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メールコラム「使える!ビジネス古典」

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仁 
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『論語』は孔子の様々な教えを伝える書物ですが、その『論語』の中でも
大変多くの場面で語られ、孔子が説いている徳目の中でも最重要であると
思われるのが、「仁」ではないでしょうか。


ただ、「仁」という徳目は、あまりに包括的であるため、それがどのような
ものであるのかをひとことで言い表すのは難しく、孔子自身も、それを問う
弟子や、問われる場面によって、その答えを変えています。


例えば、顔淵篇で、孔子は「仁」を、それぞれの弟子にこう説いています。


  樊遅(はんち)仁を問う。子曰わく、人を愛すと。


 ***解釈***
 
  樊遅が仁についてたずねた。先生がいわれた。「人を愛することだ。」

 **********


 
  仲弓(ちゅうきゅう)仁を問う。子曰わく、門を出でては大賓に
  見(みま)ゆるがごとくし、民を使うには大祭(たいさい)を承(う)
  くるがごとくす。己の欲せざる所は人に施すこと勿(な)かれ。
  邦(くに)に在りても怨み無く、家に在りても怨み無しと。


 ***解釈***
  
  仲弓が仁についてたずねた。先生がいわれた「門を出て人と交際する
  ときは国賓に面会するようにし、民を使役するときは重大な祭を行う
  かのようにする。自分がしてほしくないことは人にしむけてはならない。
  そうすれば、諸侯の国に仕えて怨まれることがなく、その家臣である
  卿大夫(けいたいふ)の家に仕えても怨まれることがない。

 **********
  


  顔淵、仁を問う。子曰わく、己を克(おさ)めて礼に復(かえ)るを
  仁と為す。一日、己を克めて例に復れば、天下、仁に帰(き)す。
  仁を為すには己に由る。而(しこう)して人に由らんやと。
  顔淵曰わく、その目(もく)を請い問うと。子いわく、礼に非ざれば
  視る勿かれ。礼に非ざれば聴く勿かれ。礼に非ざれば言う勿かれ、
  礼に非ざれば動く勿かれと。顔淵曰わく、回(かい)、不敏なりと雖も、
  請う、この語を事(こと)せんと。


 ***解釈***
  
  顔淵が仁についてたずねた。先生がいわれた「わが身をつつしんで礼に
  立ちかえるのが、仁である。もし一日でも身をつつしんで礼に立ちかえ
  れば、天下の人々は仁に向かうようになる。仁を行うのは自分自身である。
  どうして人にまかせることができようか。」
  顔淵がいった「どうかその要点をお聞かせください。」先生はいわれた
  「礼にはずれたことは見てはならない。礼にはずれたことはきいては
  ならない。礼にはずれたことはいってはならない。礼にはずれたことは
  行ってはならない。」顔淵はいった「私は愚かですが、このお言葉を
  実践したいと思います。」

 **********
  
  

また、里仁篇(りじんへん)には、「仁」に関する理論的な説明も
見られます。


  子曰わく、苟(いやし)くも仁を志せば、悪しきこと無きなりと。

 ***解釈***
 
  先生がいわれた「本当に仁を志すならば、悪いことはなくなる。」

 **********
 

 
 子曰わく、……君子は仁を去りて悪(いずく)にか名を成さんと。


 ***解釈***
 
  先生がいわれた「……君子は仁を離れたら、どうして君子と
  呼べようか。」

 **********


「仁」とは人を愛することであり、人を敬い、全てにおいて礼を尽くすこと
であり、そんな「仁」を本気で志せは悪いことはなくなる。というのです。

そして、仁を志さないようであれば、君子ではないと言い切っています。


しかし、実は、「仁」というたった一文字であらわされる孔子の理想を、
真正面から定義した言葉は、『論語』のどこを探しても見当たりません。


「仁」はひとことで簡単に定義づけられるものではない奥の深い徳目
であると同時に、各々が自分にとっての「仁」については深く考えるべき
ものであるということでしょう。

また、「人を愛し敬い思いやる」という内的な面だけでなく、
「礼をもって接する」という外的な面までをも要求される難易度の高い徳目で、
「仁」となることがそう簡単ではないであろうことが、「 苟くも仁を志せば、
悪しきこと無きなり」という言葉にも表れています。


では、仁を志す弟子たちに対して、孔子はどんな教え方をしていたのかと
いうと、こうです。


  子曰わく、参(しん)や、吾が道は一以て(いちもって)これを貫くと。
  曾子(そうし)曰わく、唯(い)と。子出(い)ず。門人(もんじん)
  問いて曰わく、何の謂(い)いぞやと。曾子曰わく、夫子(ふうし)の
  道は、忠恕(ちゅうじょ)のみと。        
                            (里仁篇)

 ***解釈***
                           
  先生がいわれた「参よ、わたしの説く道は一つのことで貫かれている」。
  曾子がいった「はい。」先生が退出された。門人がたずねた「どういう
  意味ですか。」曾子がいった「先生の説かれる道は、忠恕だけだ。」〕
  
 **********  



「忠恕」とは、自分自身が誠意を尽くすとともに、その誠意に基づいて
他人を思いやることです。

これは、孔子が曾子に向かって、「自分の貫く道が一つである」こと
を語ったところ、その場に居合わせた他の弟子は、それが何であるのか
理解できなかったため、孔子の退出後、曾子が皆に説明したものです。


孔子の説く道に「恕」が貫かれていることが高弟である曾子には
しっかり伝わっていたわけです。


以前にもご紹介したことがありますが、子貢ともこんな問答をしています。


  子貢問いて曰わく、一言にして以て終身これを行うべき者ありやと。
  子曰わく、それ恕か。己の欲せざる所はひとに施すこと勿かれと。
                          (衛霊公篇)

 ***解釈***
                          
  子貢がおたずねしていった「ただ一言で一生行っていけることが
  あるでしょうか。」先生がいわれた「まあ恕だね。自分がしてほしく
  ないことは人にしむけないことだ。」

 **********
  

孔子は、「仁」よりももう少しわかりやすい「恕」を説くことで、
弟子たちに行動の指針を示し、孔子自身がそれを貫くことで、
その重要性を伝えているのです。


人の上に立ち、教え導く必要にも迫られる経営者であれば、
一本筋の通った理念を持ち、それを自身の行動で表して
弟子たちを導く孔子に学び、自らの背中を見せることで、
社員や後進を導いていきたいものです。


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