某月某日
 
 東急東横線渋谷駅が地上から地下5階に移転し、東京メトロ副都心線や西武線・東武線との相互乗り入れが始まったというニュースはご存知の方も多いだろう。前記事でも書いたが、その数日前に渋谷駅周辺を散歩した。そして、移転後に改めて旧東急渋谷駅を訪れた。そこが数日間だけ「Toyoko Line Shibuya Station Park」として開放されていたためだ。これが終われば駅は取り壊され、再開発が始まる。最後の渋谷駅の姿を目に焼き付けておこう。
 
イメージ 1これがStation Parkの入口。入場料として120円取られるが、すでに自動改札は撤去され、入場券は人の手で売られ、入場チェックも人の手で行われていた。
 
 
 
 
 
イメージ 2駅構内には人工芝が敷かれていた。ホームと一部の線路の上全体に。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3中央にはステージが作られ、そこでミュージシャンきっての鉄道マニアとして知られる向谷実氏と、その仲間たちによるライブが行われていた(一番左でキーボードを弾いているのが向谷氏)。写真の右上に、かつて使われていた列車の行先案内板が映っているのにもご注目を。
 
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かつて列車が頻繁に来ていた車止めはそのまま。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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さらに先に進むが、ここから先は立ち入り禁止。線路の下に敷き詰められているバラスト(砂利)のつかみ取りなるイベントも行われたそうだが、あまりの人気ぶりにすぐ定員オーバー。渋谷駅を思い出させるものは、もうそのバラストだけになるかもしれない。
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この渋谷駅のホームは2階に当たる。1階にも改札があり、そこからはこの階段で上がっていたことになる。東急渋谷駅が今の形になったのは、東京オリンピックが行われていた1964年のことだそうだ。49年間この形だったわけだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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音楽のライブの後は、この東急渋谷駅の写真集を作った中井精也氏のトークが行われた(中井氏のブログ「1日1鉄」はこちら)。中井氏に指摘されて気づいたが、この駅の屋根(通称カマボコ屋根)も、当時としてはとても斬新で温かく、最近の建築デザインで見ることはもうできないだろうとのこと。言われてみればそうだ。渋谷駅は本当にいい駅だったなあ。
 
 改めて見回すと、首都圏の駅で終着駅らしい駅といえば、ここ以外はJR上野駅の平面ホームだけだろう。終端がすべて車止めになっている駅は、他に京王・小田急の両新宿駅があるが、両方ともビルの中、というか地下にあり、屋根の圧迫感が強く、ちょっと息苦しい。これだけ開放感あふれる終着駅がなくなるのは本当にさびしいなと感じた。中井氏は「東急渋谷駅はこんな駅だったんだよと次世代に語り継ごうではないか」と言っていたが、本当にそう思う。ついでに中井氏の写真集も買ってしまった。中井氏のサインも書いてもらった(^^ゞ
 関西の友人にそんな話をしたら、東急渋谷駅がなくなるのは、関西で言ったら京阪三条駅が地下に潜ったのと同じ感覚なのかと言われた。言われてみればその通り。京阪三条駅も、本線の終端ホームと京津線のホームが隣り合っていて壮観だった。七条~三条の間は鴨川沿いに走っていて、絶好の車窓が見られたものだが、今は地下に潜ってもう見られない。便利にはなったが、失ったものも大きい気がする。
某月某日
 
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 通信教育の知人であるNさんが書いた演劇用脚本が見事賞を受賞し、それが舞台化されたというので見に行った(公演について詳しくはこちら)。その知人にチケットを頼んだので一般の前売券よりさらに安かった(^^ゞ
 場所は恵比寿のエコー劇場。劇団テアトル・エコーの本拠地というべき劇場で、定員はざっと150~200人くらいか。平日の夜だったが、ほぼ満員になっていた。初日は満席だったというから、かなりの盛況だ。普段わたしはあまり演劇を見ないが、Nさんが脚本を書いていたというのは受賞のニュースで初めて知ったし、そのNさんが初めて書いたという長編脚本がどんなものなのか、興味を持って足を運んだ。
 
 舞台は東京近郊のとある駅の裏にある喫茶店。店主・敦志の高校時代の同級生・咲子の通夜が行われ、それに参列した別の同級生・楓太が敦志の店を訪れるところから始まる。そこへさらに別の同級生・奈津が姿を現し、小学校から高校時代の思い出話を語るのだが、思った以上にドロドロな人間関係が判明(彼らは既に50歳、四国の地元の中学時代に水泳をやっていたという共通点もある)。さらに皆それぞれに心の傷を抱えていたことが判明していく。楓太は先に店を後にし、店には奈津が残され、敦志と奈津が急速に互いに惹かれていく…
 
