大人が趣味か何かを続けていくときには、なんでそんな(理不尽な?)と思うような障壁が立ちはだかることがある。
好きだから、とか、楽しいから、とか、心身の健康のため、とか、自分なりに大事に真剣に打ち込む理由があったとしても、それがそのまま周囲を納得させる理由にはならない。
それならばと、ありとあらゆる策を練り、常にぎりぎりのラインで絶妙なバランスを探しながら、心意気だけは万難排して、と向かう。
やっていることそのものよりも、それと周囲との良好な関係を何年にもわたって取り続けることの方が、もしかしたら難しく、骨の折れる問題かもしれない。
やみくもにがんばればいいってものでもないし、そうなるとがんばり方もよくわからない。
引いたり諦めたり見送ったり、心で泣きつつそんな選択をしなければならない場面も多々ある。
宝箱のフタを(勝手に)開けられたんだね、と妹は言い、いいこと言うな、いつからこんなことを言えるようになったのかこの子は、と感心してしまった(妹はいつまでもどこか、小さい妹)。
誰かに相談するときはだいたい自分の中では結論が出ているものだ、というけれど、何年もかけてぐちゃぐちゃに絡まったその問題をどうしていいのかさっぱりわからず、ただ話しながら、てっきり発破かけらるか慰められるかのいずれかだろうと思っていたら、予想外に妹の理解と読みが深く、ああもうここまでわかってくれている人が一人でもいるのならもういいか。
笑える辛口コメントもたくさんもらって、たいそう気合いの入った楽しい会話だった。
めいっこが小さい声で、ママこわい、というのもわかる気がする(いい意味で)。
相当鍛えられる。