
いわば空母はまる裸状態にあったのです。
もし南雲中将が山口の意見を入れ、真珠湾の港湾施設の徹底した破壊後、米空母を追い詰めていたら。
すくなくとも、以後の大東亜戦争の帰趨は、まったく違ったものとなっていたであろうことは、想像に難くないです。

そもそも戦争というものは、平時とは異なるものです。
やるからには下手な情け無用で徹底的にやる。
そうしなければ、結果としてこちらがヒドイ目に遭い、多くの日本人のかけがえのない命が失われてしまうのです。
明治以降の日本の戦史を見ると、そのことをいやというほど思い知らされます。

古来、日本人は平和を愛する民です。
しかし、戦時における下手なやさしさは、かえって事をややこしくし、結果として多くの日本人の命を奪う。
そのことは、いまを生きる日本人が歴史から学ぶ教訓として、しっかりと再認識すべきことではないかと思います。

平素はやさしくて温和だが、ひとたび怒らせたら徹底した報復を行う。
残念ながら、これが国際政治において最も求められる姿です。


さて、開戦から半年後の昭和17(1942)年6月、ミッドウェー海戦が起きます。

海戦に先立ち、山口は、戦艦大和の艦上で行われた研究会で次のように述べています。

~~~~~~~~~~~
ミッドウェーは、日米両海軍の決戦場である。

そのために、これまでの艦隊編成を抜本的に改め、空母を中心とする機動部隊を編成すげきである。

空母の周辺に戦艦、巡洋艦、駆逐艦を輪形に配置し、敵機の襲来に備え、少なくとも三機動部隊を出撃させるべきである。
~~~~~~~~~~~

しかし、山口多聞の提案はうやむやされてしまいます。
しかもアリューシャン作戦で戦力は分断され、ミッドウェーには真珠湾作戦よりも二隻少ない四隻の空母での出撃となった。

ミッドウエー海域で、敵の機動部隊接近の報を得た山口は、すぐに各艦の艦載機を発進させるように南雲司令部に進言しています。

進言の時点で、各空母の攻撃機はミッドウェー空襲のために、陸用爆弾を抱いて装備していました。

船は当然、魚雷でなくては沈みません。
しかし、山口は攻撃機の爆弾を魚雷に変える時間を惜しみます。

まず、陸用爆弾で敵空母の甲板を破壊して動きを封じ、海戦の主導権を握るべきだと主張します。すくなくとも敵空母の甲板に穴が空いたら、敵航空部隊は出撃できず、仮に出撃していたとしても、最早帰還できずに、燃料切れとともに海に没するしかなくなる。

しかし、南雲艦隊司令部は、魚雷による攻撃と、護衛戦闘機の準備ができていない事を理由に、艦載機の発進を見合わせてしまいます。

これが仇になります。初動の対応を遅らせてしまったのです。
敵に先手を許してしまう。

午前七時すぎ、雲間から突如襲来した敵爆撃機によって、連合艦隊は、瞬時に「赤城」、「加賀」、「蒼龍」の3空母を失ってしまいます。

七時一〇分、三空母が黒煙と焔を噴出したことを知った山口は、搭乗艦の「飛龍」から艦隊司令部に「全機今ヨリ発進、敵空母ヲ撃滅セントス」と電文を打ちます。
「飛龍」は、この時点で、奇跡的に無傷だったのです。

山口は、即座に第一次攻撃隊(艦爆一八機、艦戦六)を発進させる。

このとき、搭乗員に向かって彼は次のように述べています。

「ひとつ体当たりのつもりでやってくれ。俺も後から行く」


第一次攻撃隊を発進させた山口は、護衛艦の到達もまたずに、空母「飛龍」単独で米空母をめざして走り出します。

そして進撃しながら、艦隊司令部に「各損害空母には駆逐艦一を付け、主力部隊の方向 に向かわしめられたく」と要請した。
この時点で、これは要請とというより命令に等しい。

部下が上官に命令したカタチになっているけれど、この時点では、もはや他に選択肢はなかった。生き残った艦隊は、飛龍のあとを追います。

九時一〇分、「飛龍」を発進した第一次攻撃隊が、敵空母「ヨークタウン」を捕捉します。
敵空母からは、猛烈な対空砲火があったけれど、第一次攻撃隊は砲火をかいくぐって爆弾を投下し、これを命中させた。

一〇時三〇分、山口の指揮する「飛龍」は第二次攻撃隊の雷撃機一〇、 艦戦六を発進させ、同時に第一次攻撃隊を収容する。
生還した機はわずか六機です。

一一時四五分、第二時攻撃隊が敵空母に到達し、魚雷二本命中させます。

山口は、これで二隻の敵空母をやっつけた。残りは空母一隻と判断したといわれるけれど、実は、第二次攻撃隊が魚雷を撃ち込んだのは、同じ空母「ヨークタウン」だった。
つまり、米空母はこの時点で、まだ二隻が無傷だったのです。

一二時二〇分、山口は、司令官、第三次攻撃の実施を薄暮に延期することを決定します。
第二次攻撃隊の被害も大きく、残存の飛行機がほとんど底をついていたのです。
乗員の疲労も極限に達していた。

午後二時、疲れ果てた「飛龍」に、敵爆撃機一三機が飛来します。
敵は、上空から、太陽を背にして急降下してきた。

このときの「飛龍」艦長、加来止男大佐の操艦は、歴史に残る名操艦です。

「敵機来襲!」

絶叫する見張員の声に、即座に回避運動に移り、敵の爆弾を七発まで躱(かわ)した。

しかしそこまでで、力つきます。

見張員が叫び声をあげたのが二時一分、そして二分後には四発の爆弾が、「飛龍」に続けざまに命中した。

最初の命中弾は、前部の昇降機(飛行機を甲板に上げるエレベーター)にまともに当たり、昇降機をひきちぎって、空高く放り上げます。

舞い上がった昇降機が、艦橋の前面に激突する。
艦橋は、前面ガラスが粉みじんに割れ、その破片が山口司令官や加来艦長の頭上に降りそそいだ。

「飛龍」は、一時的に操艦不能になります。

操舵を失っても、「飛龍」は、走りつづけます。

日暮れどきになって、ついに「飛龍」はエンジンが停止する。

海面が静かな月光に照らされる。
夕凪の洋上を、「飛龍」が漂い始めます。

浸水がはじまる。
艦が左に傾き始める。

深夜になって、艦橋の艦長加来大佐は、側に立つ司令官山口多聞少将に、

「残念ながら、飛龍の運命もこれまでと思います。総員退去の許可を求めます」と言った。

山口は、黙って加来とともに、火の手が回っていない飛行甲板の左舷部に降ります。

そこには汗と煤煙に汚れた800名の乗組員がいた。
彼らは二人を取り巻きます。

このときの様子を、当時飛龍飛行長だった川口益(すすむ)氏が語っています。

~~~~~~~~~
月のせいで、そんなに暗くなかった。
艦は三〇 度くらい傾いていたのではなかったか。

山口司令官の訣別の訓示は、

皆のお陰で、他の三空母(赤城、加賀、蒼 龍)の分もやった。

敵空母二隻と巡洋艦一隻をやつけたと、我々はそのときそう信じていた。どうもありがとう。

しかし、飛龍をみて分かるとおり内地に帰還するだけの力ははすでにない。

艦長と自分は、 飛龍とともに沈んで責任をとる。