新大久保あっぱあっぱのブログ

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気付き、家族生活、東京散歩
などなどを日本語&韓国語で書きます。

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うちの娘と息子は

お互いの恋愛相談をするほど中が良い。

 

二人に硬い『絆』が出来上がったのは
同じ空間と時間を過ごしながら良い事も、悪い事も、
お互いの素直な思いをぶつかりあったからだと思う。

 

この絆を韓国語で訳すると『情』정となるが

しかし日本語の『絆』には別の読み方があり

その読み方で読むと全く別の意味となる。


『絆』を『きずな』で読むと

『人と人の結びつき』の意味になるが
『絆』を『ほだし』で読むと

『足かせ、首かせの束縛』の意味になる。

 

この絆が持つ二面性を一つの漢字で表した日本語に
思わず『なるほど』と声を上げずに居られなかった。

 

私の生活の軸はもちろん絆で結ばれた家族だ。

私が生きてきた証だし、自分が成し遂げた唯一の成果物だ。
しかしこの大切な家族が『絆ほだし』になる時も否めない。


だからだと言って
家族と言う『絆ほだし』から逃げようと

家族と言う『絆きずな』を捨てる考えはさらさらない。

 

もし意思の弱い自分にこの家族と言うホダシがなかったら

自分は落ちる所まで落ちたに違いない。。。

 

『絆きずな』がない処に『絆ほだし』もないし、
『絆ほだし』がない処に『絆きずな』もない!

 

そういう意味で結婚は人生の墓場だ。

 

 

 

34歳で初めて入った職場の人間関係は想像以上に辛かった。

 

アラフォーの独身女性の上司は

人の人格を完全に踏みにじるような

言葉をヒステリックに平気で言う人だった。

何回も殺意の衝動を感じたが耐えた。

 

水商売あがりの社長という人も

嘘は平気で言うし

言葉はゴロゴロ変える人だった。

 

何回も辞めたい気持ちになったが耐えた。

理由は目標があったからだった。

 

子供の安全な学校生活のために

この会社で永住権を取るまで耐えるつもりだった。

 

日本の永住権は来日10以上で

5年以上ビジネスビザを取って

5年間税金を納めた実績がないといけない

ルールがあるからだった。

 

そしてもう一つ耐えられたのは

会社に対する考えを直したからだった。

 

ある人は職人技術を学ぶために何年間無給で働く人もいるが

同じように社会に生きるために必要なビジネススキルを習うためには

自分がお金を払わないといけないのを

今の職場はお金を貰いながら習う事が出来る場所だと考え直した。

 

愛社心?

会社の人間関係?

会社やめると水の泡だ。

他人が自分の人生を責任取ってくれない。

 

職場とは自分がお金を頂きながら

ビジネススキルを学ぶ場所だと意味を付けると

今までの職場の人間関係の問題は

すべて自分が乗り越えるべき課題となったのだ。

 

新大久保には せマウル食堂(새마을)という食堂があります。

 

今の韓国の若者はせマウルに含まれる意味合いを分からない人の多いですが

 

私はせマウルと聞くと子供の時の朝の風景がよみがえります。


せマウルとは新しい村と言う意味ですが


せマウル運動と言うと韓国が経済発展のきっかけとなった

 

農村と都市の意識改革運動の事を指します。

 

韓国は1960年代まで経済的にアジアの最貧国でした。


貧困は精神的貧困を招き、絶対豊かにならないと思い込んで


豊かになろうとする意欲さえもありませんでした。

 

そこで軍事クーデターで政権を握った軍事政権が


官主導と押し進めたのが意識改革のせマウル運動でした。

 

その目玉の政策は


豊かになろうと行動をするマウルは


さらなる支援をして意欲を掻き立てる意識改革でした。

 

その時は毎日7時朝になると大きなスピーカーで大音量で


都市も農村もごろこんな音楽を流しました。

 

『夜明けの鐘がなった。新しい朝が開けた。皆起きてせマウルを作ろう。豊かな我らの村我らの力で作ろう』

새벽 종이 울렸네 새 아침이 밝았네 너도나도 일어나 새마을 만드세..살기좋은 내 마을 우리 힘으로 만드세

『豊かになろう。豊かになろう。我らも一度豊かになろう』

잘 살아보세 잘 살아보세 우리도 한번 잘 살아보세..

 

寝坊したくても起きるしかない音量で毎日流して国民を洗脳するように毎日聞かせました。


今なら考えられない政策でしたが軍事独裁政権だからこそ出来た政策だと思います。

 

貧困が当たり前で希望がないから毎日お酒と賭博で明け暮れた韓国の人々は

 

このせマウル運動で意識が代わり今は世界11位の経済大国になりました。

 

変わらない常識と固定観念程人を駄目にする事はないと自分も経験で分かっています。

 

『新しい酒は新しい革袋に盛れ』聖書のこの言葉も


人生も社会も新しいステージに行くには新しい袋(価値観)を持たないと


駄目だと言う事だと理解しています。

 

人生も色んなステージがあり、子供は日々成長して意識も変わるし、周りも絶えず変化しています。

 

自分らしくないと言って昔のままの自分の価値観を固執していると色々壁にぶつかると思います。

 

歳を取れば、人生のステージが変われば新しい革袋が必要だと思います。

 

もし貴方がここ10年、意識と行動がで変わっていないなら

 

これからの結果も変わらないと思います。