"明日なき暴走の果てに" アルフィー
"明日なき暴走の果てに"1980年 アルフィー
珍しい・・・邦楽側です。私はBeatlesに出会う前は普通に?邦楽を聞いていました。もちろんチビの頃はアニメなどの曲。小学生も4年頃以降と周りの友達環境もあったりするし、もちろん昭和としての音楽番組も盛んだったから耳には入っていました。
私が本格的に邦楽ポップス?ロック?を聞き歌い始めたのは・・・実は村下孝蔵さんであり、アルフィーであり、佐野元春であり、今や俳優なのかのデビュー直後の吉川晃司・・・あとは少しほど元オフコースとなっていた鈴木康博さんを聞いていた。
実は家庭内では「聞くものが大人すぎる」と突っ込みが多かった。それは村下孝蔵さんを聞いた私に思った発言でしょう。
それと当時は既にエレキバンド的になっていたアルフィーですが、私が聞いていたのは売れない時代のアコーステックのアルバムでありました。この辺りも変です。
これが収録されたカセットテープを擦り切れとはいわず、テープの頭が繋がっているところが切れても直して聴き入っていた。
なんか・・・当時も深いと小学生ながら思ったけど、今となっても当時と気持ちが変わらないところもありつつ、やはり大人となってもっと深くなってしまう。
ちなみにアルフィーの活躍は個々にも凄いけど、1980後半以降にてelectric的サウンドに新曲がいつもと同じように聞こえるようになってから飽きてしまった。だから今はまったく興味がない。申し訳ないです。ちなみに私のこの傾向ってB'zにも当てはまっています。好きな人すいません。
"月明かり" 村下孝蔵 (懐かしいラジオ番組より)
"月明かり" 村下孝蔵 RCCラジオ:サテライトNo.1 より 1988年3月放送
村下孝蔵さんを聞くきっかけってたぶんですが、中四国で放送された広島から番組「サテライトNo.1」からでないかと思います。私は10回は生放送を観覧しているくらいでした。今の広島市内のエディオンから(広島・紙屋町ダイイチ本店→デオデオ)からサテライトスタジオと言う名称で場所で毎週日曜日17時から公開生放送されたいました。
FBでも見かける柏村武昭氏がまだまだTVやラジオに出ていた時代(後に政界へですが成果はどうなですか?FBで繋がっていないので)。
私はこの番組の最終回は家で聞きました。何度も村下さんが出演されることは多く、時として実際に見ることもできました。
本当にこの人はギター大好き。本当にうまい。そしてそれを2回タダでみれたのも有りがたい。
この人のこんな曲が好きでした。ちょうど私もこの最終回はカセットテープで残していました。ですがデジタル化はしていません(捨ててなく大切にしてます)。カセットなので今は聞けないと思いきや・・・同放送の村下さん部分をUPしている人がいた!。物凄くびっくり。
嬉しい。
村下孝蔵さんを聞くきっかけってたぶんですが、中四国で放送された広島から番組「サテライトNo.1」からでないかと思います。私は10回は生放送を観覧しているくらいでした。今の広島市内のエディオンから(広島・紙屋町ダイイチ本店→デオデオ)からサテライトスタジオと言う名称で場所で毎週日曜日17時から公開生放送されたいました。
FBでも見かける柏村武昭氏がまだまだTVやラジオに出ていた時代(後に政界へですが成果はどうなですか?FBで繋がっていないので)。
私はこの番組の最終回は家で聞きました。何度も村下さんが出演されることは多く、時として実際に見ることもできました。
本当にこの人はギター大好き。本当にうまい。そしてそれを2回タダでみれたのも有りがたい。
この人のこんな曲が好きでした。ちょうど私もこの最終回はカセットテープで残していました。ですがデジタル化はしていません(捨ててなく大切にしてます)。カセットなので今は聞けないと思いきや・・・同放送の村下さん部分をUPしている人がいた!。物凄くびっくり。
嬉しい。
Burl Ives - "Mr. Froggie Went A-Courtin" バール・アイヴ
唐突にまったく知りないのです。すいません。そしてこの曲がいつの時代なのかもちょっと調べきれませんでした。
今朝、仕事に向かう車中一人で1995年放送のPaulMcCartney"OobuJobu"の14回目を聞いていたら偶然にて耳に入ったきました。それにしてもこんな時のPaulの一人アコギに圧倒されてます。
突然になぜ引っかかったか?。旧地上放送版のトムとジェリーを見る機会が増えてましたので、とあるストーリーで流れる曲に似てるな?と感じつつ仕事にに向かいました。
その話の回が「ひげも使いよう」です。
簡単にはこんな話。
ジェリーの叔父で、ギター弾きであるのアンクル・ペコスがジェリーの家に泊りに来たとのこと。ペコス叔父さんは、翌日に迫ったテレビ出演に備えジェリーに自慢の歌とギター演奏を披露するが、ギターの弦が切れてしまった。そこでペコスは代えの弦としてトムのひげを利用することに・・・。
話はこうしてペコス叔父さんとトムのドタバタとなり、トムは防戦一方、逃げ惑ってはペコスに捕まり、ひげを奪われてしまう。最終的には降伏し、ペコスにひげを自ら差し出す羽目というストーリーでオチはさらにあります。
