『数学者が見た 二本松戦争─武士道の精髄を尽くした戦い─』
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   『軍事情報別冊  「戦う日本人の兵法 闘戦経(8)」

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◇◆◇ 発行講読者数:10,865名/平成23年(2011年)10月14日(金)発行 ◇◆◇

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● 戦う日本人の兵法 闘戦経(8) ~箭の弦を離るるものは衆を討つの善か~
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▽ごあいさつに代えて ~最初に闘戦経を学んだ人物・源義家~

 日本兵法研究会の家村です。「闘戦経」は大江匡房(おおえのまさふさ)が著した
日本最古の兵法書ですが、これを最初に学んだ人物が源義家(八幡太郎義家)です。こ
の源義家は、文武両道の武将として古くから尊敬されてきました。

 前九年の役(1051~62年)では、朝廷に叛旗をひるがえした陸奥の安倍頼時、貞任(さ
だとう)父子が率いる安倍一族の軍が、現在の岩手県南部の北上川に沿って、延々80
キロにわたる縦深に10個の柵(防御陣地)を築いて守っていました。これを攻略しよ
うとした鎮守府将軍・源頼義は、10年にもわたり悪戦苦闘しましたが、攻め落とすこ
とができませんでした。頼義の息子である源義家は、少年のころからこの戦に参加して
いましたが、この難局を打開するために父・頼義の命を受けて京都の大江家から兵法を
学ぶことになりました。

 代々朝廷の書物を管理していた大江家では、唐から入ってきた「六韜」「三略」や
「孫子」「呉子」といったシナの兵法書を管理していましたが、これらの兵書を「人の
耳目を惑わすもの」として秘して伝えず、閲覧も大江家に限定し、門外不出としていま
した。しかし、義家はあきらめることなく、大江家からの兵法伝授を後冷泉天皇に歎願
し、これを受けた大江家三十五代の匡房は、やむをえず「孫子」及び「軍勝図」を義家
に伝えました。

 当時の日本で「孫子」その他の兵書に最も精通していた匡房は、「兵は詭道なり」と
するシナ兵書が和の精神を基調とする日本の国柄に合致せず、やがてはこれらの兵書を
生み出した古代シナの春秋戦国時代のような群雄割拠、戦乱の巷をもたらしかねないこ
とを危惧し、「孫子」を義家に伝授するにあたっては、古来から日本人が大切にしてき
た戦い方や、戦における心構えなどを簡潔にまとめ、これも併せて伝授しました。これ
が今、皆様に紹介している「闘戦経」なのです。

 この時、教える側の匡房も、教わる側の義家も、ともにまだ数えで21~22歳の若
者でした。

 兵法を伝授された義家は戦地に復帰し、孫子の兵法の特徴である「火攻」や「囲む師
は欠く(完全包囲をせず、逃げ道を与えて敵を心理的に動揺させる)」といった戦術・
戦法を用いて戦うことにより、難攻不落と思われていた安倍軍の縦深陣地帯をわずか
11日間で一挙に突破し、大勝利を収めました。

 この戦いにおいて、義家は第四線陣地である衣川の柵で安倍貞任(さだとう)の軍勢
を破りました。この時、義家は逃げる貞任を追って50m程まで追いつき、弓で矢を射
かける際に、「衣のたては ほころびにけり」と和歌の下の句で呼びかけました。「衣
のたて」とは衣川の柵のことで、「この衣川の防御陣地はすでに破られたぞ。」という
意味でした。

 安倍貞任は逃げながら、後ろを向いてすかさず「年を経し 糸の乱れの苦しさに」と
義家の下の句に応じて上の句を返しました。これは、「11年の長きにわたる戦い(前
九年の役を指す)で疲れ果て、将兵の足並みも乱れてしまった挙句に」といったような
意味でしたが、これに感心した義家は、貞任を射ち殺すことなくことなく逃がしまし
た。このように、源義家という人は、非常に思いやりのある武人でした。

 前九年の役は厨(くりや)川の柵が攻略されて、貞任が戦死し、安倍軍が降伏して終
りました。貞任の弟である宗任(むねとう)は捕虜になりましたが、義家は自分より
十歳近く年上の宗任を生かして京都につれて帰りました。これは、東北の鎮定は前九年
の役だけでは治まらない。必ずどこかで再び戦いが起こるであろうと考えてのことでし
た。

 京都に帰った義家は、宗任を常に自分の居室で生活させ、寝室の近くで寝かせたの
で、源氏の武将達は宗任が夜中に義家を暗殺するのではないかと心配しました。多くの
人が宗任を別室で監禁しておくべきだと忠告しましたが、義家はこれを聞き入れず、絶
えず信頼をもって宗任を遇しました。このため、安倍宗任は源義家に非常な恩義を感じ
ることになりました。

