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メールコラム「使える!ビジネス古典」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■No.51■■
外に求むること莫れ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
人を殺す夢を見て、困惑したことはないでしょうか?
それも、殺す相手が両親や友人、先生などの大切な人であったり、
その殺し方が残酷であったりすれば、目が覚めても気になって
しまうものです。
夢占いによれば、「人を殺す夢」というのは、無意識下に抑圧されている
本当の気持ちを表すもので、例えば両親を殺す場合、親の束縛を断ち切り、
自立したいという気持ちを抑圧していたり、実際に行動を起こして、
変わろうとしている時に見ることが多いようです。
夢の中で殺す相手は、自分ではそうと感じていなくても、
なんらかのかたちで自分の行動に制限を加えている相手であったり、
また、自分自身の性格の一部を表わしている場合もあります。
また、そうした夢を何度も見る場合は、
顕在意識上ではその抑圧に気づいていないため、
身体や心に影響が出てしまう前に、夢というかたちを借りて
潜在意識がメッセージを送っていると考えることもできます。
ですから、人を殺すような恐ろしい夢を見たからといって、
自分の心に潜む悪を心配する必要はなく、
むしろ、潜在意識が発する貴重なメッセージに耳を傾けるべきでしょう。
唐代の禅僧で、臨済宗の開祖となる臨済義玄(ぎげん)の言行をまとめた
『臨済録』には、一見、大変物騒に思える文章があります。
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢(らかん)に
逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷(しんけん)に
逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。
***解釈***
仏のとらわれから解き放たれ、祖師のとらわれから解き放たれ、
羅漢のとらわれから解き放たれ、父母のとらわれから解き放たれ、
親族のとらわれから解き放たれ、自由な境地にたってはじめて
正しい見解が得られる。
********
ここに出てくる「殺す」というのは、臨済の独特な反語であり、
私たちが「とらわれている」ものから自由になれ、
ということを意味しています。
私たちが既製の観念で捉えようとしているさまざまな事柄を、
「殺す」ことによって、既成観念のとらわれから解き放たれよ、
と言うことです。
つまり、正しい見解を得ようとするのであれば、仏教の開始、
悟りを開いた羅漢、そして、自分を産んでくれた両親や親族など、
これまでに受けた一切の感化を否定し、何ものにも拘束されない自由な境地に立て。
と言っているのです。
それは、簡単なことではありませんが、成長の過程では、必ず必要になります。
冒頭に挙げた、人を殺す夢も、心身共に成長の著しい青年期に見ることが
多いといいます。
より高次元へと進みたいのであれば、既成のものを一度否定して
最初から見直してみたり、すっかり打ち壊してみることが必要なのは、
心の成長でも、ビジネスの成長でも同様です。
そして、臨済はこう説きます。
大徳(だいとく)、三界無案(さんかいむあん)、
猶如火宅(ゆうにょかたく)。 これは是れ爾(なんじ)が久しく
停住(ちょうじゅう)する処にあらず。無常の殺鬼(さっき)、
一刹那(せつな)の間に、貴賤老若をえらばず。
爾、祖仏と別ならざらんことを要せば、ただ外に求むること莫(なか)れ、
爾が一念心上の清浄光(しょうじょうこう)、これ爾が屋裏(おくり)の
法身仏(ほっしんぶつ)なり。
(示衆 にしゅう)
***解釈***
お前たちは、この世の迷いの世界である三界に生きていて、不安だらけで、
あたかも燃えさかる家に住んでいるようである。ここは決して長く留まる
ところではない。無常の死神が一瞬にして貴賤老若を選ばすに、命を奪い
さってしまうのだ。
お前たちが、心から安心できる境地に立った祖師や仏と同じであろうと
思うならば、決して外界に求めてはならない。
お前たちが自身の心が本来は汚れのない清浄なものであると悟れば、
それがお前たちの内部にある法身仏そのものであるのだ。
********
「外に求むること莫れ」というのが臨済の教えです。
外というのは、私たちを取り囲んでいる外界全てのものごとです。
そこには、私たちの欲望をかきたてるものや、
感情をかき乱すものに満ち溢れています。
ともすると、それらの「外」に振り回され、煩わされて、
本来だれもが持っている、立派な「自分自身=仏」を見失ってしまいます。
そして、外界にある既成概念や常識にとらわれ振り回され、
外界の他人と自分を比較して、「自分はこの程度の人間だ」と卑下したり、
本来自分にとって必要ではないものまで欲しがったりしてしまいます。
しかし、外ばかりを見て、他人と比較することをやめ、
自己を見つめてそこにある可能性を追求すれば、
本来の素晴らしい自分に出会うことができます。
ですから、臨済は、「自分を探せ。そして自信を持て」
と説いているのです。
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人を殺す夢を見て、困惑したことはないでしょうか?
