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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成23年(2011)12月19日(月曜日)
       通巻第592号 
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三浦重周氏追悼特集 (その1)
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 6年前の12月10日に自決した元三島由紀夫研究会事務局長の三浦重周氏の七回忌の集い(早雪忌)がさる12月3日に都内で行われ多くの同志、友人が集まり、故人を偲びました。
その中から生前の三浦重周氏の人徳と業績が偲ばれる追悼挨拶をご紹介したいと思います。三浦重周氏をご存じない方もこれらの追悼文を目にされて三浦氏が如何に人から愛され、敬慕された思想家であったかお分かりになるものと思います。(三島研究会事務局)

 早雪忌開会の辞
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井上 正義(三島由紀夫研究会幹事)

 本日は、私共の師である 故 三浦 重周 七回忌早雪忌に多数の皆様の臨席を賜わり、発起人一同、心より御礼申し上げます。本日は生憎と冷たい雨が降っておりますが、思い返すと三浦先生の訃報が伝えられたのも、丁度このような寒い日でございました。あれから早や七回目の冬を迎えましたが、故人が生涯を捧げた祖国日本の現状はますます悪化混迷の度を加え、今や末期的症状に至っていることは、本日お集まりの皆様には釈迦に説法、改めて多言を要するまでもないことと存じます。
とりわけ、本年3月11日に東日本一帯を襲った巨大地震は言葉で言い表せないほどの惨状をもたらし、数万の同胞が犠牲になるという痛ましい事態となりました。敢えて誤解を恐れずに申し上げれば、これは腐敗堕落の極に陥った日本人に対し、三浦先生をはじめとする殉国の先人たちが、覚醒をうながすべく天上より下された警告であったと思います。突然の災害により、何の罪もなく亡くなられた方々は誠にお気の毒でありますが、維新の志士や日清日露大東亜戦に散華した英霊と同様、祖国の危難に殉じ、礎となった人々であります。
さて、東日本大震災はその後の日本に何をもたらしたでしょうか。
長らく日本を壟断してきた議会に巣食う党賊(民主党政権と自公など「野党」)どもは、危機に臨み、国民の苦難をよそに、ひたすら政争にふけり、権力亡者の姿を露呈しております。完全に統治能力を喪失し、現行憲法下で60余年にわたった議会政治は、最早破産したと言わざるを得ません。

一方、危険を顧みず、身を挺して被災同胞への避難誘導、救助、救援に当った自衛隊はじめ、警察、消防、自治体関係者などの活動、全国民的な支援の広がり、さらに、危難に臨んでも動揺することなく、他の同胞を思いやり、秩序を守りながら沈着、冷静に救援を待つ被災者の姿は、未だ変わらぬ東洋の君子国日本人の徳性の高さを示すものとして全
世界から賞賛を集めました。
そして、何よりも御自ら被災地に何度もご巡幸になられ、国民を激励される天皇とこれに涙する同胞の姿にこそ、あるべき日本の真姿を見ることができます。日清、日露の戦役に当って、軍服を着用し、前線の兵士と同じ生活をされたという明治大帝、全国を巡幸し、敗戦に打ちひしがれた国民を激励され、復興に立ち上がらせた昭和大帝のご事蹟を引く
までもなく、今上陛下も常に国民の中心におわして、国民と困苦を共にされているということ、国難に臨み、この事実が鮮明に現れてきたということです。

それであるなら、現下の日本を救う道も明らかです。心ある国民が一致結束中心に天皇を奉じ、大御稜威の下、庶政一新を断行する外ありません。
三浦先生が生涯を賭けて取り組まれた課題も、正にこのことでした。先生は現代民族派運動の最高峰というべき思想家、理論家であり、既に2巻の遺稿集を刊行いたしましたが、まだまだとても収録しきれないほどの膨大な著作、論考がございます。

しかしながら、その思想の真髄は次の3点であります。
第一に、「国体は変革された」という冷厳な事実認識に立ち、日本における革命は国体の復興復権としてこそ完遂されるべきこと
第二に、日本は国民のモラリッシュエネルギーを体現した道義国家として再生されるべきであり、これを領導する党建設が急務であること
第三に、かくして、道義的に覚醒した日本は、さらに世界史的存在へと飛躍し、世界新秩序形成へと向かうべきこと

これら3点こそ、三浦先生がその死の瞬間まで揺らぐことなき信念として保持し続け、その実現へ向けて、生涯の全てを賭けて取り組んだ大理想に他なりません。生前の三浦先生の謦咳に接し、教えを受けた者として、未だその一端たりとも実現できていないことに、ただただ恥じ入るばかりでありますが、東日本大震災によりもたらされた現下日本の未曾有の危難の下で、その正しさへの確信をますます深め、遺志の実現へ邁進することを改めて霊前にお誓い申し上げるものです。

本日は、故人の故郷新潟からも遠路兄上様にご臨席いただいております。また、三浦伝記執筆中とうかがっております山平重樹先生からも、後ほどその構想などお聞かせいただけるものと楽しみにしております。
さらに、多くの先生方、故人ゆかりの方がお見えになられておりますので、是非、故人の思想について、生前の人となりについて大いに語っていただき、単に故人を偲ぶだけでなく、これから、どう行動していくべきか、そのヒントをつかむ機会とさせていただければとお願いし、開会の挨拶といたします。

<参考>
三浦重周氏は昭和24年新潟生まれ。昭和45年に早稲田大学に入学し早稲田大学国防部や日本学生同盟で活動された。その年の11月に三島事件が起きる。昭和48年に第六代日本学生同盟委員長に就任し、民族派学生運動のリーダーとなる。昭和52年には学生運動の枠を超えた青年大衆運動として重遠社を創立して文字通り民族派運動の指導者として活躍。また三島由紀夫研究会の事務局長として憂国忌運動を指導した。平成17年12月10日に郷里新潟で割腹自決を遂げた。享年56歳。
生前多くの論文を執筆したが、死後同志たちにより遺稿集『白骨を秋霜に曝すを恐れず』と『国家の干城、民族の堡塁』の二冊にまとめられた(いずれもK&Kプレス刊)。
また毎年12月に三浦重周氏の追悼会として「早雪忌」が開催されている。
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 事務局よりお知らせ
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(お知らせ)三島由紀夫研究会会員の皆様、憂国忌発起人、憂国忌賛助会員の皆様。
 会報が憂国忌冊子とともに発送されております。すでにお手元にある方もおられますが、未着の方には、遅くとも水曜までに到着予定です。
 なお三島研究会会員の皆様には先日の「早雪忌」の関連冊子も同封されております。
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