そのペコス叔父さんの歌い弾く曲に何となく似ているなぁ~と思いつつ聞いていました。
そしてこの曲のタイトルを調べてみると。
バール・アイヴス(Burl Ives, 1909年6月14日 - 1995年4月14日)は、アメリカ合衆国の歌手でもあり俳優さんだったそう。それも長生きされたのですね。
更に動画等を調べていくと実はトムとジェリーのペコス叔父さんが演奏した曲は他のアーティストのことだと更にわかりました。
曲名は「Crambone」は原曲は「Froggie went a-courtin'」というタイトルの蛙がネズミの女の子に求婚するというストーリーを歌ったイギリスの伝統的なフォークソングで、多くのミュージシャンがカバーしています。
トムとジェリーでペコス叔父さんとして演奏したのは、Shug Fisher(ジョージクリントンフィッシャー,Jr)という人で、シンガーソングライター、コメディアン、俳優と多方面に渡り活躍されていたそうです。
Paulのカバーから"Mr. Froggie Went A-Courtin" バール・アイヴスからトムとジェリーに繋がりそしてShug Fisher(ジョージクリントンフィッシャー,Jr)「Crambone」と離れていった私って一体・・・。
今朝、仕事に向かう車中一人で1995年放送のPaulMcCartney"OobuJobu"の14回目を聞いていたら偶然にて耳に入ったきました。それにしてもこんな時のPaulの一人アコギに圧倒されてます。
突然になぜ引っかかったか?。旧地上放送版のトムとジェリーを見る機会が増えてましたので、とあるストーリーで流れる曲に似てるな?と感じつつ仕事にに向かいました。
その話の回が「ひげも使いよう」です。
簡単にはこんな話。
ジェリーの叔父で、ギター弾きであるのアンクル・ペコスがジェリーの家に泊りに来たとのこと。ペコス叔父さんは、翌日に迫ったテレビ出演に備えジェリーに自慢の歌とギター演奏を披露するが、ギターの弦が切れてしまった。そこでペコスは代えの弦としてトムのひげを利用することに・・・。
話はこうしてペコス叔父さんとトムのドタバタとなり、トムは防戦一方、逃げ惑ってはペコスに捕まり、ひげを奪われてしまう。最終的には降伏し、ペコスにひげを自ら差し出す羽目というストーリーでオチはさらにあります。
そのペコス叔父さんの歌い弾く曲に何となく似ているなぁ~と思いつつ聞いていました。
そしてこの曲のタイトルを調べてみると。
バール・アイヴス(Burl Ives, 1909年6月14日 - 1995年4月14日)は、アメリカ合衆国の歌手でもあり俳優さんだったそう。それも長生きされたのですね。
更に動画等を調べていくと実はトムとジェリーのペコス叔父さんが演奏した曲は他のアーティストのことだと更にわかりました。
曲名は「Crambone」は原曲は「Froggie went a-courtin'」というタイトルの蛙がネズミの女の子に求婚するというストーリーを歌ったイギリスの伝統的なフォークソングで、多くのミュージシャンがカバーしています。
トムとジェリーでペコス叔父さんとして演奏したのは、Shug Fisher(ジョージクリントンフィッシャー,Jr)という人で、シンガーソングライター、コメディアン、俳優と多方面に渡り活躍されていたそうです。
Paulのカバーから"Mr. Froggie Went A-Courtin" バール・アイヴスからトムとジェリーに繋がりそしてShug Fisher(ジョージクリントンフィッシャー,Jr)「Crambone」と離れていった私って一体・・・。
第一次世界大戦のPV
近現代史を考える私にとって歳と共にこの曲と、このプロモーションビデオで悲惨な時代があったことをここまでかというくらい教えてくれる、いやある意味近代史としての教科書といっさていいと思います。
Christmasまでには終わると思っていた第一次世界大戦が長く険しくなり大量殺戮が可能となった戦闘機器や、ここでも絵かがれる水溜りで苦しい塹壕戦(このときに初めて塹壕を掘るという戦闘方法がてきた)。
どれだけ当時兵士達が「まさかこんなに長くなるとは」と思ったに違いない表現は曲にあいまって二度とこんなことをしてはならないという曲のりテーマと対比されていることが本当に素晴らしいと思ってならない。
やっぱり平和への歴史教科書です。
凄いPVでの写真ですよね。同じ人なんですが。
このPVの意味は本当に今でも考えさせられる作品と思います。第一次世界大戦での片方のPaulなるドイツ兵と、Paulのりイギリス兵・・・近代戦争の始まりとして描かれていて、また当時はChristmasまでに対戦は終わると思った当時の戦争が4年もかかったことなど加味してPVを見ているとPaulまたはプロデューサーはメッセージを明確にしていたことが分かりますね。McCartneyYearsでのPaulコメントでは、軍服などは実際に戦った方に話を聞いたりしながらできる限り事実に近く作ったとのことです。もちろん塹壕の設定も第一次世界大戦からでした。反戦ですね!
