★渡部由輝「数学者が見た戦争」シリーズ第一弾★
『数学者が見た 二本松戦争─武士道の精髄を尽くした戦い─』
著:渡部由輝
四六判並製・244ページ
発行:並木書房
定価1680円(税込)
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『軍事情報特別企画 (荒木肇の「戦車と日本人」第20回)』
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◇◆◇ 発行講読者数:10,956名/平成23年(2011年)9月7日(水)発行 ◇◆◇
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取材・インタビュー・原稿作成・webコンテンツ用テキスト文作成・自費出版の
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ついて執筆活動を展開しております。 ライター・平藤清刀
E-mail hirafuji@mbr.nifty.com
WEB http://homepage2.nifty.com/hirayan/
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● もくじ
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◎ 特別企画 『戦車と日本人』 連載第20回(荒木肇)
◎ 著者略歴
◎ 著者・荒木さんにメールする
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●特別企画 『戦車と日本人』 連載第20回(荒木肇)
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□はじめに
ノモンハン戦の戦車にふれるだけのはずが、対戦車戦闘から始まって、第23師団の
ことに深入りしています。それは、新設されたばかりの「3単位制師団」が実戦に投入
された初めての事態だったからです。ノモンハン戦の実態については、私たちは数多く
もない文献(それはほとんど旧ソ連の情報秘匿・操作のおかげですが)によって手探り
で解明をしてくるしかなかったといえます。
辻政信氏による『ノモンハン』は毀誉褒貶のある本ですが、その中に、『第23師団
は歴史が浅く、団結心が少なかった』というような記述もありました。また、実戦経験
者がほとんどいなかった。だから、さまざまな不手際があったかのようにも言われてい
ます。今回は、1977(昭和52)年に出版されている御田重宝氏による『ノモンハ
ン戦-人間の記録』と、伊藤桂一氏の小説『静かなノモンハン』をご紹介してみます。
前者は中国新聞の記者だった御田氏がていねいに参加者から聞き書きを取ったもの。
文書資料だけでは明らかにし得ない、オーラル・ヒストリー、口承する歴史です。
後者もまた公刊戦史では現れなかった史実を掘り起こし、形式は小説とはいえ、ほと
んど実録といっていいと考えられます。この2作品と公刊戦史を参照しながら、とくに
対戦車戦闘に焦点をあてていくつもりです。それが当時の日本人の真姿を少しでも再現
できる。それによって、私たちの現在を考えるよすがの1つになると信じています。
当時の若者はよくやりました。本来は馬6頭でひく野砲を、砂に車輪をめりこませな
がら、懸命に9人で丘に引き上げようとします。全員が力尽きたところに、戦死者を満
載したトラックがやってくる。「エンジンが焼き切れそうです」という指揮者の軍曹。
「このままでは敵に追及される。なんとか砲を丘にひきあげて欲しい」と願う若い少
尉。軍曹は快諾します。「牽いてみます。もし、敵が来たら、一緒に死にましょう」。
軍曹は気持ちのいい男でした、元少尉はそうほほ笑みながら記者の質問に答えていま
す。
今の若者も同じように、いざとなったらよくやってくれるのです。「自衛隊という学
校」も昔からの軍隊教育の伝統を残し、義務教育の補完をしています。組織や人のつな
がりの中での役割を把握させ、ふさわしい行動を取るように教えているのです。
「一灯は一隅を照らし、万灯は国を照らす」という古い教えのように、自衛隊は隊員
一人ひとりの真摯な行動で私たちの祖国を守ってくれました。今回の災害派遣につい
ての隊員の皆さんからのアンケートはそのことを表しています。
ある若い隊員からのなぜ自衛官になったかという問いへの答えがありました。『まっ
すぐな仕事に就きたかった』というものです。そして、困っている人を助ける。
それは、やっぱり、まっすぐな仕事だったのでしょう。
□お便りに答えて
AY様、まさに「補給」ですね。撃つに弾丸なく、食べる物がない、水がない。負傷
者には適切な手当てができない。戦場に到着するまでに行軍だけで体力が消耗してい
た。それはYT様のご指摘通り、まさに平時の予算の帳尻合わせのための仕事の結果で
した。23師団は過酷な、未知の戦場にいきなり投入されたのです。3単位制師団は、
対ソ連戦用の師団と言いながら、沿海州の密林の突破ではなく、一望目をさえぎるもの
もない砂漠での戦いを強いられました。
KY様、定説や誰もが知っていると思っていることへの疑い。おっしゃるように、常
識や、自分の判断力をもてば、矛盾や行き違いがいくつも発見できます。ありがとうご
ざいます。皆さまのようなご意見やご感想で、ますます元気が湧いてきます。
西巻様、おじい様についてのお話、興味深く拝読しました。馬がお好きで、ずうっと
馬といっしょにすごされてきたのですね。最後まで乗馬部隊におられたらしいと見当が
つきました。また、「マルゴ車」について、「ホハ」車の改造型という情報、ありがと
うございます。
▼どんな若者たちが第23師団にいたか?
