日本経済復活の会の景気循環学会の松浦 昇先生から以下のようなメールをいただきました。
論文は添付ファイルになっています。-----------------------------------------------------------------------------------------------

最近、何度か小野さんが国会議員を回るのに同行して居ます。
私の役回りは「この日本では、積極財政がハイパー・インフレを起こす心配は皆無である」ことを判って貰う事です。



添付した資料は、その時の説明資料です。
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ご一読いただければと思います。



              栗原茂男
               【純日本人会】 http://www.junnihon.com/
http://jun-nihonjinkai.blog.eonet.jp/



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日本でハイパー・インフレは起きない 4/29 2011

      景気循環学会 会員 松浦 昇



我々が「積極財政による日本経済の復活・活性化」を提案するときに、赤字国債発行に反対する決まり文句は
→「一旦財政規律を緩めると、必ずハイパー・インフレを引き起す。」

この脅し文句は真実でないが、此れに有効に対抗するには理論武装が必要

1. ハイパー・インフレの事例の考察
(1) 1923年のドイツのハイパー・インフレ
(2) アルゼンチンのハイパー・インフレ
(3) ブラジルのハイパー・インフレとIMFの介入
(4) 戦中・戦後の日本

2. 諸国のインフレと経済成長の関係の実績(IMFのDBから)

3. インフレの利害得失
(1)「インフレの弊害論」の仕分け
(2)インフレで損するのは誰か
(3)インフレの効用

4. 「日本ではハイパー・インフレは起こらない」と断言する理由

5. 財政にもインフレ・ターゲットの導入を


緒言
震災復興をはじめ、国が何かをしようとすると、二言目に出てくるのは、「で、財源は」です。此処で「赤字国債で」などと言い出すと、此に反対する決まり文句があります。「そんな事をして一旦財政規律を緩めると、必ずハイパー・インフレを引き起こし、国民全体が泣くことになる」と言う、超短絡的な脅し文句です。我々が今後、「積極財政による日本復活」の運動を推進して行くには、どうしても此の紋切り型の脅し文句に、簡潔・有効に反論するための理論武装が必要です。

これが如何に根拠のない悪質なデマであるかを明らかにするために、「インフレ」と言う現象について、過去の事例や統計データを元に少し掘り下げて調べて見ました。先ず何をインフレと呼ぶかですが、これは「物価が継続的に上昇すること」とします。その率が例えば年率3%位であれば、ことさら取り立てて言う程の事ではありません。尤も世の中には、「例え3%でも(俺は損だから)インフレは困る」と言う立場の人が居ます。この人々はインフレで自分の金融資産の実質購買力が減価するのを「インフレ税」と呼んで忌み嫌います。だから、この類の人々には「例え僅かでも継続的なインフレを引き起こすような政策は、やがてインフレを制御出来なくて、必ずハイパー・イ
ンフレになる」と言う神話を吹聴し、自分でも、それを信じたい動機があります。

年率2~3%の物価上昇は敢えて「インフレ」とは言いませんから、以下の議論では勝手に「インフレとは、それ以上の物価上昇が続く状態」と定義します。同じ感覚で「物価上昇が年率30%を越えたら悪性なインフレ」として良いでしょう。双方とも、それが発生する根本的な原因は何時でも、何処の国でも同じで、「購買力に比べて、(有形・無形の)モノが足りない」からです。

ついでに言うと1995年の円高騒動のころ「調整インフレ」と言う主張がありました。調整インフレで目指す「モデレートなインフレ」とは、年率5~10%程度の物価上昇だったと思います。



1. ハイパー・インフレの事例と考察
1. 1 1923年のドイツのハイパー・インフレ

表 1 ドイツのハイパー・インフレのプロフィル
(添付ファイル参照)

以上の経過を見ると、ドイツのインフレが「ハイパー・インフレ」に転化したのは
1922年の後半からで、この原因が「中央銀行の信じられない御乱行」及び、フランスのラインランド占領と、これに対抗したドイツの政府指令によるストライキという、「通常の経済行為の範囲を超えた、国家ぐるみの意地の張り合いと破れかぶれ」の結果と言わざるを得ない。


1.2 アルゼンチンのハイパー・インフレ

アルゼンチンのGDP デフレ-ター の推移
      1950 1970 1985 1990 1995 2000
deflator  8.66/1 兆  5.33/1 億  2.92/千  36.7  103.1  100.0
X 6,155 X 547.8 X 12,568 X 2.8

特徴は、猛烈なインフレが 1950 から 1990 迄の間に何度か繰り返して居ることである。

このインフレの原因は、17世紀以来の「度重なる内乱を含む政治的不安定」だが、これがハイパー・インフレに転化した伏線としては、1861 年に実現した政治的統一が、貿易港ブエノスアイレスを
持ち、「(関税なしの)自由貿易」を主張して居たブエノスアイレス州の主導で成立したため、古くから開けた内陸諸州で育ちかけて居た諸工業が、ヨーロッパから流入した安い工業製品との競争に敗れて壊滅して居たことが大きい。

統一後のこの国は、大規模畜産と農業の輸出競争力を背景に、1929年には「世界で5番目に富裕な国」になった。この豊かさをバックとしたペロン大統領とエヴァ夫人の「ペロニスタ」が福祉重視の政策を採り、一時は旨く行ったが、これに反発する伝統的な大農場主+軍部連合のクーデタで大統領は亡命した。その後も何度かの政権交代があり、ポプリスト的政策がもたらす購買力急増に応えるべき消費財の国内での製造能力が、前述の歴史的経緯から貧弱だったことがインフレを悪性化させたと見られる。これに軍事政権によるフォークランド奪回の失敗もあり、物価が安定したのは
1995 年以降である。


