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取材・インタビュー・原稿作成・webコンテンツ用テキスト文作成・自費出版の
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ついて執筆活動を展開しております。     ライター・平藤清刀
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◇◆◇ 発行講読者数:10,779名 / 2011年(平成23年)12月9日(金)発行 ◇◆◇
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 軍事情報別冊
  楠流兵法 ―孫子と闘戦経の実践―(3) ~河陽兵庫之記 壱 その3~
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▽ はじめに

 日本兵法研究会の家村です。
関東地方でもようやく本格的な冬の寒さが訪れてまいりました。
この頃になると、私は毎年、厳寒の北海道での積雪地訓練(スキー機動訓練)を
思い出します。これが自分の自衛隊人生の中で、肉体的に最も苦しめられた訓練で
した。
その当時19歳の私は、北海道の大雪原の中に「白い地獄」を見た思いでした。
今でも忘れられません。

 昭和55年5月下旬、武山での新隊員前期教育を終えた私の赴任先は、北海道の
滝川に所在する第10普通科(歩兵)連隊でした。3ヶ月の新隊員後期教育を受けた
後に、第1中隊に配置になったのが8月下旬、北海道の短い夏が終りかけている頃
でした。

 秋には連隊の訓練検閲に向けての演習が然別や島松の演習場で何度か行われて
いました。10月には日本で一番広大な矢臼別演習場で、連隊が訓練検閲を受け、
4月から続いた夏季訓練が終りました。

 この間、9月には私にとって二度目の防衛大学校受験(一回目は高3の時で、結果
は不合格)がありましたが、その感触は「今回も、だめだろうな・・・」でした。

 そして、10月からは積雪時に備えて、冬季訓練に移行していきました。普通科
部隊の冬季訓練の主体は、スキー機動訓練です。スキーと言っても、リフトで山の
頂上に上がってゲレンデを優雅に滑り降りるような楽しいものではありません。
ヘルメットを被り、64式小銃を背負って両手に竹のストック。両足にはつま先だけ
が固定されている木製のスキーを履き、これで積雪地のあらゆる地形を踏破(とうは)
しなければなりません。
平地も、緩斜面も、急斜面も全て自分の両手両足だけで走ったり、降りたり、登ったり
しなければ前に進みません。状況下の演習では、さらに鉄のヘルメットを被り、腰には
銃剣、水筒、弾のうを装着し、背のうを背負って数十Kgの完全武装で、延々数十Km
にわたる雪中行進や、攻撃・防御などの戦闘行動をします。しかし、本当にきつかった
のは、こうした雪中での戦闘行動ではなく、スキー機動コースでのタイム・レース
でした。

 11月に入り雪が降り始め、地面もしばれて(凍って)くると本格的な積雪期と
なります。
駐屯地も演習場も真っ白な雪景色になる頃、連隊の各中隊は、2月に行われる中隊対抗
のスキー競技会にむけて、駐屯地や演習場に作ったスキー機動コースで猛訓練しまし
た。

 第1中隊のスキー訓練では、私の所属する第2小隊の○○1曹が陣頭に立って全隊員
を率いていました。○○1曹は、少々口は悪いが人情味に溢れ、いつも冗談を言っては
大声で笑っている“道産子隊員”でした。言うべきことがあれば、陸曹を代表して幹部
にはっきりと物申す胆のある人物でしたが、それでも幹部からの信望は厚く、古いTV
番組「コンバット」のサンダース軍曹を彷彿させる、かつての自衛隊には珍しくなかっ
たタイプの上級陸曹でした。

 競技会の種目は、「階級別リレー」、「アキオ(3~4人ぐらいで曳く平たいソリ)
曳航リレー」、そして「部隊機動」でした。二つのリレー種目には、各中隊でも選り抜
きのスキー技量に優れた隊員が選手になり、それ以外の隊員はほぼ全員が「部隊機動」
に参加することになっていました。

 「部隊機動」は、中隊員80人ぐらいが一斉にスタートし、最も遅くゴールした隊員
のタイムが、そのまま中隊のタイムになるという種目です。そして、走るのが「遅い隊
員」を「速い隊員」1~2名でアキオ曳航用のロープを用いて引っ張ることが認められ
ていました。ただし、遅い隊員の尻を後からストックで突いたり、ヘルメットを叩いた
りすることは、競技会の実施規則上は禁じられていました。・・・しかし、各中隊の
練成訓練は、これが「常態」でした。

 各中隊は、競技会優勝に向けて連日、猛訓練をしていました。当時、北海道の部隊は
充足率を上げるため、半分以上が関東以南から転勤してきた隊員でした。特に四国や
九州から来た隊員は、北海道に来て初めてスキーを履いた者ばかりで、訓練による技量
向上の程度にも個人差がありました。どこの中隊にも、階級を問わず、いくら猛訓練を
重ねても「遅いままの隊員」がおり、たとえ幹部や1曹・2曹でも、「遅い隊員」は
下の階級の隊員にロープで引っ張られ、ストックで突かれ、罵声を浴びせられながら、
自分の能力上の限界をはるかに超えた速さで走ることを要求されていました。
ある「遅い隊員(幹部)」が、このときの苦しさを「はらわたが何度も飛び出しそう
な・・・」と表現していましたが、それはけだし至言でありました。

 このように、当時の北海道の普通科連隊では、「部隊機動」という種目の練成訓練の
場に限り、明らかな「下克上」が存在していました。

 入隊するまでスキーなどやったことの無かった「家村2士」も、この「遅い隊員」の
一人でした。連日、M3曹にロープで引かれ、N2曹に尻をストックで突かれながら、
5Km程のコースを何度も走らされました。下着に戦闘服だけの軽装で1周走るだけで
も全身汗だくです。
私を引くM3曹のヒーヒーと漏れる苦しそうな息の音を今でも覚えています。私が転倒
するとM3曹も後に引っ張られて倒れます。怒ったM3曹がストックで私のヘルメット
を激しく叩きます。
N2曹にストックで突かれて新品の戦闘服のズボンがビリリと破れたこともありまし
た。

 ある時、こうして走っている最中にだんだんと雪が激しくなり、視界も悪くなって
意識が朦朧(もうろう)としてきました。呼吸も一層苦しくなり、そして一瞬意識を
失い、顔面から新雪の積り始めたコースの上に倒れこみました。鼻や口から冷たい雪が
入り、息苦しくすぐに立ち上がることも出来ないまま、わずかに耳から会話が聞こえて
きました。

 M3曹「どうします?」
 N2曹「ほっとけ。自分で帰ってこさせろ。・・・行くぞ。」

 そして、最後に通りがかりの○○1曹の強烈な一言でした。

 「家村、なーにやってんだ、お前は・・・・。死ね!」

 立ち上がると、もう誰も見えなくなっていました。吹雪でコースがかき消されていく
中をゴールに向かい、一人で再び走り始めました。涙を流しながら・・・・。私が訓練
中に泣いた唯一の経験、まさに「白い地獄」でした。

 ○○1曹については、もう少し紹介したい思い出話がありますが、長くなりますので
次回にいたします。