■小さな親切、大きなお世話 作家 曽野綾子氏の[イエスマンの国]に同感!
◆小さな親切、大きなお世話 作家 曽野綾子「イエスマンの国」
◆私は人生のほとんどを、一匹狼で通す作家という仕事に
◆マスコミの、言論統制であったことを、普通の人は知らない。
◆第3の波は特定の人に対する盲目的尊敬を強要
◆イエスマンはどの分野にもいる。
◆ふと思い出したのが例の「新しい教科書をつくる会」騒動
◆当地ドイツからこの一連の騒動を観察していて、
◆これが日本の保守文化人の実態だと思うと、うんざり!
◆私は西尾幹二氏も個人的には、かくかくしかじかの事情もあり
◆氏のインターネット日記にはこんな一節
◆折しも上海外交官自殺事件を厳しく吟味していた中西輝政理事に、
◆中西氏は賢い人で、逃げ脚が速いのである。
◆◇◆さてもわが新著
◆アマゾン第三弾としてNorio001 (東京都)氏より素敵な書評
◆政財官学をはじめ多様な領域の関係者による根強い抵抗に直面
◆原子力発電という産業が内蔵している病理とは、
◆報道や識者を動員し、いかなる認識操作が展開されているのか?
◆各国の思惑は、福島の過酷事故をいか新たなビジネス・チャンスに
◆本書は、独自の立場から、原子力産業の現状と今後に洞察


◆<<小さな親切、大きなお世話 作家 曽野綾子
イエスマンの国
(美シキ日本ノ生活より)
http://storymachine.blog65.fc2.com/blog-entry-59.html

<< 先頃、オリンパスの元社長、
ウッドフォード氏が日本人の経営陣には「イエスマン」
ばかりだったから、あのような結果になった、と発言した。
彼は会社にとっては新参で外国人だったので、
唯一思ったことを述べられる立場にいたのであろう。
 
◆私は人生のほとんどを、一匹狼で通す作家という仕事に
就いていたのだが、時々出版の世界にも「イエスマン」
がいたことを思いだす。
 
私は昭和も30年近くなってから作家生活に入ったのだが、
それ以来ごく最近まで闘ったのは、新聞雑誌テレビなどの
◆マスコミの、言論統制であったことを、普通の人は知らない。

初期の頃、新聞は創価学会に対する批判は一切許さなかった。
広告収入の第一のスポンサーだったからだろう。
 
第2の波は、中国におべっかを使った時代である。
中国の批判記事は署名原稿でも書き換えを命じられ、
それを拒否するとボツになった。
産経新聞以外の全マスコミが、足並み揃えて中国や時には
北朝鮮礼賛もしたのに、それを謝罪したマスコミは一社もない。
 
◆第3の波は特定の人に対する盲目的尊敬を強要し、
その人に対するいかなる批判も許さなかったことだ。
司馬遼太郎氏に対する批判記事には、新聞社の幹部までが
異常な反応を示し、その部分の訂正を求めて来た。
しかしこれは司馬氏の責任ではない。
 
第4の波が、差別語に対する長い年月に及ぶ執拗な言葉狩りだった。
一例をあげると、らいという病気は「らい」が正確な病名だが、
ハンセン病と表記しないと許されない。

最近でこそ、かなり多くの新聞とほとんどの雑誌がそうした圧力を
掛けなくなったが、私の作家としての半世紀はこの差別語狩りと
闘うことも大きな心理的な仕事だった。
 
差別の心理は、個々に批判されてしかるべきだ。
しかし現世では差別語も必要なのである。
なぜなら作家は善ばかりでなく、悪も書くのだから、悪を表す表現も
残しておかねばならないのである。
 
戦後、日本の官庁にも会社にもマスコミにも、そして家庭にも、
イエスマンばかりがはびこった。
理由ははっきりしている。
人々が物質的な安定を生涯の希望とした結果、教育も勇気ということを
全く教えなくなったからだ。
つまり正しいことを意識し、自分の思想を持ったら、結果として
言うべきことは言い、時には出世はもちろん命の危険にかえても
自分の思想を通すべきだ、などと誰も言わなくなったのだ。
 
