ご訪問ありがとうございます💖
誰かの気持ちが軽くなったり、
誰かに気付きを与えられたり、
誰かに愛💖を感じてもらえたら嬉しいな💖
みんなにもっともっと輝いて欲しいから✨🌈✨
今回のお話はこちらを読んでから👇
大阪の私立の大学に進学して念願だった一人暮らしを始めた。
両親に最初は大学の寮に入るように言われたが、一緒に受験した高校の仲良しの同級生が大学の近くに新築のレディースマンションを見つけたのだ💕
便乗して私もそこに住むことになった
引っ越しの時は養父が2トントラックを借りてくれて、その同級生の荷物も乗せて一緒に引っ越し。静岡から大阪までの車2台でのちょっとした旅。
あの時のワクワク感と嬉しさと有難さは今でも忘れない
養父には(父と書きたいけど、わかりにくくなるからあえて養父と書きます。
私にとっては大切な父です✨)
「私立大学で外へでるとなると、うちではつま先立ちの家計だよ」と言われていたから、
(まだ妹も弟も下にいたからね)
日本育英会で奨学金を借りてなんとかやりくり。
大学2年からは、両親に学費だけ払ってもらい、仕送りはしてもらわなかった。
勉強はほどほどに、いやぎりぎりに💦アルバイトを頑張る日々。
家庭教師、ガソリンスタンド、紳士服やさん、ホテルニューオータニのスカイラウンジ、派遣マネキン、近所のスナックなどなど。ほんとにいろんな仕事を経験したなー
外国語学部だったので、周りの友人らはあちこち海外に行っていた。
アメリカはもちろん、インド、中国、アフリカ、フランス、イタリア・・・
写真を見せてもらって、いろんな異文化の話を聞くのがとても楽しかった
私もスペイン行きたいなーって。(スペイン語学科だったし)
大学3年の時にちょうど学校からスペインへの短期留学案件が舞い込んだ。
「行きたい」早速、詳細を聞いて留学を計画。
旅慣れた友人らのアドバイスを受け、当時流行っていた「〇〇の歩き方」を参考に。
(今はインターネット🛜があるけど、30年前は書籍で調べるしかなかったよね💦)
折しも湾岸戦争が勃発。
がーーーん 学校の留学は中止になってしまった・・・
仕方ない、自分でフリーツアーで行くしかないと決意
さぁ、パスポートを取得しなくちゃ!
「パスポートを作るのに戸籍がいるの。送ってくれない?」
すると両親は何故か、一旦実家に帰ってこいと言う。
「はー?私バイトもあるし忙しいし、第一、帰るのにお金がかかるし無理💦」って言った。
養父と母はなんだかもぞもぞしながら、「おまえが・・・」、「パパが・・・」
と電話がくるくる交代される。実家に帰ってきたら交通費はあげるからと。
私はピン💡ときた。
「話したいことがある」って、そうか、戸籍のことだ・・・。
私は、すっかり忘れていたんだ。
パスポート=戸籍=私の養女が分かる ってこと。
私は養父に思ったことをそのまま言った。
「ねぇ、私は高校の時に戸籍を取ってるから知ってたよ。
いまさら、面と向かって、いろいろ言われたいと思う?
私の気持ちも考えてよ・・・」
思いがけず、最後は半分、上ずって涙声になってしまった・・・。
「そうか、分かった。じゃ、送るよ」と養父に言われて、電話が終わった。
養父の戸惑いが手に取るように分かったから
電話を切ってから、脱力してしまって
しばらく何も手につかなかった・・・
それから1週間後・・・
パスポート作成の為の私の戸籍謄本が、1通の手紙と共に届いた。
養父の達筆なキレイな字で綴られた手紙の書き出しはこうだった。
「3歳のころからリカと暮らし・・・中略・・・
お前が20歳になったら話そうと思っていた。・・・中略・・・
親の心 子知らずとはいうけれど、
子の心 親知らずだった・・・」
養父は18年間もずっと頭の片隅で「いつかは事実を話そう」って思ってて
ずっと本当の娘のように私を育ててくれて、養ってくれて、
叱ったり、褒めたり、一緒に遊んだり・・・・
小さい頃のこととか、いろんな思いがあふれてきて、その手紙を胸に抱きしめて
わんわん声を出して泣いた。
なんて愛情深く育ててもらったことだろう。
ありがとう、ありがとう、ありがとう💖
振り返ってみると、どんな「体験」も「感情」も
「愛を学ぶため」なんだなぁと💖
大事なその手紙はどこかにしまい込んである。
絶対あるはず。絶対に
でもどこだろ?
「父親ストーリー」つづく・・・
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