柳田国男/伊良湖/ハイネ(二) | 醒餘贅語

醒餘贅語

酔余というほど酔ってはいない。そこで醒余とした。ただし、醒余という語はないようである。

 しかし、伊良湖にハイネを携えて行ったことは確からしい。というのもこのときの柳田本人によるノートが残されており、その中に確かにハイネの文が書かれているからである。ノートではあるが、2016年に「柳田国男の手帖『明治三十年伊勢ノ海の資料』」と題されて伊勢民俗学会から公刊されている。編者は岡田照子、刀根卓代両氏である。翻刻ではないが鮮明な影印なので、元の形で読める。とはいってもあまり崩し字に慣れていない筆者には判読の難しい箇所も多い。


 その中のハイネの文章は以下のようなものである。
 

There are certain mirrors, so constructed that they would present even Apollo as a caricature. But we laugh at the caricature, not at the god. Heine
 

 この引用元を調べたところ(適当な部分をキーワードとしてGoogleで検索しただけだが)、これが詩集 ”Atta Troll” の序文にあることが判明した。ちなみに井上正蔵訳の『アッタ・トロル』(岩波文庫他)における該当部分は「世の中にはまったく磨きの悪い鏡があるもので、その鏡にうつると、アポロのような美男子だってポンチ絵のようになって、私たちを笑わせます。けれでも、そのとき私たちが笑うのは、ポンチ絵のことだけで、アポロのことではありません。」と訳されている。


 筆者が見つけた箇所はハイネの著作そのものではなく、その散文の英訳を集めて1887年に出版された “The Prose Writings of Heinrich Heine” という書物の編者Havelock Ellis による序文に引用されたものである。そこではmirrorsのあとに , Heine said, が挿入されている。ただし書物にはAtta Trollの序自体は入っていない。またハルツ紀行もないようであるが、「流刑の神々」(柳田の引用では「諸神流竄記」)の英訳 “Gods in Exile” は収録されている。


 先の引用は先行する英訳本によるものかと思ったが見付けられていない。他の訳では、簡単にso constructedとされている部分が井上訳と同様ground in so irregular a wayとかso badly cutのようになっている。またEllisの引用では第一文の最後「私たちを笑わせます」の部分が欠落している。ひょっとしたらこの部分はEllisによる簡訳なのかも知れない。仮にそうであるなら柳田が伊良湖に持参したのはEllis編の訳書であったということになる。


 そう思えるもう一つの傍証として、先の手帖の該当部分の前にCatullus と Villonとが(名前だけ)書かれていることを挙げたい。実はEllisの序文にもCatullus と Villonへの言及が、先の引用部分よりも前の方にある。意味が取れているか自信はないが、ハイネをカトゥルス(ローマ時代の詩人)、ヴィヨン、及びバーンズの兄弟分たる卓越した叙情詩人としたうえで、それとはまた異なる傾向をも有しており、そこに散文作品から近づこうというのである。バーンズをメモしていないのは、すでに回覧誌に「小バーンズ」なる文章をものしていることから想像されるように、わざわざ書き留める必要を感じなかったものか。


 日本文学39巻2号(1990年)に掲載された相馬庸郎氏の「柳田国男の二十歳代」によると、柳田はレクラム版のハイネ文庫本をいくつか合本し、「明治三十一年六月十八日夜分 大学寄宿舎」などと書き込んでいるそうである。すでにドイツ語を読みこなしているにもかかわらず英訳を手帳に書き留めているのは、大した意味はないのかも知れないがEllisの解説(その後半はハイネの略伝であるが)が目的であった可能性はないのだろうか。