----------------
Webで見る(バックナンバー) ⇒ http://www.melma.com/mb/backnumber_149567/
----------------


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成23年(2011)12月24日(土曜日)
       通巻第595号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 書評特集号です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  ♪
『ヒタメン』(岩下尚史 雄山閣)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

西 法太郎

能で面をつけないことを直面と書いて「ひためん」いう。
素顔の三島由紀夫と濃密なときを共有した女性の物語が一昨年同じ著者により『見出された恋』のタイトルで上梓された。
戯作仕立てだが女性の記憶の通りに書かれたそうだ。そこには女性の本名や三島の名前も出てはいない。
『ヒタメン』にはその女性が本名で登場し、相手が三島だということも明かして著者のインタビューにこたえている。なんと三島とのツーショット写真もある。

三島と三年間の濃密なときを持ったのは、今も赤坂にある割烹料亭若林の経営者の娘で豊田貞子という女性だ。
「あのくらい純粋で、良い人はなかった。三年のあいだ、わたくしは公威(こうい)さんのやさしさにつつまれて、毎日ほど会っていながら、ただの一度だって、可厭(いや)な、不愉快な思いをすることはなかった」と貞子はなつかしそうに繰り返し語ったという。

貞子は―慶応義塾の女子高校を卒業したばかりの十九の娘ざかり、親掛りの結構な身の上は、住み込みの女中が附いて手足の代わり、起きたい時に床を上げ、浴みをして化粧を済ませ、ひんやりと真新しい襦絆を纏いながら、呉服屋から届いたばかりのきものと帯を畳紙から衣桁に掛けて目を通し、意に叶えば仕付を取って肩から袖に、自分は人形のように動かぬまま帯を締めさせ――日髪を贅沢とは知らず、毎朝銀座まで車を雇って髪結いに通うほかは、花鋏茶帛の稽古も気分次第、何といって決まった用はなく、そのくせ派手な気性は外出を好み、今日も芝居を見物するとあって、朝から身拵えに余念がない―
―歌舞伎座の破風が見えるあたりに指し掛ると、眉の秀でて、眼元のすずやかな、白皙の青年が真っ直ぐに、此方を見ながら近づいて来る。
「先日はどうも。此処の楽屋でお会いしましたね」 男は名刺を出して何やら書き付けると、一寸はにかんだ笑顔で、「じゃ、ここで待っていますから、お茶でも飲みましょう」と名刺を示して渡すと、いと爽やかに三原橋のほうへ消えた―。

こうして二人の逢瀬が昭和二十九年七月始まった。二人の濃厚濃密なやり取りについては両書に譲るが、三年後の春この交際をジ・エンドにしたのは貞子(『見出された恋』では満佐子となっている)の方からだったそうだ。
―ついに満佐子は男から離れた。前の晩に、いつものように男から、明日は此処で待ち合わせを、と渡された名刺に書いている場所に行かなかっただけである?
―何の不自由も無い現在の生活と今の環境は絶対に変えたくない――それなのに男は最初から、現実を突き付けて満佐子に挑んだ。子供を産んで欲しい、家は欲しくないか、葡萄牙に一緒に移住して欲しい―そのたびごとに手強く拒んでも、決して諦めようとはしないどころか、益々、その網の目を細かくし、満佐子を絡め取って虜にしようとした―
―それともうひとつは、男をあれほどの作家に育て上げた母親の存在の、未だ名乗りあわぬ内から、その家に嫁ぐことを怯えさせたことも事実である―のだという。

著者はその貞子の言に―しかし、それで言い尽されているのだろうか?―と疑問符をうつ。
―本当は、男が満佐子に結婚と言う現実を突きつけて置きながら、男の側に少しも現実感がなかったことに、満佐子が不安を感じたかのではあるまいか。克己心に富む男は、自らの目論む現実を実現させるために、先ず、鳴らぬ琴に妙音を奏でさせなければならず、そのために満佐子を、逸楽と陶酔の旅へ誘い出したのだろう。それまでの生活に未練を残す満佐子は、初めこそ拒んだが、熱心で誠実な男の囁きに、ついにはこれを諾って、男と手を携えて橋を渡ったのである。しかし、男の指し示す橋の彼方に、いくら満佐子が目を凝らして見ても、朧に翳むばかりの頼りなさ― その現実に、どんな男が連れて行こうとしても、足もとの見えない不安から、満佐子は男に寄り添って、歩を踏み出すことが出来なかったのかも知れない―