◆イエスマンはどの分野にもいる。
もちろん芸術家にもいる。
学界にも学閥を泳ぎ切るために、
世にも醜悪なイエスマンが増えた、と私に教えてくれた人がいた。
 
かつて中国は「批孔」と称して孔子の思想の一切を否定する
社会運動を起こした。
それ以来、半世紀も経たないのに、
今ノーベル平和賞に対抗した「孔子平和賞」なるものを作り、
しかもそれを政治的に使おうとしている。
魂から、香気ではなく臭気が匂うというものだ。
ただイエスマンになるのを防ぐには、組織をクビになっても
何とか生きていける道を、常日頃用意していなければ
ならないだろう。
私の場合それは畑作りで、今も細々とやっている。
 (その あやこ)>>

さても上記の文中に
<<
◆イエスマンはどの分野にもいる。
もちろん芸術家にもいる。
学界にも学閥を泳ぎ切るために、
世にも醜悪なイエスマンが増えた、と私に教えてくれた人がいた。>>
とありますが、これと関連して、
◆ふと思い出したのが例の「新しい教科書をつくる会」です。、
この会は1997年1月30日 創立総会を開き、初代会長・西尾幹二、
副会長・藤岡信勝とし、それなりに成果を得て、社会的にも脚光を
浴びることになったものです。
ところが2006年1月17日、西尾幹二名誉会長辞任。
代りに若い世代に要職がバトンタッチされ八木秀次が会長に
就任したころから、内部紛争が発生し始めます。
1)2006年2月27日、無断での中国旅行などを咎められ、
八木秀次が会長職を辞任。種子島経が、会長職就任。
2)2006年3月28日 八木理事が副会長に就任。7月での
評議会で会長就任説流れたころから、西尾氏が内部事情をネット
で盛んに自分流の解釈で暴露しはじめ一挙に新旧間対立が激化。
3)2006年4月30日 種子島経会長、八木秀次副会長、揃って辞任。
「つくる会」も離れることを発表。
同時に、新田均事、内田智理事、勝岡寛次理事、松浦光修理事辞任
。会を離れる。
4)2006年6月30日 八木、つくる会と袂を分かつ形で
「日本教育再生機構」を設立。会は二つに分裂。。
◆当地ドイツからこの一連の騒動を観察していて、舞台が教科書という
子供の教育に直接関わっているだけに、内心『恥を知れ』と思ったものです。
とりわけ西尾・藤岡両氏の恥も外聞も無い八木氏を中心とする新勢力、
若手台頭阻止としか言いようのないいやがらせに辟易し、
私など、一貫して八木氏声援に回り、激励したものでした。、
しかもそこで繰り返された醜い様々な喜劇的人間模様を目撃するにつれ、
◆これが日本の保守文化人の実態だと思うと、うんざりしたものでした。
しかも彼らの世渡りの上手なこと!
A)どちらにもいい顔をして二股で、点稼ぎをする人、
B)いったいどちらが有利か様子をみつつ、有利なほうへあたふたと
駆け込む人。
C)これを機会に、どちらかに自分の顔を売り込んで、役員に名を連ね
あやよくば文化人としてマスコミなどで有利な立場にたつことを
企む人、その他もろもろ・・・・
   ◆私は西尾幹二氏も個人的には、かくかくしかじかの事情もあり
信頼していない一人として距離をおいていますが、その氏の
◆インターネット日記にはこんな一節があるのを発見しました。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=447
日記は2006/9/13 水曜日とありますから「つくる会」紛争真っ只中のこと。
<<中西輝政氏は直接「つくる会」紛争には関係ないと人は思う
であろう。
確かに直接には関係ない。水鳥が飛び立つように
危険を察知して、パッと身を翻して会から逃げ去ったからである。
けれども会から逃げてもう一つの会、「日本教育再生機構」の
代表発起人に名を列ねているのだから、紛争と無関係だとも
いい切れないだろう。
 
 読者が知っておくべき問題がある。
八木秀次氏の昨年暮の中国訪問、会長の名で独断で事務職員だけ
を随行員にして出かけ、中国社会科学院で正式に応待され、
相手にはめられたような討議を公表し、「つくる会」としての
定期会談まで勝手に約束して来た迂闊さが問われた問題である。
中国に行って悪いのではない。たゞ余りに不用意であった。
◆折しも上海外交官自殺事件を厳しく吟味していた中西輝政理事に、
会としてこの件の正式判定をしてもらうことになった。
高池副会長が京都のご自宅に電話を入れた。
その日の夕方、中西氏からそそくさとファクスで辞表が送られてきた。