山口多聞は、平素は無口でおとなしい人だったそうです。
学業優秀だから、いわゆる秀才でもある。とりわけ海兵四〇期というのは、粒よりの秀才ぞろいといわれた年次でもあります。

しかし、ひとつまちがうと、なにごとによらず、たちまち烈火のごとく怒りまくる。
体力にすぐれ、武道も強く、怒りだしたら始末におえない男でもあったそうです。

いまどきの日本男性は、怒らないことがまるで美徳のように育てられています。
しかし、筋の通らないことに怒るというのは、むしろ男子の美徳です。


昭和16(1941)年12月2日、連合艦隊は「ニイタカヤマノボレ、1208」との電報を受信します。
山本司令長官からの「12月8日に開戦と決す」という暗号電文です。

当日、空にはまだ月が残り、星も淡くまたたいていた早朝、六隻の空母の甲板上に、第一次攻撃隊全機が、爆音を轟かせます。

時刻到来とともに、空母はいっせいに風上に艦首を向け、スピードをあげる。

空母が十分な速度になるとともに、飛行甲板のから先頭の制空隊(零戦二一型)、水平爆撃隊(九七艦上攻撃機)、急降下爆撃隊(九九艦上爆撃機)、雷撃隊(九七艦上攻撃機)、合計183機が順に、飛び立ちます。

そして、空が明るさを増して、しばらくたったとき、攻撃隊総指揮官淵田美津雄中佐から、有名な「トラ、トラ、トラ」の暗号電報が飛び込んできます。

「ワレ奇襲ニ成功セリ」です。

待ちに待った電報です。

このとき、喜びに湧く艦橋で、山口多聞二航戦司令は、旗艦赤城にある艦隊司令部に向けて、

「ワレ 第二攻撃準備完了」と発光信号を送ります。

第二波攻撃の必要あり、許可を求む、としたのです。

米太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督が、戦後記した「太平洋海戦史」には、次のような記述があります。

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攻撃目標を艦船に集中した日本軍は、機械工場を無視し、修理施設に事実上、手をつけなかった。

日本軍は湾内の近くにあった燃料タンクに貯蔵されていた450万バレルの重油を見逃した。

この燃料がなかったならば、艦隊は数ヶ月にわたって、真珠湾から作戦することは不可能であったろう。
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実は、山口多聞は、真珠湾攻撃の二カ月前の「長門」での図上会議の席上でも、第三次攻撃として、真珠湾における燃料タンク、修理施設への攻撃を主張しています。

このとき、南雲忠一司令長官は黙ったままだった。

山口は、実際の真珠湾でも、第三次攻撃を準備し、その体制に入っていた。
しかし、いくら待っても旗艦「赤城」からは応答がありません。

双眼鏡を顔から離した山口多聞は、

「南雲さんはやらんだろうな」とつぶやいたといいます。

どれだけ悔しかったことか。

軍は、命令がなければ動けません。
独断専行は、決して許されない。

このとき、南雲中将は機動部隊を無事に帰還させることを優先し、初めから第二波攻撃を考えていなかったのです。

しかし、真珠湾攻撃の目的は、開戦とともに米機動部隊を撃滅させ、ハワイの港湾施設を破壊して米太平洋艦隊に後退を強いることにあります。
そうであるならば、燃料タンク、修理施設への攻撃は不可欠です。

だからこそ、山口は徹底した第二派攻撃を何度となく具申した。

しかも攻撃後の報告では、真珠湾に米空母がいなかった。
山口は、敵空母をさらに追い詰める旨を具申するけれど、南雲中将はこれも無視し、艦隊に北北西に進路反転を命じます。

このとき山口は、地団太ふんで悔しがった。


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