本日5月12日は、日蓮大聖人が伊豆へ流罪となれた伊豆法難の聖日
日蓮大聖人が鎌倉の由比ヶ浜から、
船で伊豆へ流される時、
お弟子の日朗(にちろう)上人との
涙の物語が今でも伝わっています・・・。
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「お、お師匠さま~!」
「ええい、小僧!船から離れろ!」
「お願いです!この私も一緒に伊豆にお流し下さい!」
「聞き分けのない奴じゃ、こうしてやる!」
バキッ!辺りに鈍い音が響きました。
役人が船の櫂で小僧さんの手を打ったのです…。
時は弘長元年五月十二日、
日蓮大聖人は世間を騒がした罪で
鎌倉幕府から伊豆流罪を申し渡されます。
鎌倉由比ヶ浜より、
大聖人を乗せた船が伊豆へ向かって出立しようとした時、
弟子の日朗上人が駆けつけて参ったのです。
この日朗上人、
いつも大聖人の側から離れず、
ご給仕したので「給仕第一」と称されたほどの方です。
後に六老僧の一人として日蓮宗門を背負っていくことになります。
「日朗よ、日朗よ!伊豆と鎌倉は遠くと言えども、海で繋がっている。太陽が昇る時を見ては、日朗無事なりと祈ります。太陽が西に傾く時は、日蓮伊豆にありと思いなさい…。また合う日までその身を愛せよ!」
大聖人の涙がらの声が辺りにこだまします。
「お師匠さま!お師匠さま~!」
波打ち際で手を砕かれた日朗上人、声を限りに呼び続け、船縁に立たれた大聖人も涙の声でお題目。
「此経難持、若暫持者、我即歓喜~」
周りにいた人々が自然と宝塔偈の経文を口々にします。その声は波に揺られ、
一句は縮まり、一句は伸びて聞こえて来るのでした。
今、私たちが口にする宝塔偈。
独特な節でお読み致します。それは大聖人の伊豆流罪の際に、
皆が読んで聞こえた宝塔偈が始まりだそうです。
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そのような伊豆法難の聖日に、
本山本法寺で京都日蓮宗公開講座がありました(。-人-。)
前座の法話を務めさせて頂いたことは大変ありがたく、光栄でありました\(^▽^)/
以上、本日の出来事でした。
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