『数学者が見た 二本松戦争─武士道の精髄を尽くした戦い─』
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┏★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
『軍事情報別冊 「楠流兵法 ―孫子と闘戦経の実践―(2)」』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆☆★┛
◇◆◇ 発行講読者数:10,865名/平成23年(2011年)12月2日(金)発行 ◇◆◇
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取材・インタビュー・原稿作成・webコンテンツ用テキスト文作成・自費出版の
原稿作成支援およびアドバイス・その他《書く》ことに附帯する一切の業務に
ついて執筆活動を展開しております。 ライター・平藤清刀
E-mail hirafuji@mbr.nifty.com
WEB http://homepage2.nifty.com/hirayan/
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
● 楠流兵法 ―孫子と闘戦経の実践―(2) ~河陽兵庫之記 壱 その2~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▽ はじめに
日本兵法研究会の家村です。
まずは、私が忘れられない歌を紹介します。
故郷はなれて3年の
街の夜風の冷たさに
俺は選んだ自衛隊
男命の根性を
鍛えなおすさ 御幸浜
これは、自衛隊の隊歌「友情の御幸浜」という歌です。
御幸浜とは、陸上自衛隊第一教育団が所在する武山駐屯地の住所です。
私は、昭和55(1980)年2月にこの第一教育団に新隊員・2等陸士として入隊
し、ここから30年にわたる自衛官人生が始まりました。この前年12月にはソ連がア
フガニスタンに侵攻して世界を震撼し、東西冷戦がピークを迎えていました。北方領土
への配備兵力も増強され、極東ソ連軍にも新型戦闘機が配備されつつあり、誰一人とし
て、この悪の帝国が、十年後に滅亡するなどとは思いもよりませんでした。その一方
で、自衛隊はまだ世間で日陰者扱いをされており、自衛隊に入隊すると言って、立派だ
と賞賛してくれる人よりも、何で自衛隊なんかに・・・という人のほうがはるかに多か
ったのが事実です。飲み屋で制服を着ていて酔っぱらいに絡まれたことも何度かありま
した。
第一教育団で受けたのは、新隊員前期教育でした。精神教育、基本教練、戦闘訓練、
64式小銃の分解・結合や基本射撃など、職種(昔でいう兵科)に分かれる前の共通的
なことを3ヶ月で徹底的に叩き込まれました。課業時間外にも隊歌演習があり、班長が
ヌカみそが腐るような?美声を張り上げて昔の軍歌や自衛隊になって創られた歌を一小
節づつ歌い、新隊員がそれに続いて歌いながら、これらを覚えていきました。冒頭に紹
介した歌もその中の一つでした。
教育中隊は、第1から第5の5つの区隊で構成され、各区隊は3個営内班(各10名
程度)に分かれていました。私は5区隊2班(52班)で、区隊長は防大卒ではなく部
内選抜幹部のO2尉、班長はK2曹、副班長はS3曹でした。
区隊長も班長も皆、厳しいながらも情愛に富んだ、明朗闊達な方々であり、新隊員た
ちが抱く自衛隊生活への不安や恐れもすぐに払拭されました。特に教育訓練では助教
(幹部教官の助手)として、また日常の生活をともにして班員の世話をし、起居容儀ま
で全ての指導にあたった班長・副班長の懇切・公平・慈愛心に満ちた態度や規律正しい
振る舞い、そして超人のような体力に心底から尊敬の念を抱いたものでした。今にして
思えば、K2曹、S3曹その他の班長も皆、二十代の青年だったのですが、今なおこう
した方々への尊敬の念は当時と全く変わっていないのです。
寒風吹きすさぶ日も、雨の日も泥だらけになっての訓練に明け暮れる毎日でしたが、
団結は強く、皆が一所懸命に頑張っていました。それでも脱落者は出ました。
教育が始まって2ヶ月が過ぎた頃、同期入隊した中でも最も体力があり、俳優のよう
な美男子で、しかも習志野にある最精鋭部隊・第1空挺団の空挺隊員候補だった○○2
士が、突然除隊を申し出てきたのです。理由は「入隊前に共に暮らしていた(同棲して
いた)女性から、どうしても帰ってきて元の生活に戻ってほしい」と繰り返し懇願され
てのことでした。この二人はどちらも両親がおらず、籍も入れずに夫婦同然に生活をし
ていましたが、金に困って男のほうが自衛隊に入隊したのでした。班長や区隊長の説得
にもかかわらず、○○2士の除隊意思は変わらず、とうとう退職することとなりまし
た。区隊長は新隊員を集め、「このたび、一身上の都合により・・・」とだけ紹介しま