もしそうなら三島はその十年まえ、級友の妹三谷邦子を失った原因となった優柔さを抱えたままだったのだろう。
いずれにしても『見出された恋』は女性の側だけの記憶で構成されているから、どこまで信憑性があるのかとの疑念を評者(西)は持った。
著者は女性の本名、素性を明かしインタビューするかたちで『ヒタメン』を上梓した理由を同書《九章 おそらく最後の証言者―『鏡子の家』の女主人》で次のように述べている。

―一昨年、上梓した拙著『見出された恋』は、回顧談をもとに―というよりは、ほぼそのまま、下手な戯作に仕立てたことは、すでに端書に述べたとおりである。しかし、そのせいで、三島由紀夫に関心のある読者諸兄姉にとっては、あの物語の、どこがほんとうで、どれが作りごとか黒白(あやめ)のつかぬ、もやもやとした思いに迷わせたらしいことも、先の述懐で繰り返した通りである―

著者の歌舞音曲、粋の世界についての過剰な蘊蓄と貞子への慮りが読者を惑わせたと反省している。そして評者の疑念を晴らす努力が『ヒタメン』でなされていた。

―ここで、此のたびは、実名を掲げての聞書である以上、そこに語られた色懺悔のあれこれについて、あるいは貞子さんの名を借りた作者の虚言か・・・などと、要らざる疑いを招かぬ用心にも、三島由紀夫と豊田貞子さんとの恋の事情を深く知る、もうひとりの婦人に、ここはなんとしても、それこそ軍配団扇の房ながく、御登場願わなければならない―と心づいたわけで・・・・―

同書の白眉は湯浅あつ子へのインタビューを載せている《九章》にある、と評者は思う。三島についてのコメントがあれだけあつ子から取れたことは貴重である。瑶子との結婚に至るいきさつも詳しく触れられていて興味深い。

あつ子は、例の正田美智子との見合について―聞くところによると、三島由紀夫が然る高貴な方と、銀座の小料理屋でお見合をしたという風説があるようですが、そのような事はありません―と明確に否定している。
或るジャーナリストが三島と正田美智子の秘話として書いているが、情報源が故人となってから初めてそれは長岡輝子だった、彼女が親しくしていた三島の母倭文重から、息子が正田美智子と見合いをしてふられたと聞いていたと明かしても確かめようがない。
三島は宮内庁から頼まれて皇太子ご成婚をことほぐ「祝典カンタータ」の作詞をしている。正田家と三島家の間の縁談が破談していたなら宮内庁は三島にそれを頼むことはないだろうし、三島も引き受けはしなかったろう。
湯浅あつ子が実名でした証言はまことに貴重なのだ。

二十九歳から三十一歳の三島に、豊田貞子という女性は、男としてだけでなく作家としても多産で豊饒な果実をもたらしたことはたしかだろう。
詩を書く少年
女神
鰯売恋曳網
若人よ甦れ
海と夕焼
沈める瀧
班女
熊野
葵上
只ほど高いものはない
幸福号出帆
三原色
白蟻の巣
芙蓉露大内実記
新恋愛講座
小説家の休暇
大障碍
金閣寺
施餓鬼舟
橋づくし
鹿鳴館
永すぎた春
女方
道成寺
ブリタニキュス
・・・・
これらの作品のそこかしこに貞子との思い出が記され、あるいは貞子からヒントを得て書いたものもあるという。
まだ『見出された恋』を手に取っていなければ先ずこれを読み、それから『ヒタメン』の端書、《九章》に目を通して《一章》から《八章》と