3月23日夜9時、Eテレにて『NHKバレエの饗宴2025』が放映された。
薄暗いリビングに一人立ち尽くして、煌々と光るテレビ画面を前に、直立不動で見入る。
ときどきはテレビににじり寄って、息をするのも忘れて見た。
もちろんあの日の感動を追体験したわけだけれど、同時にバレエはテレビには向かないこともひしひしと感じた。
言っても仕方ないのに何度も、引いて!引いて!と叫び、そんなに寄ったらジャンプの高さがわからないではないか、と苛立つ。
寄っている間に他を見逃しているのも不満だ。
それとも、多くの人が見たいのは結局のところ顔なの?
劇場で観たものをこうして再びテレビで見てみると、ほんとうにまあ、バレエという芸術形式の古臭さと奥ゆかしさ、それゆえのわかりにくさ、そして現代では万人受けしなくて当然だということがすごくよくわかった(最大級の褒め)。
誤解を恐れずに言うなら、劇場でのよく見えなさ、わかりにくさ、それらを各自の想像で埋める自由度こそが、バレエの舞台を見るおもしろさや楽しみでもある。
翻って私たちは普段から、よく見えること、はっきり感じ取れること、細部までわかること、没入できること、感覚受容器からあふれるくらいに刺激の入力があることに、慣らされ過ぎている。
それを担保してこそエンタメ、とか、それこそが対価、とか思ってそうで(作る方も享受する方も)、わからなくもないけどいやいやいや。
だからあんなふうな映像になるんだな。
そうしないと多くの視聴者に見てもらえない。
おもしろかったし確かに美しかったからいいのだけれど、あれはあの日の舞台ではなくて、加工して味付けした別の何かのような気もする。
観に行ったときの感想はこちら。
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