ビントレー氏が長年作りたいと思っていた作品が小泉八雲の『雪女』であると知り、驚く。

 

 

 

詳しい経緯はバレエチャンネルのビントレー氏インタビューにゆずるとして、新作が雪女と聞いて、改めて青空文庫で小泉八雲の『雪女』を読んだ。

 

 

登場人物は少なく、時間の経過はそこそこあれど、お話は短い。

これがどうやってバレエになるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公演間近になると、リハーサル動画などが公開され、作品が出来上がっていく様子にワクワクするとともに、見てはいけないものを盗み見ているような気持ちにもなる。

早く知りたいような、でもその日までは内緒にしておいてほしいような(もちろん全部見たけれど)。

 

 

幕が上がって数秒で、日本の伝承と八雲の怪談とクラシックバレエが見事に融合された世界に吸い込まれた。

雪女が、浮いてる。

浮いて、舞って、消えた。

 

 

極力装飾を廃し、シンプルでうっすら日本画的なぬめりのある舞台背景と美術に対して、その分、語る衣裳。

茂作と巳之吉の蓑がカサコソ音を立てる。

村人たちの色鮮やかで様々な模様の衣服は、裾を大胆に手繰った脚が美しくたくましく、日々の営みを感じさせる。

個人の別がわからない雪は自然現象そのもの。

 

 

巳之吉と出会い結婚したお雪は村人の中でひとり異質で、白く美しく、内側から発光しているようだ。

思いのほか実直にクラシックバレエの形式の中にいながら、八雲の『雪女』の物語を丁寧にたどっていく。

ビントレー氏の見せたい音楽とステップの連続に酔う。

たまらなく好きだ。

これは理屈じゃない。

それを体現できるダンサーの素晴らしさにも感動せずにはいられない。

 

 

作品ごとにテーマや伝えたいことはあるけれど、何をどう受け取るかは観客に委ねている、というビントレー氏の作品で、それでは『雪女』はどうなるのか。

おそらくは約束を破る巳之吉と、それを受けてのお雪の末路が刻一刻と近づいてくる。

 

 

その瞬間、全身が文字通り総毛立った。

足元からぞわぞわと止められない震えが走る。

あんな「鶴の恩返し」とプロジェクションマッピングの合体みたいな手法で来るとは思ってもみなかった。

 

 

怖い。

これは怪談だ。

 

 

そこからは怒涛の勢いでクライマックスへ突き進み、絶望にも思えたラスト、雪の降りしきる坂道の上で振り返った雪女にほんの一瞬、哀れみか優しさみたいなものを見かけた。

 

 

 

私の目に映ったバレエ『YUKI-ONNA』はこんなふうだ。

ストラヴィンスキーの音楽に全く違和感なく、むしろ音楽から想起させられる情景や温度の変化が豊かで、見える物以上の実感があった。

美しくて、怖くて、悲しくて、寒いのに少しだけ温かい。

 

 

Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things by Lafcadio Hearn
Yuki-Onna

 

 

カーテンコールで、踊り終えた安堵から多くのダンサーが笑顔だった中、雪女・お雪役の恭子さんは放心しているようで表情はない(メイクのせいかもしれない)。

 

袖から登場したビントレー氏と固く両手を取り合って言葉を交わしたとき、ようやく少し顔がほころんだように見えて、両手がちぎれんばかりの拍手にさらに力がこもった。