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メールコラム「使える!ビジネス古典」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■No.28■■
『左氏伝』に学ぶ表現力
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「食指」「波及」「贈賄」「流血」「君臨」「解体」「未亡人」
「民生」「落成」「文物」「師事」「執事」……
現在でも一般的に使われていつこれらの熟語の出典を辿ると、
すべて『春秋左氏伝』に行きつくと言ったら驚かれるでしょうか。
このコラムで多く取り上げている他の古典からも、現在に残る熟語や
慣用句、諺は多く出ていますが、『春秋左氏伝』を典拠にした熟語は、
いくらでも挙げることができるほどあります。
もちろん、それらの中には、もともとの意味からいくらか変化した
使われ方をしているものも少なくありません。
しかし、これらの言葉がはるかな時の流れを超え、長い年月の間にも
消えることなく現代に伝わり残っているという事実は、
言葉と密接な関連を持つ私たちの精神生活もまた、『春秋左氏伝』の時代
から変わることなく続いていることを示しているように感じます。
『春秋左氏伝』には、魯の隠公元年から哀公二十七年までの二百五十年の
事柄が書かれています。
また、書経の中では、『礼記』と並んで、いわゆる大経とされています。
多様な読み方ができるこの書物をどう読むかは、研究者や専門家の間でも
様々に意見が分かれるところですが、今回は、単なる歴史書や、
ややこしい理屈をつけて読み解く経書の釈義書としての『左氏伝』ではなく、
優れた表現力を持つ読み物としての側面をクローズアップしてみたい
と思います。
『左氏伝』は、古来よりその文章の妙味が古典文の規範として尊ばれて
きました。
その文章には、簡潔でありながらも、書き表す事象のみならず、
その奥でうごめく人間の心模様までをも「視覚化」して見せる力が
あります。
例えば、よく引かれる例のひとつに、宣公十二年のひつの戦いの条で、
楚(そ)の軍の奇襲を受けて敗走する晋(しん)の軍勢の様子を描写
したくだりがあります。
桓子(かんし)為す所を知らず。
軍中に鼓して曰く、先ず済(わた)る者には賞有らん、と。
中軍・下軍舟を争う。舟中の指掬(きく)す可きなり。
***解釈***
(不意を突かれて中軍の大将の)桓子はどうしてよいかわからず、
(ひたすら)軍中に太鼓を打ち鳴らして、「一番に渡った者には
賞が待っているぞ。」と(叫んで)言った。
中軍と下軍(の兵士)はわれ先にと争って舟に乗ろうとした。
(先に舟に乗った者は後からの者を乗せまいとして舟べりにかけた指
を刃で切り落としたので)舟の中には両手ですくいとれるほど
指が多くあった。
**********
「舟中の指掬す可きなり」の一句で、その凄まじい情景を見事に描写し、
その裏には、自分だけが賞を得ようとする人間のあさましさを取って見る
こともできれば、舟を転覆させないように後から来る人の指を切る
やむを得ぬ所業の悲しさを見ることもできます。
尋常ではない混乱の様子が、切り落とされた指から滴る血の色や、
指を切られて呻く人の声まで聞こえそうなほど見事に表現されています。
他にも、晋と楚の決戦の火ぶたが切られる寸前の様子を描いたくだりには、
夏目漱石が『文学論』の中で、間隔法と称して絶賛した表現が見られます。
楚子(そし)巣車(そうしゃ)に登りて以て晋の軍を望む。
子重(しちょう)大宰拍州犂(たいさいはくしゅうり)をして王の後に
待(はべ)ら使(し)む。 王曰く、「馳せて左右するは何ぞや」と。
曰く、「謀(はかりごと)を合するなり」と。「幕を張れり。」
曰く、「将(まさ)に命を発せんとするなり」と。
「甚ださわがしくして且つ塵上がれり。」曰く、「将に井(せい)を
塞(ふさ)ぎ竃(そう)を夷(たいら)げて行(こう)を為さんとする
なり」と。「皆乗れり。左右兵を執りて下れり。」
曰く、「戦わんとして祷るなり」と。
白州犂(はくしゅうり)公の卒を以て告ぐ。皆曰く、「国士(こくし)
在り、且つ厚し。当たる可からざるなり」と。
苗ふん皇(びょうふんこう)晋候(しんこう)に言いて曰く、
「楚の良(りょう)は、其の中軍の王族在るのみ。請う良を分かちて
以て其の左右を撃たん。
***解釈***
楚子は櫓(やぐら)をしつらえた車に登り、晋軍の様子を眺めまわした。
子重は、(前年晋から亡命してきた)大宰(たいさい)の伯州犂に
命じて共王のうしろに控えさせた。王がたずねた、
