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日本の心を伝える会
メールマガジン vol.373♪
 2011/9/8(木曜日)

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〇〇〇〇様

こんにちは。
日本の心をつたえる会です。
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★☆★ もくじ ★☆★
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■□【1】昭和天皇行幸(3/4)
─◆◇──────
□■【2】携帯で接続の皆様へ
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  -{^∀^}--{^∀^}-


┌◆ 昭和天皇行幸(3/4) ◆
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昨日に引き続き、昭和天皇の行幸のお話です。
因通寺で何が起こったのでしょうか。

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山門の前は、だらだらした上り坂になっていて、その坂を上り詰めると、23段の階段がある。
その階段を登りきられたとき、陛下はそこで足を停め、「ホーッ」と感嘆の声をあげられたそうです。

そうです。
石段を登りきった目の前に、新緑に彩られた因通寺の洗心の山々がグッと迫っていたのです。
陛下は、その自然の織りなす姿に、感嘆の声をあげられた。

陛下が、その場で足をお留めになられている時間があまりに長いので、入江侍従さんが、陛下に歩み寄られ、何らかの言葉を申し上げると、陛下はうなずかれて、本堂の仏陀に向かって恭しく礼拝をされます。

そして孤児たちがいる洗心寮に向かって歩かれます。
寮の二階の図書室で、机を用意して、そこで佐賀県知事が陛下にお迎えの言葉を申し上げるという手はずになっていたのです。

図書室で、所定の場所に着かれた陛下に、当時佐賀県知事だった沖森源一氏が、恭しく最敬礼をし、陛下にお迎えの言葉を述べます。

「本日ここに、90万県民が久しくお待ち申し上げておりました天皇陛下を目の当たりに・・・・」

そこまで言上申し上げていた沖森知事は、言葉が途切れてしまいます。
知事だって日本人です。
明治に生まれ、大正から昭和初期という日本の苦難の時代を生き、その生きることの中心に陛下がおわし、自分の存在も陛下の存在と受け止めていた知事は、陛下のお姿を前に、もろもろの思いが胸一杯に広がって、嗚咽とともに、言葉を詰まらせてしまったのです。

するとそのとき、入江侍従さんが、知事の後ろにそっと近づかれ、知事の背中を静かに撫でながら、「落ち着いて、落ち着いて」と申された。
すると、不思議なことに知事の心が休まり、あとの言葉がスムーズに言えるようになったのだそうです。

この知事のお迎えの挨拶のあと、お寺の住職が、寺にある戦争羅災孤児救護所のことについてご説明申し上げることになっていました。

自分の前にご挨拶に立った知事が、目の前で言葉を詰まらせたのです。
自分は、あんなことがあってはいけない、そう強く自分に言い聞かせると、住職は奏上文を書いた奉書を持って、陛下の前に進み出ます。
そして書いてある奏上文を読み上げた。

「本日ここに、一天万乗の大君をこの山深き古寺にお迎え申し上げ、感激これにすぎたるものはありません」
住職は、ここまで一気に奏上文を読み上げた。

ところが、ここまで読み上げたところで、住職の胸にもググっと熱いものが突き上げます。

引き揚げ孤児を迎えに行ったときのこと、戦争で亡くなった小学校、中学校、高校、大学の級友たちの面影、「天皇陛下万歳」と唱えて死んで行った戦友たちの姿と、一緒に過ごした日々、そうしたありとあらゆることが一瞬走馬灯のように頭の中に充満し、目の前におわず陛下のお姿が霞んで見えなくなり、陛下の代わりに戦時中のありとあらゆることが目の前に浮かんで、奏上申し上げる文さえも奏書から消えてなくなったかのようになってしまったのだそうです。

意識は、懸命に文字を探そうとしている。
けれどその文字はまったく見えず、発する言葉も声もなくなってしまった。
ただただ、目から涙がこぼれてとまらない。
どう自分をコントロールしようとしても、それがまったく不可能な状態になってしまわれたのです。

そのとき、誰かの手が、自分の背中に触れるのを感じた。
入江侍従さんが、「落ち着いて、落ち着いて」と背中に触れていてくれたのです。

このとき、住職は、前に挨拶に立った知事の姿を見て、自分はあんなことは絶対にない、と思っていたのに、知事さんと同じ状態になってしまったと述べています。

こうしたことは、外国の大使の方々も同様のことがあるのだそうです。
外国の大使の方々は、日本に駐在していていよいよ日本を離れるというときに、おいとまごいのために陛下のところにご挨拶に来る習わしになっています。
駐日大使というと、長い方で6~7年、短い方でも2~3年の滞在なのですが、帰国前に陛下にお目にかかってお別れのご挨拶をするとき、ほとんどの駐日大使が「日本を去るに忍びない、日本には陛下がおいでになり、陛下とお別れをすることがとても悲しいともうされるのだそうです。

この言葉が儀礼的なものではないことは、その場の空気ではっきりとわかるのだそうです。
そして陛下とお話しをされながら、駐日大使のほとんどの方が、目に涙を浮かべられ、言葉を詰まらせる。

特に大使夫人の方々などは、頬に伝わる涙を拭くこともせず、泣きながら陛下においとまごいをされるといいます。

こうしたことは、その大使が王国であろうと、共和国であろうと、共産圏の方であろうと、みな同じなのだそうです。

むしろ共産圏の国々の方々のほうが、より深い惜別の情を示される。

さて、ようやく気を取り直した住職は、自らも戦地におもむいた経験から、天皇皇后両陛下の御心に報いんと、羅災孤児たちの収容を行うことになった経緯を奏上します。

この奏上が終わると、何を思われたか、陛下が壇上から床に降り立ち、つかつかと住職のもとにお近寄りになられた。

「親を失った子供達は大変可哀想である。人の心のやさしさが子供達を救うことができると思う。預かっているたくさんの仏の子供達が、立派な人になるよう、心から希望します」と住職に申された。

住職はそのお言葉を聞き、身動きさえもままならなかったといいます。

この挨拶のあと、陛下は、孤児たちのいる寮に向かわれます。
孤児たちには、あらかじめ陛下がお越しになったら、部屋できちんと挨拶するように申し向けてありました。

ところが、一部屋ごとに足を停められる陛下に、子供達は誰一人、ちゃんと挨拶しようとしない。
昨日まで、あれほど厳しく挨拶の仕方を教えておいたのに、みな、呆然と黙って立っている。

すると陛下が子供達に御会釈をなさるのです。
頭をぐっとおさげになり、腰をかがめて挨拶され、満面に笑みをたたえていらっしゃる。
それはまるで、陛下が子供達を御自らお慰めされているように見受けられたそうです。

そして陛下は、ひとりひとりの子供に、お言葉をかけられたのです。


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