片付けや捨て活を意識的にするようになってから、小掃除がしやすくなった?気がする。

 

 

しないまでも(←しないの?)、見通しが立てやすくなったというか、短い時間でここだけなら掃除できそう、とか、次に片付けするならこの辺りに手を付けよう、とか、そういう感じ。

実際の部屋の見た目はともかく、頭の中がすっきりしてきたとは思う。

 

 

洗面所の引き出し、20分

 

 

洗面所の引き出し、片付けてもまだびっしり。
台所の引き出しからも出てきたけれど、ここからもお義母さんお手製のヘビイチゴの焼酎漬けが発掘された。
虫刺されに塗るといいよ、と結婚したての頃にもらったものだ。
 

 

ヘビイチゴ、20年物

 

 

少し時間が経ってみると、どうやら”捨て活”と称して何でもかんでも捨てて手放して、物量を減らすことで達成感や解放感を得たいわけではなさそう。

たしかに管理対象が少ない方が楽だけれど、たとえ多かったとしても、自分としては見通しさえ立てばいいらしい。

 

 

年明けとともに上階に新しい住人が越してきたことにより始まった騒音問題で、ともすれば家が嫌いになりそうなこの間、住まいや暮らしそれ自体が嫌いでないことを自分なりに確かめなければならない。

そう思って、家の中にあるはずの「快」を掘り出している。

 

 

天井からドスドス響く幼児の足音、ドンがらガシャンと騒々しい物音には疲弊する。

以前の住人、さらにはその前の住人も、お子さんがいてもほとんど音がしなかっただけに、新しい住人はいったいどうやって暮らしたらそんなにうるさくなるんだ、と不思議でならない。