した。
○○2士退職の前日、52班でささやかな送別会を行いました。新隊員前期期間は飲
酒が許されていなかったので、営内の娯楽室に集まり、コーラとジュースで乾杯しなが
ら、同期の班員が一言ずつ○○2士にまつわる思い出話や激励の言葉を述べ、その後は
まるで酒を飲んでの大宴会のごとくにコーラとジュースに酔って歌い、大いに騒ぎまし
た。
最後に班長のK2曹がいつもの笑顔で送別の言葉を述べました。それは、本当に短
い、たった一言でした。
「俺、なんだかすごく淋しいんだよな・・・。」
その後、千葉県の運送会社に入社し、トラックの運転士となった○○2士は、習志野
駐屯地の前を通るたびに、「俺、ここに来るはずだったんだ・・」との思いが胸を過
(よ)ぎったと語っていました。
私が武山の新隊員前期教育で学んだ最も大きなことは「男は、常に『強くかつ優し
く』あらねばならない。」ということでした。今もって「真の男」になりきれない自分
の弱さにいつも忸怩(じくじ)たる思いを抱きつつ、あの頃の班長たちのことを思い出
しては自分を叱咤しております。
さて、それでは本題の楠流兵法『河陽兵庫之記』に入りましょう。『河陽兵庫之記』
は、壱から伍の五つの章で構成されており、いずれも大楠公・楠木正成が読者に語りか
けるような文面で記述されています。そして、壱(第一章)では、兵の道を歩むものが
平素から心得ておくべきことを概括して述べています。今回は、この第一章の中段部分
を現代語訳で紹介いたします。
▽ 順 徳
世の中が平穏な時は、道徳的に正しい言動をもって事に当たれ。奸賊(底知れぬ悪
人)になってはならない。この世の誰もが陥りそうな有害な誘惑に対しても、これを退
けることができてこそ武士である。ましてや、自分が奸賊となって、世間の人々の害悪
に成るなどは論外である。
兵法の流派は大きく分けて四種あり、その学ぶことは端々に分かれて多いようだが、本
当に重要なことは、敵に勝つことと、それにより大治を行うことなのである。
敵に勝つために学ぶことは何か。それは正成が生涯秘密にしておくところの「己陣一
法」のことである。(これは教えられない)
大治とは何であるかについて述べよう。上下が和し、諸人がうれしそうに喜び、楽しい
ことをなにも施されずとも楽しみ、賞をなにも与えられなくとも満足し、国と人々が親
睦して、上の者は恩恵を与え、下の者は果たすべき任務をしっかりと尽くし、その君主
を尊ぶことは霊神が在するようであり、懐かしむことは父母の如くであり、罰すれども
怨まず、狎(な)れていても侮らず、洋々悠々と徳化が下に流れていく、これこそが
治まっている世の中(大治)の効果である。
人が私に親しむことがなければ、何故に親しまないのかということを理性的に判断し
て、下の者が警戒心を持たずに近づき親しむための方策を思案せよ。ただし、あまりに
も人を親しくさせようとすると、媚びへつらうことになり見苦しいものである。全てに
おいて我が心を誠にして、自然の温和を冀(こいねが)うことが重要である。珍しくな
いことではあるが、天の時や地の利といえども、人の和に勝るものではない。
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まずは、私が忘れられない歌を紹介します。
故郷はなれて3年の
街の夜風の冷たさに
俺は選んだ自衛隊
男命の根性を
鍛えなおすさ 御幸浜
これは、自衛隊の隊歌「友情の御幸浜」という歌です。
御幸浜とは、陸上自衛隊第一教育団が所在する武山駐屯地の住所です。
私は、昭和55(1980)年2月にこの第一教育団に新隊員・2等陸士として入隊
し、ここから30年にわたる自衛官人生が始まりました。この前年12月にはソ連がア
フガニスタンに侵攻して世界を震撼し、東西冷戦がピークを迎えていました。北方領土
への配備兵力も増強され、極東ソ連軍にも新型戦闘機が配備されつつあり、誰一人とし
て、この悪の帝国が、十年後に滅亡するなどとは思いもよりませんでした。その一方
で、自衛隊はまだ世間で日陰者扱いをされており、自衛隊に入隊すると言って、立派だ
と賞賛してくれる人よりも、何で自衛隊なんかに・・・という人のほうがはるかに多か
ったのが事実です。飲み屋で制服を着ていて酔っぱらいに絡まれたことも何度かありま
した。
第一教育団で受けたのは、新隊員前期教育でした。精神教育、基本教練、戦闘訓練、
64式小銃の分解・結合や基本射撃など、職種(昔でいう兵科)に分かれる前の共通的
なことを3ヶ月で徹底的に叩き込まれました。課業時間外にも隊歌演習があり、班長が
ヌカみそが腐るような?美声を張り上げて昔の軍歌や自衛隊になって創られた歌を一小
節づつ歌い、新隊員がそれに続いて歌いながら、これらを覚えていきました。冒頭に紹
介した歌もその中の一つでした。