1.3 ブラジルのハイパー・インフレとIMFの介入

ブラジルの経済発展は、北東部諸州の奴隷労働に頼るサトウキビ栽培に始まり、やがて中心が南西部サンパウロ州のコーヒーや、ジェラス・ミナイス州の酪農に移ると、これにはデリケートで自発的な熟練労働が要求され、ヨーロッパや日本からの自発的移民を多く受け入れた。この伝統的農産物輸出主体の経済構造から、各種工業は発達して居なかった。

だから1954 年に自殺する迄のバルガス大統領や、これを継いで「50 年の進歩を5 年で」を掲げたクビシェツキ大統領も急速な工業化を進めた。更に1964 年に成立したカステロ・ブランコ将軍の軍事独裁
政権は、外資導入による野心的な近代工業化を進め、軍用機国産を目指したエンブラエル社もこの頃に出来た。

この国には 1962 年以前の統計が入手できないが1965 から 1975 の間には、アルゼンチンそこのけの猛烈なインフレ(約20 兆倍と桁外れ)が生じた。


表 3 ブラジルのGDP deflater と実質GDP(百万$) の推移

1965 1970 1973 1975 1990
2000 2005
Deflater 3.7/1 兆 1.3/千億 2.3/千億 62.19 85.93 100.00
107.27
× 3.51 ×1.77 × 2.7 兆 ×1.4
×1.15
実質GDP bill. $ 121.04 163.33 250.85 263.88 403.85 524.50
584.46


ハイパー・インフレは1975 年には収まり、その後のインフレはごくマイルドになった。

この 1975 年頃に何があったか?と言うと, 対外借款の返済の行き詰まりからIMFが介入して、ワシントン・コンセンサスの処方通りの、公務員の人員と給与の削減を含む財政の徹底的削減、公営企業の外資への売却による民営化、輸入自由化を含む各種規制の撤廃などをおこなった。

確かにインフレはぴたりと収まったが、韓国と殆ど平行して GDP が急成長して居て、このまま行けば遠からず先進国の線(log10(GDPpc)=4.0 GDP per capita が1万$)に達する勢いだったのが、一転し
て低成長に変わった。

1. 4 戦中戦後の日本のインフレ
戦前のそば屋では、盛り・かけとも 1杯7銭だった。戦後しばらくして 1950 年ころの蕎麦の公定価格は7円(しかし、これを食べるには麺類外食券が必要)だった。戦前からこの頃までの物価上昇は約100倍に上昇した計算。

日本のケースは、戦争に必要な人件費や武器・弾薬・その他燃料などの消耗品を賄うために膨大な財源が必要になり、この財源は日露戦争の時のように外国に借りる訳に行かないから、赤字公債の日銀引き受け以外にはめぼしい調達法がなかった。モノや人手が戦争の方に取られて、銃後では猛烈なモノと人手の不足がおこり、この為の物価と人件費の高騰を抑え
る為の公定価格は、やがて有名無実になった。更に海外(外地と占領地)からモノを運ぶ海上輸送が、アメリカの潜水艦の攻撃で殆ど途絶え、その後には空襲による生産施設や輸送網
の徹底的な破壊で、末期には殆どのものが無くなって、ヤミ価格が暴騰した。

終戦直後には、約310万の復員兵と軍属・民間人約320万が海外から帰還したが、戦争中の人手や肥料・資材の不足で農地も荒れて食料生産力も落ちて居たし、諸々の必需物資も、空襲や軍事転用による生産施設の消滅、原材料・燃料の欠乏で生産力が激減して居たから、「供給不足によるインフレ激化」は必然的だった。

この戦中・戦後のインフレ激化の原因を「赤字国債の発行による財政規律の弛緩」のせいにする議論は、経済の実態を忘れたオカルト信仰のようなモノだが、「赤字国債発行の先鞭
をつけた高橋是清がけしからん。彼は国賊である。」と言う発言まで出て来た。

経済白書に「もはや戦後でない」と書かれたのは 1956 年だが、この頃には「物資欠乏」は解消し、各企業は「もっと買って貰う」ことに重点を移した。しかしインフレはその後も続き、この頃から 1991 までに、物価は更に
数倍になった感じだが、給料の方は昇級分を含めると10倍以上になった。だから私の頭の中では、モデレートなインフレと経済成長・生活水準向上は、離れがたく結びついて居て、その後色々な統計数字を扱う場合の視点に影響して居るかも知れない。


大卒初任給 戦前 60~80 円
1952 7、000~12、000 円
現在 15万~20万 円 (戦前から約2500 倍)

以上の数字を見ると、日本の戦中・戦後のインフレは相当なモノですが、あれだけの無茶な戦争による壮大な浪費と、戦災による生産力への甚大な被害にもかかわらず、兆の単位が
出てくる他の3国に比べれば、とても「ハイパー・インフレ」と言う程のものではない。この違いの理由は、戦前の日本はすでに「資本蓄積が過剰」な先進国だった為である。



2. 諸国のインフレと経済成長の関係

下のグラフは、1950 年以降のヨーロッパと米州諸国の実質GDPの推移である。

図1 log10(GDP ) Billion $ (Europ & America)
(添付ファイル参照)
この図で見ると、アルゼンチンやブラジルの実質GDPは、ハイパー・インフレの期間を含めて、スイスやスエーデンなどの西欧諸国と、略同じか、それ以上のペースで上昇して居
る。とくにブラジルが急成長を遂げた 1970 年台は、丁度ハイパー・インフレの期間と重なって居るのは、単なる偶然とは思えない。

次ページのグラフでは、他の国々の実績も検討するが、少なくとも「インフレは、実質値での経済成長を妨げない」のは確かである。

図 2 1995~2005 間の Deflator 増減と GDP成長率 の関係
(添付ファイル参照)/