ただし北朝鮮もこのままではどうしようもないのであるから、変化させて行かざるを得ない。変化の方向は、「中共化」と言うことになるであろう。それは共産主義政権のままで、経済を一定程度自由化することである。すでに金正日の時代にその方向への動きが見られていた。つまり今後、核の放棄を最大の切り札として、アメリカ・日本などと正式な国交を成立させ、経済開放が促進されると考えられる。日本は、植民地支配の償いとして、巨額な経済援助を提供することになるだろう。
そればかりではない。その時、拉致被害者は帰って来るかもしれないが、日本人妻とその親類縁者の多数が帰国するだろう。更には不法難民ならぬ合法移民が、大量にやってくるであろう。つまり、北朝鮮問題が解決しからと言って、我が国にとって喜んでいられない状態になることは、充分に覚悟しておかなければならない。目先のことにガタガタ騒でいる暇があったら、キチンと歴史を回顧して、今後の行く末を見極めることが大切である。
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◎奥山篤信 イタリア映画「ミラノ、愛に生きる Io sono l'amore/I am Love」2009 ☆☆☆☆
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この美しい映写技術そしてイタリアの名門富豪の家の調度品や美術品の数々、そして料理の本隋が次々でてくるが、まさに超一級の本物を経験したことがある者だけが作れる作品である。イタリアのビスコンティ監督の完璧主義を踏襲するイタリア美学映画として堪能させてくれる。監督・脚本はパレルモ出身のルカ・グァダニーノ 10年弱かけた構想だけある緻密な仕上がりである。自然の美しさ、逆光線を利用した間合い、足音や生活音を誇張したサウンド効果、とにかくまばゆいばかりの自然と室内の美しさである。
ストーリーはイタリアで先代が創業した織物財閥一家、それも新しい時代とともに斜陽、二代目は事業の売却による金融虚業へ、三代目は祖父を尊敬するあまり事業墨守を考える。二代目夫人はロシアから玉の輿にてイタリア名門と結婚、過去は名前ごと忘却のかなたに。ただ得意のウーハという料理で子育てをしてきた。ロシアの血を引く三代目の子供たちのうち長男は母親譲りのロシア気質をもっている。バイセクシュアルであり料理人の他ガールフレンドもおり孕ませている。そんな料理人に50歳にもなって熱を上げた夫人の盲目的野性的愛欲の世界をサン・レモの山奥の料理人の山合いの美しい小屋で繰り広げる。チャタレー夫人を彷彿させる自然主義がここにある。美しいサン・レモのショッピング街が映し出されて、懐かしい気分にさせられる。
そんな母親の秘め事に気がついた長男、それも友人のホモの間柄の料理人、そして最大の裏切りは家族だけのとっておきのウーハの料理のレシペを料理人に教え、それが事業を売った相手との晩餐ディナーに供されたのだ。怒り狂った長男は歓談中のディナーを蹴り去る、それを追う母親、そして裏切り者と罵る長男を抱こうとする母親を突き放した拍子にプールに転落頭部を骨折して死去する悲劇が。まさにギリシャ悲劇を彷彿させる。
葬式の日何も知らない夫は憔悴し呆然として聖堂に立ちすくむ、雨にずぶぬれの妻を優しく慰める。意味ありげに鳩がドーム天井にてばたつく。神の霊に逆らい妻は言う。<私はアントニオ(料理人)を愛しているの>こんなときエゴに満ちた冷酷な支配階級の実業家の地が露骨に出る。<お前はこの家に存在しない。>とだけ言ってほんの五分前に優しく妻を覆った自分の上着をむしり取り怒りを籠めて立ち去るのだった。
狂乱の母そして息子の恋人は一粒種を宿していたがショック流産の暗示、長男との富豪の家との架け橋を完全に喪失した2人の女は長い間抱擁するのだった。冷酷な現実、非情な富豪まさに富豪だからこそ有りうる話なのだ。
そしてアントニオの元に行く母親。