「走って左へ行ったり右に行ったりしているのは何をしているのか。」
「軍使を集合させているのです。」と答えた。
「みんな中軍に集合したぞ。」
「作戦のうち合わせをしているところです。」
「幕を張ったぞ。」
「つつしんで先君の例に勝敗のうらないをしているのです。」
「幕をはずしたぞ。」
「いよいよ命令をくだすところです。」
「ひどく騒々しくなって土煙が立っているぞ。」
「井戸を埋め、かまどをつぶして隊伍(たいご)を組むところです。」
「みんな車に乗ったそ。車の左右の者が武器を持って下車したぞ。」
「(大将からの)出陣のいましめのことばを聴くためです。」
「いよいよ戦いが始まるのか。」
「まだわかりません。」
「車に乗ったがまた左右の者が下りたぞ。」
「戦う前に鬼神に祈るためです。」
白州犂は晋候の親兵のもようを供王に説明した。(楚から亡命してきた)
苗ふん皇が晋候の側に控えて、楚王の親車のもようを説明した。
(それを聞いて)晋候の側近たちはみな、「(楚には)あの有名な
やり手(伯州犂)がいて、(こちらの手の内をすっかり知っており)、
しかも軍勢が多い。とても相手になりません。」と言った。
苗ふん皇は晋候にむかって、「楚の精鋭は中軍の王に所属する親兵
だけです。こちらの精鋭を二手に分けて相手の左右(の二軍)を
攻撃させてはどうでしょう。
**********
楚晋両軍とも、相手国から亡命してきたやり手の白州犂や苗ふん皇を
王の後ろに侍らせ、敵国の様子を観察しながら戦術を練っています。
その描写は、遠くからの視点による晋軍の様子から一転し、
視点が移動した晋陣営の様子へと切り替わります。
活き活きと描かれるその描写はまるで、映画のワンシーンを見るようでは
ありませんか。
福沢諭吉は、『福翁自伝』のなかでこんなふうに述べています。
「私は左伝が得意で、大概の書生は左伝十五巻の内三四巻で仕舞ふのを、
私は全部通読、凡そ十一度び読返して、面白い処は暗記して居た。」
11回も読み返して、面白い部分は覚えてしまったというのですから、
こんな一節からも、『左氏伝』が優れた歴史の読み物としても読まれていた
ことが伺えます。
弊社社長は、経営者の皆さま向けに行っているコピーライティング講義の中で、
「視覚」「聴覚」「身体感覚」を踏まえた文章の重要性とその威力について、
繰り返しお話をしています。
例えば『春秋左氏伝』を、あなたのコピーライティングの偉大なお手本
として読んでみるのも、また面白いのではないでしょうか。
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「民生」「落成」「文物」「師事」「執事」……
現在でも一般的に使われていつこれらの熟語の出典を辿ると、
すべて『春秋左氏伝』に行きつくと言ったら驚かれるでしょうか。
このコラムで多く取り上げている他の古典からも、現在に残る熟語や
慣用句、諺は多く出ていますが、『春秋左氏伝』を典拠にした熟語は、
いくらでも挙げることができるほどあります。
もちろん、それらの中には、もともとの意味からいくらか変化した
使われ方をしているものも少なくありません。
しかし、これらの言葉がはるかな時の流れを超え、長い年月の間にも
消えることなく現代に伝わり残っているという事実は、
言葉と密接な関連を持つ私たちの精神生活もまた、『春秋左氏伝』の時代
から変わることなく続いていることを示しているように感じます。
『春秋左氏伝』には、魯の隠公元年から哀公二十七年までの二百五十年の
事柄が書かれています。
また、書経の中では、『礼記』と並んで、いわゆる大経とされています。
多様な読み方ができるこの書物をどう読むかは、研究者や専門家の間でも
様々に意見が分かれるところですが、今回は、単なる歴史書や、
ややこしい理屈をつけて読み解く経書の釈義書としての『左氏伝』ではなく、
優れた表現力を持つ読み物としての側面をクローズアップしてみたい
と思います。
『左氏伝』は、古来よりその文章の妙味が古典文の規範として尊ばれて
きました。
その文章には、簡潔でありながらも、書き表す事象のみならず、
その奥でうごめく人間の心模様までをも「視覚化」して見せる力が
あります。
例えば、よく引かれる例のひとつに、宣公十二年のひつの戦いの条で、
楚(そ)の軍の奇襲を受けて敗走する晋(しん)の軍勢の様子を描写
したくだりがあります。
桓子(かんし)為す所を知らず。
軍中に鼓して曰く、先ず済(わた)る者には賞有らん、と。
中軍・下軍舟を争う。舟中の指掬(きく)す可きなり。
***解釈***
(不意を突かれて中軍の大将の)桓子はどうしてよいかわからず、
(ひたすら)軍中に太鼓を打ち鳴らして、「一番に渡った者には