23師団は歩兵第64(熊本)、第71(広島)、第72(久留米)の3個聯隊が歩
兵団を構成した。これまでの常設師団は、必ず師団番号と一致したナンバー砲兵聯隊を
もっている。たとえば、第6師団の野砲兵は第6野砲兵聯隊であるようにである。
ところが、第23師団の砲兵聯隊は第13というナンバーになっている。これは、明
治32年に編成された第1野戦砲兵旅団の中の第13野砲兵聯隊が前身である。192
2(大正11)年、第1野砲兵旅団が解散され、廃止された聯隊だった。23師団の編
成が下令されたとき、名称が復活した聯隊である。
23師団は、広島第5師団の留守隊から人員を集めてつくられた。当時、第5師団は
野戦隊として満洲にいた。野戦師団の留守を預かるのが留守第5師団である。各聯隊の
駐屯地には補充隊があった。そこには、応召している予備役兵、既教育補充兵や、教育
召集中の未教育補充兵がいた。その管理、教育などのたずさわる現役将校、下士官、兵
もいて、その人たちからも選ばれて新設部隊の要員になった。
歩兵第71聯隊(以下、慣例にならって歩71と表記する。他聯隊も同じ)は大正の
軍縮で軍旗を返納した部隊だった(岩国市にあった)。それが23師団の新設にあた
り、軍旗を再び親授され(1938年7月)、復活することになった。
第1大隊は岡山県福山の歩41、第2大隊は島根県浜田の同21、第3大隊は山口の
同42から人が集められた。広島の歩11からは、聯隊本部、速射砲中隊、聯隊砲中
隊、通信中隊を構成するために人を引き抜いた。初年兵、2年兵をそれぞれ集め、それ
に現役、召集の下士官を配当していった。
歩71に転属した広島県福山歩41の上等兵の思い出によれば、歩41の2個中隊か
ら歩71の1個中隊が編成された。『自分たち1月入営の現役と、4か月ほど前に召集
されてきた2年先輩の予備役兵、それに4年兵と呼んでいた下士官が中核として入って
きていた』。陸自第13師団が刊行した『広島師団史』によると、歩71の編成定員は
3172人。
歩兵3個大隊に聯隊砲中隊(4門の41式山砲75ミリ)、速射砲中隊(4門の94
式37ミリ)。歩兵大隊は4個中隊と機関銃中隊(92式重機関銃8)、大隊砲小隊
(2門の92式歩兵砲57ミリ)。歩兵中隊は3個小隊、1個小隊は4個分隊で、うち
2個が軽機関銃、1個が擲弾筒の各分隊になる。小銃手はおのおの10名くらいとなる
らしい。
歩71の編成定員の3172名というのは、4単位常備〈甲〉師団の歩兵聯隊374
7名に比べると、いささか見劣りがする。また、幹部たちの階級をみると、各中隊長は
例外なく中尉である。おそらく、将校達もかなりの割合で予備役が多かったことだろ
う。
しかし、歩71は決して「弱兵」であるとか、「実戦経験が少ない」という評価はあ
たらない。パリパリの予備役兵(つまり、25歳以下)や、4年兵、5年兵の下士官
(24歳から25歳くらい)などには支那での実戦経験があった者が珍しくなかったよ
うだ。
▼実戦経験について
私事で恐縮だが、わたしの親族にはまったく実戦経験もないまま、支那に出征した者
がいる。それこそ、学徒出身の予備役幹部候補生出身。2年間の現役をおえて砲兵少尉
に任官。除隊かと思いきや、即日召集、そのまま現職務にて継続勤務という口である。
ついでに、すぐに戦場へ出発。実弾の洗礼を受け、そのまま召集が解除もされず、ずっ
と南支那にいた。もっとも、わずか半年ばかり(昭和18年末ころ)は民間に戻れてい
たようだ。
その思い出話によれば、当時の日本軍(1941年)でも、誰だってたいていが実戦
には素人である。ただし、一度でも弾丸の下をくぐれば、モノをいうのはそれまでの訓
練であり、教育だったという。以下、その語るところである。
よく、戦場経験が一番、平時の兵営での訓練など、まるで役に立たなかったと語る人
…
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