淫らなのか真実の愛を求めてなのか、アカデミー賞を受賞したティルダ・スウィントンが赤裸々に肌から弾力性が衰えた女性の上半部をさらけ出すリアリズム、そしてその品格と見事な演技には舌を巻く。ちなみにティルダ・スウィントンの父方の祖先はスコットランドの名家、母親はオーストラリア人。1983年にケンブリッジ大//
そればかりではない。その時、拉致被害者は帰って来るかもしれないが、日本人妻とその親類縁者の多数が帰国するだろう。更には不法難民ならぬ合法移民が、大量にやってくるであろう。つまり、北朝鮮問題が解決しからと言って、我が国にとって喜んでいられない状態になることは、充分に覚悟しておかなければならない。目先のことにガタガタ騒でいる暇があったら、キチンと歴史を回顧して、今後の行く末を見極めることが大切である。
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◎奥山篤信 イタリア映画「ミラノ、愛に生きる Io sono l'amore/I am Love」2009 ☆☆☆☆
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この美しい映写技術そしてイタリアの名門富豪の家の調度品や美術品の数々、そして料理の本隋が次々でてくるが、まさに超一級の本物を経験したことがある者だけが作れる作品である。イタリアのビスコンティ監督の完璧主義を踏襲するイタリア美学映画として堪能させてくれる。監督・脚本はパレルモ出身のルカ・グァダニーノ 10年弱かけた構想だけある緻密な仕上がりである。自然の美しさ、逆光線を利用した間合い、足音や生活音を誇張したサウンド効果、とにかくまばゆいばかりの自然と室内の美しさである。
ストーリーはイタリアで先代が創業した織物財閥一家、それも新しい時代とともに斜陽、二代目は事業の売却による金融虚業へ、三代目は祖父を尊敬するあまり事業墨守を考える。二代目夫人はロシアから玉の輿にてイタリア名門と結婚、過去は名前ごと忘却のかなたに。ただ得意のウーハという料理で子育てをしてきた。ロシアの血を引く三代目の子供たちのうち長男は母親譲りのロシア気質をもっている。バイセクシュアルであり料理人の他ガールフレンドもおり孕ませている。そんな料理人に50歳にもなって熱を上げた夫人の盲目的野性的愛欲の世界をサン・レモの山奥の料理人の山合いの美しい小屋で繰り広げる。チャタレー夫人を彷彿させる自然主義がここにある。美しいサン・レモのショッピング街が映し出されて、懐かしい気分にさせられる。
そんな母親の秘め事に気がついた長男、それも友人のホモの間柄の料理人、そして最大の裏切りは家族だけのとっておきのウーハの料理のレシペを料理人に教え、それが事業を売った相手との晩餐ディナーに供されたのだ。怒り狂った長男は歓談中のディナーを蹴り去る、それを追う母親、そして裏切り者と罵る長男を抱こうとする母親を突き放した拍子にプールに転落頭部を骨折して死去する悲劇が。まさにギリシャ悲劇を彷彿させる。
葬式の日何も知らない夫は憔悴し呆然として聖堂に立ちすくむ、雨にずぶぬれの妻を優しく慰める。意味ありげに鳩がドーム天井にてばたつく。神の霊に逆らい妻は言う。<私はアントニオ(料理人)を愛しているの>こんなときエゴに満ちた冷酷な支配階級の実業家の地が露骨に出る。<お前はこの家に存在しない。>とだけ言ってほんの五分前に優しく妻を覆った自分の上着をむしり取り怒りを籠めて立ち去るのだった。
狂乱の母そして息子の恋人は一粒種を宿していたがショック流産の暗示、長男との富豪の家との架け橋を完全に喪失した2人の女は長い間抱擁するのだった。冷酷な現実、非情な富豪まさに富豪だからこそ有りうる話なのだ。
そしてアントニオの元に行く母親。
淫らなのか真実の愛を求めてなのか、アカデミー賞を受賞したティルダ・スウィントンが赤裸々に肌から弾力性が衰えた女性の上半部をさらけ出すリアリズム、そしてその品格と見事な演技には舌を巻く。ちなみにティルダ・スウィントンの父方の祖先はスコットランドの名家、母親はオーストラリア人。1983年にケンブリッジ大//