賞が待っているぞ。」と(叫んで)言った。
中軍と下軍(の兵士)はわれ先にと争って舟に乗ろうとした。
(先に舟に乗った者は後からの者を乗せまいとして舟べりにかけた指
を刃で切り落としたので)舟の中には両手ですくいとれるほど
指が多くあった。
**********
「舟中の指掬す可きなり」の一句で、その凄まじい情景を見事に描写し、
その裏には、自分だけが賞を得ようとする人間のあさましさを取って見る
こともできれば、舟を転覆させないように後から来る人の指を切る
やむを得ぬ所業の悲しさを見ることもできます。
尋常ではない混乱の様子が、切り落とされた指から滴る血の色や、
指を切られて呻く人の声まで聞こえそうなほど見事に表現されています。
他にも、晋と楚の決戦の火ぶたが切られる寸前の様子を描いたくだりには、
夏目漱石が『文学論』の中で、間隔法と称して絶賛した表現が見られます。
楚子(そし)巣車(そうしゃ)に登りて以て晋の軍を望む。
子重(しちょう)大宰拍州犂(たいさいはくしゅうり)をして王の後に
待(はべ)ら使(し)む。 王曰く、「馳せて左右するは何ぞや」と。
曰く、「謀(はかりごと)を合するなり」と。「幕を張れり。」
曰く、「将(まさ)に命を発せんとするなり」と。
「甚ださわがしくして且つ塵上がれり。」曰く、「将に井(せい)を
塞(ふさ)ぎ竃(そう)を夷(たいら)げて行(こう)を為さんとする
なり」と。「皆乗れり。左右兵を執りて下れり。」
曰く、「戦わんとして祷るなり」と。
白州犂(はくしゅうり)公の卒を以て告ぐ。皆曰く、「国士(こくし)
在り、且つ厚し。当たる可からざるなり」と。
苗ふん皇(びょうふんこう)晋候(しんこう)に言いて曰く、
「楚の良(りょう)は、其の中軍の王族在るのみ。請う良を分かちて
以て其の左右を撃たん。
***解釈***
楚子は櫓(やぐら)をしつらえた車に登り、晋軍の様子を眺めまわした。
子重は、(前年晋から亡命してきた)大宰(たいさい)の伯州犂に
命じて共王のうしろに控えさせた。王がたずねた、
「走って左へ行ったり右に行ったりしているのは何をしているのか。」
「軍使を集合させているのです。」と答えた。
「みんな中軍に集合したぞ。」
「作戦のうち合わせをしているところです。」
「幕を張ったぞ。」
「つつしんで先君の例に勝敗のうらないをしているのです。」
「幕をはずしたぞ。」
「いよいよ命令をくだすところです。」
「ひどく騒々しくなって土煙が立っているぞ。」
「井戸を埋め、かまどをつぶして隊伍(たいご)を組むところです。」
「みんな車に乗ったそ。車の左右の者が武器を持って下車したぞ。」
「(大将からの)出陣のいましめのことばを聴くためです。」
「いよいよ戦いが始まるのか。」
「まだわかりません。」
「車に乗ったがまた左右の者が下りたぞ。」
「戦う前に鬼神に祈るためです。」
白州犂は晋候の親兵のもようを供王に説明した。(楚から亡命してきた)
苗ふん皇が晋候の側に控えて、楚王の親車のもようを説明した。
(それを聞いて)晋候の側近たちはみな、「(楚には)あの有名な
やり手(伯州犂)がいて、(こちらの手の内をすっかり知っており)、
しかも軍勢が多い。とても相手になりません。」と言った。
苗ふん皇は晋候にむかって、「楚の精鋭は中軍の王に所属する親兵
だけです。こちらの精鋭を二手に分けて相手の左右(の二軍)を
攻撃させてはどうでしょう。
**********
楚晋両軍とも、相手国から亡命してきたやり手の白州犂や苗ふん皇を
王の後ろに侍らせ、敵国の様子を観察しながら戦術を練っています。
その描写は、遠くからの視点による晋軍の様子から一転し、
視点が移動した晋陣営の様子へと切り替わります。
活き活きと描かれるその描写はまるで、映画のワンシーンを見るようでは
ありませんか。
福沢諭吉は、『福翁自伝』のなかでこんなふうに述べています。
「私は左伝が得意で、大概の書生は左伝十五巻の内三四巻で仕舞ふのを、
私は全部通読、凡そ十一度び読返して、面白い処は暗記して居た。」
11回も読み返して、面白い部分は覚えてしまったというのですから、
こんな一節からも、『左氏伝』が優れた歴史の読み物としても読まれていた
ことが伺えます。
弊社社長は、経営者の皆さま向けに行っているコピーライティング講義の中で、
「視覚」「聴覚」「身体感覚」を踏まえた文章の重要性とその威力について、
繰り返しお話をしています。
例えば『春秋左氏伝』を、あなたのコピーライティングの偉大なお手本
として読んでみるのも、また面白いのではないでしょうか。
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