『闘戦経(とうせんきょう)─武士道精神の原点を読み解く─』(家村和幸編著)
◇メルマガ読者限定。特別先行予約受付中!
詳しくはこちらでどうぞ
⇒ http://okigunnji.com/2011/11/post-61.html
本が出来次第、お手元にメール便で届きます。
お支払いは、同封の郵便振替用紙[手数料無料]でどうぞ)
⇒ http://okigunnji.com/2011/11/post-61.html
----------------------------------------
配信解除はこちらからお願い致します。
http://www.mag2.com/m/0000049253.html
┏★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
『軍事情報特別企画 (荒木肇の「戦車と日本人」第28回)』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆☆★┛
◇◆◇ 発行講読者数:10,856名/平成23年(2011年)11月9日(水)発行 ◇◆◇
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
取材・インタビュー・原稿作成・webコンテンツ用テキスト文作成・自費出版の
原稿作成支援およびアドバイス・その他《書く》ことに附帯する一切の業務に
ついて執筆活動を展開しております。 ライター・平藤清刀
E-mail hirafuji@mbr.nifty.com
WEB http://homepage2.nifty.com/hirayan/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
----------------------------------------------------------------------
● もくじ
----------------------------------------------------------------------
◎ 特別企画 『戦車と日本人』 連載第28回(荒木肇)
◎ 著者略歴
◎ 著者・荒木さんにメールする
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●特別企画 『戦車と日本人』 連載第28回(荒木肇)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□はじめに
先週は忙しすぎて、とうとう掲載不可能となり、ご迷惑をおかけしました。いろいろ
と重なり、休載の運びとさせていただき、恐縮しています。
10月29日の土曜日、新幹線で名古屋へ向かい、近鉄特急に乗り換えて伊勢市にい
きました。その夜の「陸上航空を語る会」、30日の明野駐屯地創立56周年記念式典
にうかがうためでした。明野は陸軍戦闘機隊の揺籃(ようらん)の地です。大正時代に
陸軍はフランスのフォール大佐をはじめとする空軍の教官団を招きました。世界大戦後
の航空技術を学ぶためです。そのとき、三重県明野には戦闘機、浜松では爆撃機、そし
て偵察機の訓練場として千葉県下志津に飛行場を開きました。
明野には、しゃれたフランス風の将校集会所が今も残り、資料館になって公開されて
います。貴重な文献や、旧軍の装備品などが保管され、マニアにはぜひお勧めしたいと
ころです。昔、海岸まで続いていた広大な飛行場。現在は、陸上自衛隊航空学校がおか
れています。前夜の集いには航空科のOBたちや、地域の協力者の皆さん、学校長ほか
現職の教官、航空宇宙産業の皆さんが集まり、なごやかな楽しいひと時でした。
そこで話題になったのは、やはり、原発への水の投下であり、大震災の遭難者の方々
の捜索・救援が主になりました。自衛官はいわゆる泣きごとをいう体質がありません。
しかし、あの震災での活動をふりかえって語る隊員の皆さんの話の裏側には、防衛予算
を削減され、とりわけ航空勢力の弱小化が図られた結果がうかがえました。
30日は朝から雲が低くたれこめたはっきりしない天候でした。式典は無事終了し、
観閲飛行、そして初めて見せてもらった明野レインボウによる展示飛行。まず、浜松か
ら飛来した航空自衛隊ジェット練習機T4による見事なフォーメーション飛行がありま
した。浜松の空自基地からはおよそ直線距離で100キロメートルです。
次に、副校長が座乗する指揮官機UH1に率いられたOH(偵察ヘリ)、AH(対戦
車ヘリ・アパッチも加わる)、CH(大型輸送ヘリ)の観閲飛行がありました。多様な
機種がそろって編隊をつくって飛びました。たいへんな技量です。
たいへんな技量といえば、教官たちで構成された明野レインボウでした。みごとな訓
練展示を行ってくれました。「ヘリは機体によって姿勢が違う。それをそろえて一緒に
飛ぶだけでもたいへん難しく、機動したり、フォーメーションを変えたりするには大変
な操縦技術がいる」と、幹部の解説です。
一般の方々も多く入場され、地域に親しまれた存在であることをあらためて感じまし
た。歴史ある伊勢市に近代的な航空部隊がある。その取り合わせの絶妙さに感じ入って
帰ってきました。
□黒江大尉のこと
一部の航空ファンにしか知られていない黒江保彦少佐(元空将補)、キ-102など
についてのお話、築山様のご知識の範囲の広さ、深まりもたいへんなものですね。黒江
少佐は敗戦間近には福生の審査部におられ、私の父などは隣の立川飛行機におりました
ので、いつも声をかけてくださっていたようです。ビルマの飛行第64戦隊の中隊長か
