※2020年8月20日のスポーツ伝説の内容をまとめました
<補足>
参考URL:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2017/08/11/vs_split/
2006年の夏の甲子園準々決勝「帝京高校vs智辯和歌山高校」の試合
乱打戦の末、智辯和歌山高校が勝利した。
帝京高校が4点ビハインドの9回に8点を挙げて逆転する。
しかし、その回の裏。
9回表の攻撃で帝京高校は、ベンチに投手がいないにもかかわらずピッチャーに代打を送っていた
(投手経験のある選手はいたが、この夏の大会では登板していない。
代打を送られたピッチャーはベイスターズでプレーした大田阿斗里投手。)
代わりに投手を務めた選手は、フォアボールでランナーを溜めてホームランを打たれて1点差、
その後、同点のランナーを残した状態でピッチャー交代。
マウンドを託されたのが当時1年生の杉谷拳士選手(現日本ハム)。
その試合では、ショートで出場していて、高校野球として投手の初登板が甲子園。
緊張する場面にもかかわらず、甲子園でのピッチングを楽しみにしていたそうだ。
しかし、バッターへの初球がデッドボールとなりピッチャー交代。
この時点で1塁ランナーはサヨナラのランナーとなった。
その後のピッチャーが打たれて、最後は押し出しサヨナラでゲームセット。
押し出しでサヨナラのホームを踏んだ選手を出塁させたのは、杉谷選手のデッドボールのため、
負け投手は杉谷選手となった。
という話である。