西村 そうすると欧米人がChinaと言うのは問題にせず、日本人が支那と言うのに怒るのはどうしてでしょうか。どうして侮蔑を感じるのでしょうか。
丸山 その国の文化の中でそれを侮蔑と感じることがある場合、それは仕方のない事でしょう。差別というのは相手がどう受け止めるかが問題です。セクハラと同
じです。
槇 言葉はそれを使う人の内面的なものではないでしょうか。「この中国人野郎」と罵倒する人と、「支那人の方大丈夫ですか」といたわりの言葉をかけるのでは
どちらが問題でしょうか。
西村 欧米人がChinaというのに侮蔑を感じないのは何故か問い質したのですか。
丸山 それは中国人の問題です。
西村 だから、それを支那人に説得しなきゃならないのじゃないですか。日本人にだけ「支那を使うな」と言うのは、日本人だけを差別していることだと、分から
せなきゃいけない。
槇 支那が差別語でないという事を教えないからですよ。逆に中華と言うほうが他国を見下した差別語である、と教えるべきですよ。
丸山 藤井先生の講義を受けている学生でさえ「あれほど立派な講義をなさっているのに、何で差別と誤解を受ける支那という言葉を使うのか、勿体ない」とい
う声さえあります。
槇 その通り、誤解である。支那は差別語であるという誤解を解く努力をするのも大学の使命ではないですか。
丸山 大学の外でそういう運動を願いたい。大学の中では差別と感じる学生が1人でもいる限りできません。
西村 158人も支那人留学生がいれば、その中には共産党のキャップがいるでしょう。彼らは月に1回留学生の動向を中共大使館に報告に行っています。そし
たら「支那で結構、問題はない。中共には言論の自由など何もない」などと誰が言えますか。言いたくても言えない人達がいる、だからそれを学問の場でやって
いただきたい。それが文学博士としての先生のあるべき姿ではないですか。
丸山 私たちは教育環境を和やかなものにするというのが仕事です。
西村 では支那人が騒げば何でも「ハイハイ」と聞くのですか。
丸山 何人が騒ごうが、和やかな教育環境を作るという事を考慮しなければならない。
西村 チベット人で中国のパスポートを持っている人がいますが、この人が「中国は漢民族の言葉である。今に我々は独立するから、中国という言葉は使わない
でくれ」と言ったら、あなたはこのチベット人の言う事を聞くのですか。
丸山 仮定の問題には答えられません。現実に学園で預かっている学生達が問題なのです。
西村 ではあなたは学者としての良心を投げ捨てても平穏無事であればいいと言うのですね。仮定の問題に答えられないならば、学問を追究する資格がない。
先田 これは学問ではなく政治問題ですよ。留学生は経済的・政治的なエリートです。もし政府の意向にそぐわない言動をとったら留学できないのではないで
すか。支那が差別語だとしたら逆はどうですか。卑弥呼は。邪馬台国はどうですか。これらの漢字こそ悪意を込めた差別語ではないですか。それを棚にあげて
支那が差別語とするのはジャパンバッシングのための屁理屈ですよ。
丸山 政治問題ではなく文化の問題でしょうね。
槇 物事の真偽を問わず無条件に多数に媚びるというのであれば、何も考えず仲間外れを恐れて皆と同様にルーズソックスを履いている女子高生と同じでは
ないですか。
S女史 私は政治学を専攻して藤井先生を尊敬する1人ですが支那と言ってもいいと思います。松本健一先生(同大学教授)の授業の中で、中国の華夷秩序を、
中華人民共和国の中華というのは東夷・西戒・南蛮・北荻に対する世界の中心という意味であると習って、先生に「それは昔の話でよすね」と質問したら、「今もそ
うですよ」と答えられました。それでもし私が「中国ということはそれを認めることで差別を感じるので、支那と言いたい」と言ったら丸山先生はどうおっしゃられます
か。先生は「差別と感じる学生が1人でもいる限り」と表現されましたが、どうですか。それは日本人の学/