神道の神様は今に生きる我々の遠いご先祖様にして、建国の英雄でもあり、国史を貫く悲劇の系譜を繋ぐ精神の象徴でもあります。記紀神話に登場する大神様から、お国お国にいらっしゃる氏神様にいたるまで、全国の神社にはそれぞれの由緒があり、神職さんと氏子によって大切にお祀りされ、人々から篤く崇敬されて参りました。本書には、戦後の神社受難の時代にあって、我が身を顧みることなく神社再興に起ち上がり、尽力された方々の物語や、故あって神職の道に進むこととなった方々の滅私奉公の記録が紹介されていますが、こうしたことは、我が国の戦後信仰史としても、大変貴重な証言であると思います。
私の暮らしている地区の氏神様は、普段は境内で人を見ることも希ですが、紅白歌合戦が終わって大晦日の日付が新しい年に変わる頃ともなると、老いも若きも村中の人が家から出てきたのではないかというほどに沢山の人で賑わいます。毎年この光景を眺めるたびに、日本人は根底まで腐敗したのではないことを確信しています。
クリスマスのバカ騒ぎには信仰や祈りは寸毫もありませんが、こうしてお正月を迎える時に、村人こぞって氏神様に集まって、来し方に感謝をし、来たる年が「良い年でありますように」と祈ることこそ、我が民族の気高い行いといえるのではないかと思います。この度の地震と津波によって非常に沢山の神社が被害にあったことと思います。
どうか、多くの人達の熱意と努力によってそれらの神々が再び起ち上がり、そこに暮らす人達の心の支えになってくれる日が来ることを、心からお祈りいたします。

「三島由紀夫とトーマスマン」林 進
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10年以上前に出版されていながら、今回読むまでこの本の存在は知りませんでした。偶然先月の読書日記でマンの「魔の山」を取り上げましたが、そのおかげで今回この本を読む上で理解が助けられるというおまけがつきました。
ただしマンの大著「ヨゼフとその兄弟」や「ファウスト博士」は文庫で出ていないこともあって今も未読の状態です。両著に関す言及も随所にあり、その辺りは充分に理解することはできませんでした。著者の林進氏は初めて聞くお名前でしたが、出版当時の奥付(平成11年)を見ると大谷女史大学教授となっています。
堅苦しい論文を覚悟していたのですが、さほど苦労することなく読み通すことができました。主題は三島さんとマンとの関係性ですが、ほぼ同時代のドイツに生きたゲーテとニーチェとの関連についても新鮮な読み込みがなされていて、大変興味深い内容です。
三島さんは終生ニーチェの「悲劇の誕生」を愛読し、アポロとディオニュソスという二元論についても言及しています。
秩序と陶酔、あるいは景行天皇と日本武尊という例えもできるのではないかと思いますが、日本武尊の悲劇に関して三島さんはこんな風に書いています。
「神人分離の悲劇的文化意志。詩と政治の間の理解の橋が断たれたこと。」三島さんの中で、文武両道に基づく英雄的末路とは、豊饒の海の完成と、豊饒の中で終幕を飾ること、すなわち自決であって、双方は相互に補完し合い、一対のものとして一方の完結はもう一方の完結を意味すると著者は言います。
著者はまたこうも言います。
「マンは市民と芸術家という二元論から編み出した市民的芸術家精神を守り通し、ゲーテ的な偉大さを表す老いの美学を実践したのに対し、三島はこのマンの老いの美学を知りながら、あえて筋肉で武装し美の創造者は自らも美でなくてはならないとする悲劇的美学をあるいは天才の美しい死をあらわす若さの美学を実践したのである。」
さて本書の圧巻は終章に置かれているファウストと悪魔との取引きに因む著者の思いを述べた箇所にあるのではないかと思います。三島さんは悪魔と契約することで、何を叶え何を売り渡したのか、そのことが著者の妄想とは言い切れない明確な言葉で指摘されています。
それは文学外の現実との黙約であったというものです。文学外の現実(自決)との黙約とは豊饒の海の完結である以上、そのときこそ命を捨てる時であるといっているのです。
三島さんは悪魔との取引で、文学と非文学(行動)の完結という対立する二元論の双方を達成したと著者は言いたかったのではないかと私は解釈しました。

「日本の文学史」保田與重郎
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