きのうは、亡き母の5回忌であったことを夜中になってから思い出した。介護は大変であるというのが一般的な認識であるが、介護は親孝行ができる最後のチャンスであると考えればどうだろうか。今まで親から受けた恩や、散々迷惑をかけた人にとっては一発逆転のチャンスでもある。どんなに親孝行したつもりでも、いざ亡くなってしまえば何かしらの悔いは残るものだ。理想はやはり家族による在宅介護だ。なぜなら、介護施設内での虐待というのは多いのだ。古い資料で恐縮だが、2007年12月4日の読売新聞の1面に【介護施設内虐待498件】【市町村把握の10倍】とある。しかし、経験上、実際はもっと多いのではないかと思う。御多分に漏れず、母も病院でも施設でも虐待を受けたので、市と理事長に抗議した結果、病院の婦長は転勤、施設の看護師は痛~いめにあわせた。そのおかげで、逮捕寸前にまでいく羽目になったのだが、それがきっかけで在宅介護をすることになった。訪問介護の施設と契約するまで何日かあったので、その間オムツ交換もやった。私は、大便の匂いが苦手で吐き気をもよおし、涙を流しながらやったのだが、母はそれを見てゲラゲラ笑っていた。耐えられなくなり、しまいには扇風機を持ってきて風上に立ってやった。その後、日に3回ヘルパーが来るようになってからは、オムツ交換を手伝った。それ以外に週3回訪問入浴のサービスを受けていて、点数はいっぱいのため、食事は自分で作った。元々、武骨で無精者ではあるが、こだわると徹底的にこだわるのだ。茨城県のポラン広場から有機野菜や玄米の宅配を依頼した。玄米もそのまま炊くと固いので2時間水に浸してから炊いた。勿論、水にもこだわった。母は昔は料理学校に通っていただけあって、料理は得意であり、仕事の合間に手早く作ってくれた。そのレシピをノートに殆ど全て書いておいた。母のもう1人の曾祖父はホテルオークラでコックをしていたので、多少は血筋を引いているのかもしれない。母は糖尿病と高血圧の合併症で脳梗塞10回と小脳出血を患い、最後の4~5年は要介護度5だったので手足は殆ど効かなかった。しかし、色んなサプリメントを補給して
いたので顔色は良かったし、ボケなかった。たまに、夫婦と間違われるほどだった。私も、いつも10年くらいは若く見られるのだが、さすがにそれは複雑だった。どっちも、B型の典型のような能天気同士なので、友達のようにいつも冗談を言ってはヘルパーさん達を笑わせていた。今にして思えば楽しかったし、私にとっては何かしらの意味のある修業だったのだろう。母もいい時期に逝ったと思っている。美智子皇后様と母は3日違いで、私は浩宮皇太子殿下と同学年だ。やはり、天皇陛下はもとより、美智子皇后様にはずっとお元気でいて欲しいと願う次第の今日この頃だ。