教育中隊は、第1から第5の5つの区隊で構成され、各区隊は3個営内班(各10名
程度)に分かれていました。私は5区隊2班(52班)で、区隊長は防大卒ではなく部
内選抜幹部のO2尉、班長はK2曹、副班長はS3曹でした。
区隊長も班長も皆、厳しいながらも情愛に富んだ、明朗闊達な方々であり、新隊員た
ちが抱く自衛隊生活への不安や恐れもすぐに払拭されました。特に教育訓練では助教
(幹部教官の助手)として、また日常の生活をともにして班員の世話をし、起居容儀ま
で全ての指導にあたった班長・副班長の懇切・公平・慈愛心に満ちた態度や規律正しい
振る舞い、そして超人のような体力に心底から尊敬の念を抱いたものでした。今にして
思えば、K2曹、S3曹その他の班長も皆、二十代の青年だったのですが、今なおこう
した方々への尊敬の念は当時と全く変わっていないのです。
寒風吹きすさぶ日も、雨の日も泥だらけになっての訓練に明け暮れる毎日でしたが、
団結は強く、皆が一所懸命に頑張っていました。それでも脱落者は出ました。
教育が始まって2ヶ月が過ぎた頃、同期入隊した中でも最も体力があり、俳優のよう
な美男子で、しかも習志野にある最精鋭部隊・第1空挺団の空挺隊員候補だった○○2
士が、突然除隊を申し出てきたのです。理由は「入隊前に共に暮らしていた(同棲して
いた)女性から、どうしても帰ってきて元の生活に戻ってほしい」と繰り返し懇願され
てのことでした。この二人はどちらも両親がおらず、籍も入れずに夫婦同然に生活をし
ていましたが、金に困って男のほうが自衛隊に入隊したのでした。班長や区隊長の説得
にもかかわらず、○○2士の除隊意思は変わらず、とうとう退職することとなりまし
た。区隊長は新隊員を集め、「このたび、一身上の都合により・・・」とだけ紹介しま
した。
○○2士退職の前日、52班でささやかな送別会を行いました。新隊員前期期間は飲
酒が許されていなかったので、営内の娯楽室に集まり、コーラとジュースで乾杯しなが
ら、同期の班員が一言ずつ○○2士にまつわる思い出話や激励の言葉を述べ、その後は
まるで酒を飲んでの大宴会のごとくにコーラとジュースに酔って歌い、大いに騒ぎまし
た。
最後に班長のK2曹がいつもの笑顔で送別の言葉を述べました。それは、本当に短
い、たった一言でした。
「俺、なんだかすごく淋しいんだよな・・・。」
その後、千葉県の運送会社に入社し、トラックの運転士となった○○2士は、習志野
駐屯地の前を通るたびに、「俺、ここに来るはずだったんだ・・」との思いが胸を過
(よ)ぎったと語っていました。
私が武山の新隊員前期教育で学んだ最も大きなことは「男は、常に『強くかつ優し
く』あらねばならない。」ということでした。今もって「真の男」になりきれない自分
の弱さにいつも忸怩(じくじ)たる思いを抱きつつ、あの頃の班長たちのことを思い出
しては自分を叱咤しております。
さて、それでは本題の楠流兵法『河陽兵庫之記』に入りましょう。『河陽兵庫之記』
は、壱から伍の五つの章で構成されており、いずれも大楠公・楠木正成が読者に語りか
けるような文面で記述されています。そして、壱(第一章)では、兵の道を歩むものが
平素から心得ておくべきことを概括して述べています。今回は、この第一章の中段部分
を現代語訳で紹介いたします。
▽ 順 徳
世の中が平穏な時は、道徳的に正しい言動をもって事に当たれ。奸賊(底知れぬ悪
人)になってはならない。この世の誰もが陥りそうな有害な誘惑に対しても、これを退
けることができてこそ武士である。ましてや、自分が奸賊となって、世間の人々の害悪
に成るなどは論外である。
兵法の流派は大きく分けて四種あり、その学ぶことは端々に分かれて多いようだが、本
当に重要なことは、敵に勝つことと、それにより大治を行うことなのである。
敵に勝つために学ぶことは何か。それは正成が生涯秘密にしておくところの「己陣一
法」のことである。(これは教えられない)
大治とは何であるかについて述べよう。上下が和し、諸人がうれしそうに喜び、楽しい
ことをなにも施されずとも楽しみ、賞をなにも与えられなくとも満足し、国と人々が親
睦して、上の者は恩恵を与え、下の者は果たすべき任務をしっかりと尽くし、その君主
を尊ぶことは霊神が在するようであり、懐かしむことは父母の如くであり、罰すれども
怨まず、狎(な)れていても侮らず、洋々悠々と徳化が下に流れていく、これこそが
治まっている世の中(大治)の効果である。
人が私に親しむことがなければ、何故に親しまないのかということを理性的に判断し
て、下の者が警戒心を持たずに近づき親しむための方策を思案せよ。ただし、あまりに
も人を親しくさせようとすると、媚びへつらうことになり見苦しいものである。全てに
おいて我が心を誠にして、自然の温和を冀(こいねが)うことが重要である。珍しくな
いことではあるが、天の時や地の利といえども、人の和に勝るものではない。