エミリー・ブロンテの『嵐が丘』(鴻巣友季子訳)を読了しました。
サマーセット・モームが『世界の十大小説』の一つに選んだ、世界文学史上燦然と輝く名作で、私は大学生のとき旧訳を購入したのですが、その後読む機会がなく、「ブック・オフ」で落手した新訳(2003年)で読みました。
古典的名作ですし、「あらすじ」はネット上に星の数ほどあるので、ここでは省きます。
数多の研究者が発表した優れた研究が、これも「星の数」ほどあることも承知していますが、ここで何も書かないというわけにも行かないので、個人的な(あくまでも「個人的な」)感想をいくつか書いておきましょう。
・「性愛」の要素が希薄、と言うか「ほとんど無い」。主人公のヒースクリフとヒロインのキャサリンは、互いにセックスしたいと思っているように見えない。このことは作者のエミリーが結婚することなく、30歳で(おそらく性経験なく)死亡したことと関係しているのかもしれない。
・ストーリー展開は、不自然な箇所も多いが、すごくスリリングで面白い。
・情念の激しさが凄まじい。ヒースクリフとキャサリンは愛し合っていると同時に、憎み合っている。
・語りの構造は現代文学に通じるものがある。物語はすべてを知る「神」の視点で語られるのではない。冒頭第四章の半ばまでと終盤の数ヶ所は「鶫(ツグミ)の辻(←元リントン家の邸宅)」の賃借人ロックウッドの視点で語られ、それを除く大部分は「嵐が丘」および「鶫の辻」の家政婦ネリーがロックウッドに語った「証言」という形式である。ネリーの証言は出来事についても他者の発言についても詳細を究め、すべてが真実であるとは到底思えない。
・キャサリンの死の18年後、ヒースクリフが彼女の墓を掘り返す有名な場面は、ヒースクリフ自身がそのように言った(とネリーが言っている)だけで、本当であるか否かはわからない。
モームの『世界の十大小説』、私が読破したのはこれでようやく六冊目(読んだ順に書けば『赤と黒』『ゴリオ爺さん』『ボヴァリー夫人』『戦争と平和』『カラマーゾフの兄弟』『嵐が丘』)。残りの四冊も今年か、遅くても来年中には読みたいですね。
半日後の追記
上で「性愛の要素が希薄」と書きましたが、それもネリーの語り方の故と考えることもできそうです。つまり、ヒースクリフもキャサリンも「したくてしたくて堪らない」のですが、おそらく性経験のないネリーにはそれがわからない、あるいはわかっているが「はしたない」から言わない、という解釈です。