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メールコラム「使える!ビジネス古典」

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本人次第
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ビートルズ、ジョージ・ハリスンが、死の僅か1ヶ月前に遺した作品
として知られる楽曲のタイトル、『Horse To The Water』は、英語の諺
“You can take a horse to the water but you can't make him drink”
( 馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない)
を元にしています。

I should have kept my head down
I should have kept my mouth shut
I should have helped my own
You lead the horse to water and watch him drown

頭を垂れておくべきだった。
口を閉じておくべきだった。
自分自身に協力してやるべきだった。
馬を水辺に連れていって、溺れるのを見てみなさい。


そう始まる歌詞には、馬を水辺に連れていくことは簡単でも、
水を飲ませることは出来ないということから、
人にチャンスを与えることはできるが、それを生かすのは本人次第である
という意味が込められています。


誰かの手助けをすることはできても、結局それを行うのは本人自身
であることは、すでに誰もが知っていることでしょう。


例えば何かを学ぶ場合でも、教える側の方法や能力よりも重要なのは
間違いなく、学ぶ側の気持ちです。


倫理哲学の事実上の創始者ともいわれるあのソクラテスは、
対話の相手が、自身の持っている力や考えていることに、
自分自身で気付くよう、相手に何かを教えるということはせず、
徹底した問答法をとりました。


例えば、相手に、「勇気とは何か」といった問いかけをし、
相手が、「勇気とは忍耐する能力である。」と答えると、
「それならば頑固さはどうだろうか。頑固な人はとても根気強いところが
あるだろうから、彼らには忍耐力があることになる。
それは、勇気だろうか。賞賛すべきものだろうか」と再度問うのです。

すると対話の相手は、自分の答えについて再度深く考え直す必要に
迫られ、最初の答えが不完全だったことに自ら気付くことになります。

ソクラテスは、いかなる答えも吟味の対象であり、
最終的な答えなどありえないと考えていましたから、
ソクラテス自身が最終的な答えを口にすることも滅多にありませんでした。


さて、少し話が膨らんでしましましたが、
何事においても重要なのは、自らが意思を持って行うことである、
というところに話を戻しましょう。


ここで、孔子の登場です。

ソクラテスより少し早い時代に生きた孔子は、もう少し過激で、
「学ぶ意思のない者を教育することはできない」と
バッサリ切り捨てています。


 子曰く、憤せずんば啓せず、ひせずんば発せず。
  一隅をあげてこれを示し、三隅を以て反(かえ)さざれば
  すなわち復せざるなり。(述而8)

 
 ***解釈***
 
 なんとかわかりたいと発憤しないのならば、眼を啓(ひら)かせる
  ことはしない。のどまででかかっていないのならば、はっきり教える
  ことはしない。一を教えたら三をかえすくらい、打っても響くような
  人間でなければ、もう一度教えるようなことはしない。

 **********


もし、現代の先生達が皆孔子と同じであったならば、
ただ仕方なく机の前に座っているような学ぶ気のない学生ばかりの
高校や大学など、全部いらなくなるでしょう。(苦笑)


本来学問とは、やりたがっもいない者に無理やり押し付けるものではなく、
自らが志を立て、生涯をかけて探究するものであるはずですから、
孔子が厳しく感じられるのは、やはり、現代の教育に問題があると
言わざるを得ません。


孔子はまた、こんなふうにも言っています。

 子曰く、朽木は彫るべからず。
  糞土(ふんど)の牆(かき)はぬるべからず。(公治長10)
 

 ***解釈***

  朽ち果てた木には彫刻できないし、肥料用の土で作った土垣には
  上塗りはできない。

 **********
 

これは、孔子の弟子の宰予(さいよ)が、昼寝をしていて寝過ごして
しまったときの言葉です。

それまでの行いにもやる気が感じられるとは言い難かった宰予を、
朽木や糞土に例え、「だから宰予を叱ることはしない」と続けて
いるのですから、これこそ、孔子の手厳しさではないでしょうか。


もし、今、あなたが失敗や間違いを犯してしまったとき、
周りの誰かに叱られたり、諭されたりすることがあるのであれば、
それは、まだ、あなたが朽木や糞土ではない証拠です。


孔子はまた、冉求(ぜんきゅう)という弟子が、
「私には力が足りなくて先生の道を行うことができません」
と音をあげた時には、こんなふうに叱っています。

「今、なんじ、画(かぎ)れり」
(自分から見切りをつけている)


「自分はダメなんだ」などと自分で見限ってしまっては、
どうにもならないじゃないか。ということでしょう。


You lead the horse to water and watch him drown

ジョージ・ハリスンもそう歌っています。

例え、チャンスが与えられたとしても、
それを生かせるかどうかはすべて本人次第なのです。


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