バレエを観ていると、例えば舞台からキラキラの粉が客席に向かってふりかかってくるような、そんな多幸感を得ることがある。

スタダンのくるみ割り人形のコーダもそのひとつで、ほぼ全てのキャストが舞台上にそろい、音楽の盛り上がりに合わせて所狭しと同じ振りを踊る時、追いかけてきた物語がいよいよ着地する。

 

 

▼ファイルしてある過去の公演プログラムを引っ張り出してきた

 

 

スタダンのくるみ割り人形は古典を踏襲しつつ独自のストーリーと解釈で、登場人物たちの生き生きとした姿が特に印象的だ。

常任振付家・鈴木稔さん演出振付のこの版は2012年初演で、私がはじめて観たのは2015年のこと。

それから何回か行けなかった年はあるものの、ほぼ毎年観ている。

ひとりで行ったり、バレエのお仲間さんと行ったり、母を誘ったり、めいっこを連れて行ったり、その年ごとに思い出がある。

 


▼これは2016年のプログラムと配役表。鈴木稔版5周年記念ポストカード付き。

 

 

今となっては初代キャストから代替わりをしたキャストがたくさんある。

一昨日の公演はたぶん、かつて観たそれを脳裏でなぞりながら観ていた。

 

 

入団して間もなく、このオリジナル色の強いくるみ割り人形は初出演という方も多い。

もちろん作品のことは知っているだろうし、かつて客として見たことがあるかもしれないし、リハーサルで踊り込んでいるのだから舞台ではまとめても来るけれど、何か物足りなさを感じた。

 

 

以前は見えたはずの身体のラインとか、そこからの余韻とか、空間に斜めの切り取り線がスパッと入るような切れ味鋭い動きと躍動感とか、登場人物同士のやり取り、踊り以外の役割、存在感。

いつもなら見えるはずのものが見えなかった。

 

 

バレエは本当に難しいなあ、と思いながら観ていた。

身体能力や踊りの技術だけでも大変なのに、ストーリー性のある作品となると、そこにさらに捉えどころのない何かが効いてくる。

ひとつの物語の中で、どんな存在としてそこにいて、みんなのそれが集結して物語が最終的にどう着地するのか。

何を見せてくれようとしているのか。

さらにそれが客席からはどんなふうに見えるのか。

 

 

こんなのは私が勝手に想像して言っていることなので、スイスイ読み飛ばしてもらって構わない。

ことあるごとに、昔はよかった、なんて口走ってしまう面倒くさい観客になりたいわけもなく。

見続けているのは、単純に好きだから。

また会いたいと思うから。

 

 

▼2012年初演時のリハーサル風景、私がスタダンに出会った頃の方たち。

 

 

 

時とともにその人自身も変わっていくし、何よりダンサーの現役生活は惜しいほどに短く、団の顔ぶれは移ろいゆく。

同じではない人たちで同じ作品をやっていく。

ずっと見ている分、寂しさが募ることもある。

 

 

一方、その時々で作品は新しい観客を獲得して行く。

隣席の方々は、あの3人連結の兵隊さんはどれが人間なのか、で盛り上がっていてたいそう楽しそうな幕間だった。

両端が人間?とか、いやいや足を見ればわかるでしょ!とか。

 

 

▼3人連結の兵隊さんは5分00秒あたりから。