 その後、宗任は四国の伊予国に流され、次いで九州の筑前国宗像郡の筑前大島に流さ
れましたが、そこで日朝・日宋貿易に重要な役割を果たすとともに、大島の景勝の地に
自らの守り本尊を安置するために寺院を建て、77歳で亡くなりました。

 京都における義家の宗任に対する処遇を通じて、東北地方の人びとに「源氏は捕虜に
なった人びとを愛護する」という話が広まりました。前九年の役が終ってから約20年
を経て、後三年の役が起きましたが、義家は全力をもってこれを戦い、清原武衡(たけ
ひら)・家衡の乱を比較的短期間に征伐するとともに、今の秋田・青森地区を早々と服
従させました。これらは全て、義家が安倍宗任を大変大事に扱ったことが東北地方に伝
わっており、朝廷は捕虜に対して残忍なことはしない、ということがわかっていたから
でした。

 このように、日本で最初に「孫子」と「闘戦経」を学んだ源義家という人は、単に武
勇だけの武人ではなく、文の道にもたしなみがあり、思いやりも深く、戦術・戦法に秀
でていた上で、さらに戦略レベルの大きな考えを持った武人だったのです。

 さて、それでは本題の「闘戦経」に入りましょう。今回は、小部隊が大部隊に勝つ秘
訣、指揮官の統率の重要性などについて解説いたします。

(平成23年10月12日記す)





▼速やかに敵の恃む所を討つ

単兵にて急に擒(とりこ)にする者は、毒尾を討つなり。
(闘戦経 第四十三章)

 単兵とは主力部隊から離れて行動する小さな部隊のことである。単兵をもって敵から
戦う意思を奪い、敵兵を捕虜にするには、毒のある尾のように脅威が大きく、かつ比較
的攻め易い部位を一挙に討つことである。

 蜴(とかげ)や蜂、蝮などが持つ毒は激しいが、それらの尾や針や牙そのものは小さ
く脆いものであるから、先ず最初にこれらの害毒の根元をとり除けば後は恐れるに足ら
ない。又、火事は小火のうちに消火すれば大火に至らず、雑草も芽のうちに摘み取れば
大きな力で引き抜く必要がないように、どんなことでも先手をもって未発を討ち、事が
大きくなる前に処理し、状況が固定化する前に処断すれば、労少なくして成果を得られ
る。これらと同様に、戦においてもその初動で敵の勢いを制し、最も脅威となるものを
潰してしまえば敵は無力化される。

 単兵を持って敵の大兵を倒す秘訣は二つある。その第一は、「急襲」である。敵が我
と決戦する企図を有しながらも、その備えが未完で、勢いが弱ければ、我から先に攻撃
してこれを倒すべきである。また広域にわたって分散している敵に対しては、その戦力
が合一する前に攻撃して迅速に各個撃破すべきである。この場合、敵部隊の一部を捕獲
しただけで油断すると残りの敵にやられてしまうので、敵全体を完全に制圧するまで反
復して攻撃を継続しなければならない。

 第二には、「情報」である。万難を排し、敵にとって重要な時期と場所を明らかにす
ることである。敵の司令部、製造・貯蔵施設、重要港湾、航空基地、補給幹線等は、人
体における心臓、大脳や動脈血管のように重要な機能、即ち敵の急所であり、これらを
優先して叩くべきである。又、渡河中や上陸中の部隊、空から降下中の空挺部隊等は、
すぐに戦力発揮できないという弱点を有している。これらを完了した強大な敵と戦って
我が戦力を消耗するよりは、明智を以てこの弱点となる時期と場所を解明し、一挙に
叩く方が良策である。

 このため、あらゆる敵の動向を推察し、情報の耳目を展開して兆候を察知し、その急
所・弱点がいつ、どこに在るかを知りつくす必要がある。

 いずれにせよ、我が行動を覚らせず、神速果敢に攻撃して、敵に対応のいとまを与え
ないように、平素からの弛まざる訓練により十分な実力を養っておくことが極めて重要
である。


▼寡兵を以て大敵を討つ

箭の弦を離るるものは、衆を討つの善か。
(闘戦経 第四十四章)

 矢が烈しい勢いを以て弦を離れるのは、寡兵を以て大敵を討つべき術そのものであ
る。矢が玄を離れてしまえば、的に中るか中らないかを論じても意味が無い。矢が的に
中るか中らないかは、矢を射ち放つ以前の結節において決まる。

 弓を引き絞る時、射主(弓を射る者)は全身が英気に満ち、その英気が弓矢に移り、
心と矢が一体の境地に至る。…

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