某月某日
 
 大学の後輩と自宅近くで飲んだ。彼が故郷の関西に帰ると聞いて送別会を開いたのだ。送別会といっても彼と同じ職場のもう一人の後輩と3人だけのささやかなものだったが。
 わたしの現在の住まいは関東にあるが、大学は関西の大学だった。その後輩も関西出身であり、仕事の都合とはいえ数年前に彼が関東に、しかもわたしの実家近くの職場に来るとは予想外だった。当時わたしはまだ関西で働いていたから、彼と会う機会はあまりなかった。わたしが実家近くに帰ってからも、お互いに仕事が忙しく、この日までに会ったのは結局1回だけだった。
 彼だけでなく、大学自体の友人と会う機会は、あるようでなかなかない。もう関東を離れるということがきっかけで彼に会うことになったというのはなんとも皮肉だが、お互いになんとか無事に仕事を続けているという姿を確認できるというのは悪くない。この日も、いずれ関西でまた会おうと約束して別れた。
 
某月某日
 
 関西に行き、大学時代の同級生たちと飲みに行った(来たというべきか(^^ゞ)。これは先ほどの後輩との再会とは違い、毎年恒例になっている行事である。これも、いつも幹事役を引き受けてくれる友人がいるからだ。こういう行事を行うためには、面倒くさい幹事役がいなければ難しい。
 中華料理を食べ、ビールを飲みながら語る内容といえば、意外なほど仕事についてのことが多かった。全員が同じ仕事をしているというせいもあるが、わたしも含めて学生時代はむしろふざけてばかりいた連中だったから、学生時代のわたしがタイムマシンに乗って今の自分の姿を見たら、目を丸くして驚いているだろう(^^ゞ裏を返せば、みな同じ悩みを抱えているということでもある。そして、その悩みを打ち明ける場があるようでないということもまた事実である。
 さらに面白いことに、その場にいた友人の一人が、この歳になって改めて自分の出身大学に対する愛を感じるという。これも学生時代は思いもしなかったことである。今の自分があるのはその大学に入ったからであり、今の自分の大部分は大学で作られているのも確かだ。だからこそ、出身大学が否定されるようなことがあれば、それは自分が否定されたも同然である。なるほど、出身学校を「母校」というのは言い得て妙だ。
 この日もまた、来年の再会を約束して別れた。それにしても、こういう会合では必ずと言っていいほど飲みすぎ、翌日は二日酔いで苦しむ。翌日も別の大事な用事が控えているのに……。
(その用事については、近々アップするのでもう少しお待ちを<m(_)m>)
某月某日
 
 とある同人誌の合評会に出席するため、大阪へ行った。その同人誌のメンバーは、わたしも通っている通信教育の学校(以下B校と略)の生徒で、何度も顔を合わせていたのだ。妙齢の女性から誘われたら、断るわけにはいかない(^^ゞ
 
 もっとも、会場に入ったら、出席した人数の多さにびっくりした。多くの人を誘っていたのは知っていたが、来るのはせいぜい10人前後だろうと高をくくっていたら、その何倍もの人たちがいたからだ。大部分は男だったから、わたしのように不純な動機を抱いていた連中も少なくなかったのではないか(おまえだけだって?)。とはいえ、会場の大きさは参加した人数に合う大きさだったから、予定通りだったのだろう。
 
 合評会とは、雑誌に掲載された小説などの文章について、執筆者本人に向かって直接その文章の感想・批評を述べ合う会合である。本人の前とはいえ、本人のためなので、手厳しい言葉を浴びせることも少なくない。ただ、この日は参加者が多すぎたせいか、一作品あたりの批評を述べる時間は短かった。わたしもいくつかの作品について述べたが、たいがいの場合、一番最初に批評する人の意見で言い尽くされていることも多かったから、自分の意見を述べる時間はさらに短かった。その一方、同じ作品に対しても褒める批評もあれば批判する批評もあり、色々な見方があるなと感心した。とはいえ、大部分の小説はわたしよりうまい。わたしの小説はまだまだだ。他人の作品から学ぶべきことはまだまだたくさんある。早く自分も追いつきたいものだ。
 
 終わった後は恒例(?)の飲み会。ほとんどの合評会参加者がそのまま参加した。多くは、わたしと同じB校の生徒だ。もっとも、通信教育生だけでなく、通学生も多かったため、名前は知っていても初めて顔を合わせる人も多かった。その中に、わたしと同様、いやそれ以上の鉄道マニア兼野球マニアの人がいた。その人といろいろな話をしながら、自分の趣味をいかに文章に取り入れるか、あれこれ考えを巡らせた。さらに驚いたのが、日曜日にもかかわらず、3時間以上も飲み会が続いたことだ。わたしはもちろん関東に帰らなければならないため中座した。
 
 結論。合評会で叩かれることを恐れてはならない。とにかく書き続けること。
某月某日
 
 通信教育の事務局から、昨年暮れに投稿したエッセイが、春に発行される通信教育生特集号に採用されたので、改めて原稿を送ってほしいと連絡があった。通信教育生は、規定では年4回投稿できるが、今年度は自分が投稿した4本すべてが特集号に掲載されることになった。これはもしかしたら快挙かも知れない。といっても、エッセイの場合、1本当たりの枚数が少ないため、毎回1クラスあたり4~5人くらい掲載される。1クラスの学生は10人くらいだから、その半分が掲載されることを考えると、大した記録でもなさそうだ。これが小説の場合だと、生徒数がもっと多いし、掲載されるのも毎回1クラスあたり1人か2人ということが多いので、小説なら快挙なのだが。
 それよりも、年明けに無事提出した2本の原稿(これらもエッセイ)が、採用されたり賞をもらえる方がずっと快挙なのだが、そちらの方がよほど厳しい。難しそうだ。
 
某月某日
 
 自宅に、小説の原稿10本分が一斉に届いた。学生が編集する特集号の選考のためである。長いものも短いものもある。これらを2週間で全部読まなければいけない。読むだけならいいのだが、優劣をつけなければいけない。これは大変だ。一応採点基準は知らされており、それに従えばいいともいえる。しかし、内容の好き嫌いは反映させてはならないと言われてはいるものの、それを完全に排除できるかというのもなかなか難しそうだ。とはいえ、誰かが選考しなければいけないのだから、できる限りのことはしてみよう。他人の原稿を読むのも自分の修業のうちだ。