ら帰国されたばかりで、堂々たる偉丈夫。飛行服がまさに板につき、そうと知らされな
ければ、38機撃墜の超エースとはとても思えなかった。軽妙で洒脱、親切なお人柄
だったと聞かされました。
エースは畳の上では死ねないという格言があるかのように聞いています。戦後は航空
自衛隊に入隊されました。石川県小松の航空団司令のとき、休日に出かけた磯釣りで高
波にのまれ亡くなりました。あらためて、ご冥福を祈りたいと思います。
▼全般状況のおさらい
ノモンハン戦について、おさらいをしておこう。私自身が軍隊符号や地図などの資料
に囲まれていると、あれれ、というときもある。初めての読者の方がおられたら、少し
お役にたつこともあるだろう。
まず、最初の戦闘は1939(昭和14)年5月13日に起きた。その前々日、外蒙
古(モンゴル)兵による越境事件があり、警備していた満洲国軍部隊と衝突。ただちに
出動した第23師団の捜索隊、「東支隊」が少数のモンゴル兵を撃破したのが始まりに
なる。もともと国境線が確定していない地域では、昔も今も紛争が起きやすい。日ソ間
ではすでに前年には、ソ朝(いうまでもなくソ・日)国境の張鼓峰で武力衝突があっ
た。
そういう場所では、どうしても出先の部隊が互いににらみ合う。政府間でもお互いの
主張を強く出すと武力衝突になる。国境線の紛争に弱腰で引きさがっていると、他の方
面でも強腰の対応を次々とされてしまう。なにやら現在の、お隣の国々との関係にも似
ている。
第23師団は、それまでの4単位制師団とは異なっていた。3個歩兵聯隊で構成する
歩兵団をもった軽量級師団だった。歩兵2個旅団、すなわち4個歩兵聯隊ではなかっ
た。対ソ戦を構想していた陸軍参謀本部は、4単位では輜重が不十分になる、そういっ
た理由から3個歩兵聯隊を中心にした師団をつくった。熊本の歩64、広島の歩71、
久留米の歩72が、その聯隊である。
これまで、新設師団だから実戦経験者が少なかったとか、部隊の団結が弱かったと
か、さまざまな解説があった。しかし、実態はそうでもない。すでに書いたように、師
団の将兵は新兵ばかりでなかったし、勇戦した結果からそれは分かる。また、時代は大
損耗をこうむり続け、大動員が続いた大東亜戦争中ではない。現役ももちろん、予備役
といっても、みな元々はバリバリの甲種合格の人々だった。
ソ蒙軍はさらに大兵力を東岸に投入する。現在の解釈では、ソ連側、というより独裁
者スターリンによるヒステリックな攻撃性の表れではないかとされている。ヨーロッパ
ではドイツとイタリアが急接近し、東からは日本人が迫ってくる。このままでは大粛清
を行った後の国内の統制すら危なくなる。そういった被害意識が、彼にノモンハンでの
大攻勢を考えさせたという。
5月28日、夜明けとともに関東軍は「山県支隊(歩64基幹)」を送りだす。37
ミリ対戦車砲4門をもつ歩兵1個大隊に山砲を9門、92式重装甲車4輌などをつけ
た。東捜索隊、220名もこれにしたがった。総兵力は1600名。これでソ蒙兵を包
囲して殲滅するつもりだった。が、戦場にはソ連軍の装甲車と高速戦車が出てきてしま
う。もちろん、わが対戦車砲は有効だった。しかし、多勢に無勢。
しかも、標高がはるかに高い西岸の台地からは砲撃され、撃たれっぱなしになる。歩
兵部隊と引き離された東捜索隊は、29日に壊滅(戦死傷220名中139名)。山県
支隊も退却ができないうちに、戦死者およそ160名(ほかに負傷者130名)の損害
を出してしまった。
▼日本側の航空優勢
この間の航空戦では、日本陸軍航空隊がソ連空軍を圧倒する。21日には、ハルハ河
上空を飛んでいたイ-16戦闘機2機に護衛されたソ連軍偵察機があった。それを97
式戦闘機3機が襲い、撃墜する。この初めての戦果は飛行第24戦隊第1中隊があげ
た。つづいて22日午前、連絡任務で飛行中のソ連軍偵察機1機を同第2中隊が襲っ
た。もちろん一撃で落としてしまう。その午後には、第1中隊長可児大尉はイ-15と
交戦、これを撃墜。
同日、イ-16の2機も失われた。5月24日には飛行第11戦隊の一部、20機の
97式戦闘機がハルピンからノモンハン付近に展開する。25日にはソ連軍の4機の戦
闘機と偵察機が97式戦闘機によって落とされる。さらに27日は9機のイ-16が6
機の日本機と交戦、1機がぼろぼろになって帰還したほかは、みな草原に黒煙をあげて
しまった。
この日本軍の優越は、すぐれた機体、熟練したパイロット、機上と地上無線の活用が
大きく貢献していたとソ連空軍の記録に残っている。
6月17日から19日にかけて、増強されたソ連空軍はカンジュル…
[続きはコチラから]
https://mypage.mobile.mag2.com/WebLeading.do?id=HgCSdtO1NiR&position=4500#position
◎軍事情報
のバックナンバー・配信停止はこちら
⇒ http://bn.mobile.mag2.com/bodyView.do?magId=0000049253
[まぐまぐ!今週の注目メルマガ]
★1から市場を占有するWebマーケティング☆ビジネス快進撃
http://a.mag2.jp/F94J
→ a0000181254.-mftr@mobile.mag2.com
★がんばれ建設?建設業専門の業績アップの秘策
http://a.mag2.jp/F94V
→ a0000177186.-mftr@mobile.mag2.com
※空メールから登録できます
いい天気だ。
今いる場所に
メモを残そう
http://a.mag2.jp/iZh9