それも、殺す相手が両親や友人、先生などの大切な人であったり、
その殺し方が残酷であったりすれば、目が覚めても気になって
しまうものです。
夢占いによれば、「人を殺す夢」というのは、無意識下に抑圧されている
本当の気持ちを表すもので、例えば両親を殺す場合、親の束縛を断ち切り、
自立したいという気持ちを抑圧していたり、実際に行動を起こして、
変わろうとしている時に見ることが多いようです。
夢の中で殺す相手は、自分ではそうと感じていなくても、
なんらかのかたちで自分の行動に制限を加えている相手であったり、
また、自分自身の性格の一部を表わしている場合もあります。
また、そうした夢を何度も見る場合は、
顕在意識上ではその抑圧に気づいていないため、
身体や心に影響が出てしまう前に、夢というかたちを借りて
潜在意識がメッセージを送っていると考えることもできます。
ですから、人を殺すような恐ろしい夢を見たからといって、
自分の心に潜む悪を心配する必要はなく、
むしろ、潜在意識が発する貴重なメッセージに耳を傾けるべきでしょう。
唐代の禅僧で、臨済宗の開祖となる臨済義玄(ぎげん)の言行をまとめた
『臨済録』には、一見、大変物騒に思える文章があります。
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢(らかん)に
逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷(しんけん)に
逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。
***解釈***
仏のとらわれから解き放たれ、祖師のとらわれから解き放たれ、
羅漢のとらわれから解き放たれ、父母のとらわれから解き放たれ、
親族のとらわれから解き放たれ、自由な境地にたってはじめて
正しい見解が得られる。
********
ここに出てくる「殺す」というのは、臨済の独特な反語であり、
私たちが「とらわれている」ものから自由になれ、
ということを意味しています。
私たちが既製の観念で捉えようとしているさまざまな事柄を、
「殺す」ことによって、既成観念のとらわれから解き放たれよ、
と言うことです。
つまり、正しい見解を得ようとするのであれば、仏教の開始、
悟りを開いた羅漢、そして、自分を産んでくれた両親や親族など、
これまでに受けた一切の感化を否定し、何ものにも拘束されない自由な境地に立て。
と言っているのです。
それは、簡単なことではありませんが、成長の過程では、必ず必要になります。
冒頭に挙げた、人を殺す夢も、心身共に成長の著しい青年期に見ることが
多いといいます。
より高次元へと進みたいのであれば、既成のものを一度否定して
最初から見直してみたり、すっかり打ち壊してみることが必要なのは、
心の成長でも、ビジネスの成長でも同様です。
そして、臨済はこう説きます。
大徳(だいとく)、三界無案(さんかいむあん)、
猶如火宅(ゆうにょかたく)。 これは是れ爾(なんじ)が久しく
停住(ちょうじゅう)する処にあらず。無常の殺鬼(さっき)、
一刹那(せつな)の間に、貴賤老若をえらばず。
爾、祖仏と別ならざらんことを要せば、ただ外に求むること莫(なか)れ、
爾が一念心上の清浄光(しょうじょうこう)、これ爾が屋裏(おくり)の
法身仏(ほっしんぶつ)なり。
(示衆 にしゅう)
***解釈***
お前たちは、この世の迷いの世界である三界に生きていて、不安だらけで、
あたかも燃えさかる家に住んでいるようである。ここは決して長く留まる
ところではない。無常の死神が一瞬にして貴賤老若を選ばすに、命を奪い
さってしまうのだ。
お前たちが、心から安心できる境地に立った祖師や仏と同じであろうと
思うならば、決して外界に求めてはならない。
お前たちが自身の心が本来は汚れのない清浄なものであると悟れば、
それがお前たちの内部にある法身仏そのものであるのだ。
********
「外に求むること莫れ」というのが臨済の教えです。
外というのは、私たちを取り囲んでいる外界全てのものごとです。
そこには、私たちの欲望をかきたてるものや、
感情をかき乱すものに満ち溢れています。
ともすると、それらの「外」に振り回され、煩わされて、
本来だれもが持っている、立派な「自分自身=仏」を見失ってしまいます。
そして、外界にある既成概念や常識にとらわれ振り回され、
外界の他人と自分を比較して、「自分はこの程度の人間だ」と卑下したり、
本来自分にとって必要ではないものまで欲しがったりしてしまいます。
しかし、外ばかりを見て、他人と比較することをやめ、
自己を見つめてそこにある可能性を追求すれば、
本来の素晴らしい自分に出会うことができます。
ですから、臨済は、「自分を探せ。そして自信を持て」
と説いているのです。
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