 久しぶりに同窓会で再会したことをきっかけにして恋に落ちるというのはよくあるパターンではある。ただ、最初はどちらかと言えば互いを責めるようなセリフが多く、むしろ相手に負の感情を抱いている。それがいつのまにか、互いの本音を言ったり聞いたりしていくうちに恋に発展していく。わたしは中学から男子校に通っていたから、自分にとってはあり得ないシチュエーションであるが、それでも見ているうちに「あるあるー」と共感して引き込まれてしまう。
 出演している3人の俳優たちも、みな舞台出身だけあって演技がうまい。多少大げさかなとも思うが、その方がむしろわかりやすいと感じられ、よかった。
 
 演出にも驚いた。セットが本格的な喫茶店を想定したしっかりした作りになっていたし、後半ではその舞台になんと水をまいて、そこに俳優さんが寝そべり、ずぶ濡れになって演技を続けるのである。店の外では雨が降っているというシチュエーションなので、雨が窓を打つ様子もしっかりと再現されていて、手間暇かけているなと感心した。
 
 終了後ロビーに出ると、観客も関係者ばかりらしく、スタッフと普通に会話している。わたしはNさんしか知人がいないため、ちょっと居心地が悪かった。
 
 帰り道の途中でNさんと一緒に歓談した。脚本が実際に劇になるまでの過程は、わたしも知らないことだったので興味深かった。演出家とは別にドラマドクターという存在がいて、脚本の修正についてアドバイスを受けたそうだ。
 劇の話だけでなく、小説の話もした。やはり創作は一人でこもっているよりも、同志と話をする方がより具体的なイメージがわきやすく、書きやすい。もっと外に出なくては。
 
 最後に、場所が渋谷に近かったため、もうすぐ地下に潜ってしまう東急東横線の線路沿いに二人で歩いた。Nさん、深夜の変な散歩に付き合ってくださってありがとうございました<m(_)m>
某月某日
 
 文学学校恒例の、通信教育の春のスクーリングに出席。前日に同級生との飲み会に出席したため、少し二日酔い気味.。
 
 午前中は、プレスクーリングとして、3編の小説の合評会に参加。まず担当のチューターから言われたのは、小説を書く時、優先するべきは題・登場人物像・エピソード・文章(いかに正確か)を優先し、ストーリーやテーマは後回しにするようにとのことだった。ストーリーのために人物像を作ると、人物の動きが不自然になるというのだ。なるほど。
 3編の小説はどれも魅力的だったが、その中で、卵から生まれた謎の生物と人間女性の奇妙な同居生活を描いた小説への評価が難しかった。自分の意見を述べる番が回ってきた時、こういう解釈ができるのでは、と述べたところ、小説を解釈してはいけない、書かれているないようをそのまま受け止めよとチューターから言われた。誰か(アスリートだったかな?)が言っていた「Don't think, feel」ということか。
 
 午後は、別のチューターからの講演と、自分が所属するエッセイクラスで各エッセイの合評を行った。わたしのエッセイは、年末に提出したもので、辞典のように、いくつかの言葉について解釈を試みた。いくつかを以下に抜粋しておく。
 
いし【医師】①自然に治る病気をいかにも自分で治したように見せかけたり、いずれ死ぬ患者の命を数日間延ばしたりすることにより、少なくない金を患者や国からせびり取る職業。②看護師・臨床検査技師や事務員等に指示を与え、手足のように使っているように見えて、実は彼らにこき使われている職業。
 
のうテツドーシス【脳テツドーシス】脳の中に鉄分ならぬテツドー(鉄道)が貯まることにより、突然興奮状態になったり異常な行動を起こしたりする病気。小児期の男児に多く、かつては年齢を重ねるにつれて症状は軽くなり、治癒することが多かったが、現在は大人まで症状が続くケースが増え、最近は女性患者や、大人になってから症状が出始める患者も増えている。患者でない人間から見れば相当重症そうに見える大人の患者であっても、実際の病状はおおむね軽く、反社会的行動や生活崩壊を起こす真の重症患者はごく一部である。何を隠そう、編者自身もこの病気の患者である。
 
ラーメン 麻薬の一種