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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成23年(2011)12月20日(火曜日)
       通巻第593号 
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 大内保治さんのこと
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                           菅谷誠一郎(事務局長)

12月9日、長らく三島由紀夫研究会ならびに憂国忌を支えてくだった一人である産経新聞社OBの大内保治(おおうち・やすじ)氏が逝去された。
今年5月に肺ガンの診断を受け、抗ガン剤の投与を受けていたものの、治療の甲斐なく9日23時6分、享年62歳。
明治大学卒業後、産経新聞社に入社され、東京本社正論調査室の雑誌『正論』販売部長時代の平成13年には同誌を売上10万部にまで押し上げるという業績を達成された。産経新聞社での勤務は新聞部門の23年、月刊誌『正論』関連の10年を合わせると33年に及び、平成20年に同社を定年退職後は放送会社執行役員を経て、終盤はご自宅で古書のネット販売である「きまぐれ書房」を開業されていた。
公の場であっても決して目立とうとする方ではなく、常に謙虚さと洒脱さを同居させたようなお人柄であった。産経新聞社時代には一ヶ月の書籍代が5万円を超えることもあったほどの読書家であり、「きまぐれ書房」ではご自身の蔵書を販売品目に並べていらっしゃった。
決して薄利多売に傾くような営業スタイルはとらず、ご自身の基準だけに合わせて書籍の価値を決めるというこだわりようであった。

13日の通夜には弊会から憂国忌世話人の宮崎正弘、幹事の浅野正美、産経新聞社OBの高柳光明、友人として比留間誠司らが出席し、私自身は翌14日の告別式に出席した。通夜には産経新聞社長、専務等を含め400名近くが参集したと言う。
斎場である上野・寛永寺輪王殿の入口では知人の出版社社長が案内係として立ち、私を受付まで案内してくれた。
告別式には親族含め130人近くが出席し、会葬者の中には元衆議院議員・西村眞悟氏(たちあがれ日本・大阪府第17選挙区支部長)、特定失踪者問題調査会代表・荒木和博氏(拓殖大学海外事情研究所教授)、東洋史学者・宮脇淳子氏(東京外国語大学・国士舘大学講師)、『台湾の声』編集長・林建良氏、拓殖大学客員教授・黄文雄氏など各界の顔触れがあり、石原慎太郎東京都知事や自民党の衛藤晟一参議院議員、高市早苗衆議院議員、新しい歴史教科書をつくる会会長・杉原誠四郎氏(帝京平成大学教授)からも弔電が寄せられた。
冒頭で『正論』編集部の上島嘉郎編集委員と民主党・東祥三衆議院議員がそれぞれ弔辞を読み上げ、上島氏からは販売部長としての貢献や生前に吉田松陰の歌を好んで詠じていたエピソードについて、東氏からは平成10年の自由党結党以来の交流、特に小林秀雄などの書籍について教示を得ていたことが紹介された。
出棺の際にはベートーベンのピアノソナタからハ短調が葬送曲として場内に流され、クラシック愛好家でもあった故人を出席者一同で偲んだ。

私の記憶が正しければ、大内さんと最初にお会いしたのは大学時代の平成12年2月、大手町サンケイプラザで開催された講演会の席であったと思う。爾来、大内さんとは様々な会合で同席する機会を得たが、年頭の年賀状は産経新聞社退社後も欠かさずお送りくださり、講演会などの催事案内をFAXで頂戴することもしばしばあった。最初に年賀状をいただいた際、「私のようなものにまで」と恐縮したものだが、公私を問わず、人なつこさが特徴の方であった。
三島由紀夫研究会の公開講座には三浦事務局長時代からご出席くださっており、『正論』販売部長在任中には「これ、来た人に配ってよ」と言って、紙袋に入れた『正論』最新号20冊近くを受付で渡してくださったことが幾度かあった。
その後、司会者である私の判断で開演時に大内さんのお名前も紹介するようにしたが、ご本人はあまりそれを好んでいなかったようであり、「別に俺の名前なんか出さなくていいんだよ」とおっしゃっていた。

公開講座にお見えになった際、私たちが「どうぞ前方の席にお掛けください」と最前列の席をご案内しても、大内さんはこれを謝絶して必ず後方の席に座っていた。これは場内を見渡す位置にいたいという考えもあったようである。懇親会の席上では「早く食わないと、割り勘損になっちゃうよ」と笑いながら、食事に箸をつけ、他の出席者との間で懇談を楽しんでいた。
憂国忌には毎年賛助会員としてご助力くださり、直会で乾杯の時になると、私たち実行委員のグラスに黙ってビールをついてくださった。常に周囲への気配りを欠かすことのない人であった。
今年5月、靖国会館にて元外務事務次官を講師に招いた講演会が行われ、かねて出席を希望していた私も勤務先で休暇を得て出席した。開会間際に会場入りしたが、すでに場内は満席に近かった。その中に大内さんの姿もあり、いつもと同様、やはり会場後方に席をとっていた。講演会閉会後は立ち上がって場内の様子を静かに見守っていらっしゃり、「大内さん、どうも」と声をかけると、私のほうを向いて黙って頷いてくださった。

その日、東京は五月晴れの言葉があるように、暖かい静かな日であった。帰路につくため靖国神社の鳥居前に差しかかった時、後方から大内さんが「ちょっと待ってよ」と私に走り寄り、「これ、あげるよ」と言って一枚のチラシを手渡してくださった。その文面は「きまぐれ書房」への支援を乞う内容であったが、これが大内さんと私の永久の別れとなってしまった。
肺ガンの告知を受けたのが5月であったとのことであるから、私と会った時にはご自分の病状はすでにご存じであったのだろうか。今となっては知るよしもないが、私にとっての大内さんは最後まで生粋の新聞人であった。
最後の出会いが靖国神社であったということも何か因縁めいているような気がしてならない。

訃報の連絡をいただくまで私は大内さんの病状については知らなかったが、6月、入院先の駒込病院へ見舞いにうかがった弊会幹事・浅野正美によれば、その病室には全国紙や雑誌、書籍があふれ、ご本人からは後日、直筆の礼状が届いたという。
年明けには大内さんをお連れして伊豆の修善寺温泉に向かう計画もあったと聞くが、願いむなしく幽界へ旅立たれていった。
生前にいただいたご支援とご指導に感謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りする次第である。
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 随筆
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11月の読書日記
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  浅野正美

「光と断崖 最晩年のニーチェ」 西尾 幹二
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西尾先生の全集感想文は先生ご自身のブログ(11月16日)に掲載していただきましたので、下記アドレスからお読みください。
http://www.nishiokanji.jp/blog/

「神道と日本人」山村 明義
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本書は全国の神職100人以上から直接話を聞いて完成したという労作です。出版直前には東日本大震災が発生し、著者はこの災害と神道についても言及しています。我が国では神話に連なる万世一系の皇統を今に伝えるという、世界に例のない奇跡が続いています。
神道の神様は今に生きる我々の遠いご先祖様にして、建国の英雄でもあり、国史を貫く悲劇の系譜を繋ぐ精神の象徴でもあります。記紀神話に登場する大神様から、お国お国にいらっしゃる氏神様にいたるまで、全国の神社にはそれぞれの由緒があり、神職さんと氏子によって大切にお祀りされ、人々から篤く崇敬されて参りました。