7月末と8月スタート
ええっと・・・実は引越しがありましてブログ止まります。但し9月には復帰します。
例のブログ記事ネタはあるのですが時間もなく何もできないことすいません。
また9月頃復帰しますね。
ポール関係も今ままならない私でした!。
例のブログ記事ネタはあるのですが時間もなく何もできないことすいません。
また9月頃復帰しますね。
ポール関係も今ままならない私でした!。
近年のファンには元Beatlesという肩書はいらない!
2002年11月に来日したPaulMcCartney。当時さえも「元Beatles」として報道される。
確かに1989年~1990年までのWorldTourで初めて多くBeatlesナンバーを演奏した。避けていたことを払拭するように。そして1966年のBeatles来日以来の日本公演であった。
それは当時の若い人たちにしろBeatles世代にしろ感動ものと思う。だって初演奏満載だったから。
PaulMcCartneyバカとして思うこと。
1990年のツアー。そして1993年のツアー。どちらもBeatles満載でも当時のニューアルバムからはかならず演奏した。1993年以降はBeatles関係の仕事もあり、また愛妻Lindaさんの病気のことなどあらゆる面で世界的Tourはしなかった。
そして2001年何を感じたかPaul。もちろんNew Yorkで丁度旅客機に乗り離陸前に発生した、
アメリカ同時多発テロに遭遇、ツインタワーが崩壊していくのを見たと思う。これは誰だってリアルにみれば相当の衝撃があるとしか思えない。それは死んでいく人たちのことを思えばなおさら。当時日本でも夜11時前辺りから中継し始めたくらいの事件であった。
※ただしアメリカの謀略の噂も今だありですが。
それに触発されたPaulは救助した人たちや、警察官へ向けて、そして被害者に対してのチャリティーLiveをすることを決定してしまった。
もちろんこの事件の前にニューアルバムもリリース直前でもあった。
この人のLive復帰はここからスタートした言っても過言ではない。愛妻Lindaの死、Beatlesでの歴戦の友GeorgeHarrisonも亡くなりと動きがなかった頃でもあった。
そしてチャリティーは成功した。
それが彼にとってのメインアクトとしてのLive復活を駆り立てた。もちろんチャリティーによっての観客からの反応が本当にうれしかったのだと思う(この辺りは彼らしい前向きさ)。
2002年遂に9年ぶりの全米ツアーをスタートし、それが休みなくアメリカ、ヨーロッパ、南米へと極東はこないとしても世界的に3時間もかかるようなコンサートを11年間止まることなく続けてきた。2002年~2004年辺りまではやはり久し振りでもあるBeatlesナンバーは多かった。但し幾つかは過去一度も演奏をしたことなかったものもある。これだからPaul=Beatlesが来たと言われる原因でもあるかと。
11年間で結果今やセットリストは大きく変わった。Beatlesはもちろんだけど、それにはWingsの曲も増えた。更に新曲も入れてくる。また時として別名義のFiremamからも演奏することも。
ハッキリ言うと
「元WingsのPaulMcCartney」と言うべきでもあるし今回の来日公演の期待はそこにもある。
そしてBeatlesナンバーといえど、過去は自分が作った曲を演奏していた、だが今やJohnLennonのBeatlesナンバーや、Georgeの曲がウクレレだけで分からない演奏など・・・。
私達ファンからすればPaulMcCartneyという音楽家の50年間のすべてがこのLiveにあるわけで、Beatles時代、Wings時代、80年代のソロ時代、90年代のソロ時代、そして現在まで、それらを全て理解しながら来日公演と思ってならない。ただのノスタルジーでなく生きる伝説でもあり、生きる世界遺産でもある。でも彼は死ぬまで新しい音楽を作り続けるのは間違えないのは、もう27年以上見ていて確実に思っていること。
50年間批判されようが、文句を言われようが音楽を一度も止めなかったのはこのPaulMcCartneyただ一人です。
なぜって!Liveもアルバムも無しでも何かしら動きがあること。とにかく何かしないと気が済まないタダのRock少年を今も続けている人。本当に71歳なのか?。
こんな曲が聞ける日がくるとは1975年のビザ発給されなく来日断念から、1980年での大麻不法所持での国外退去でWingsが幻になった日本人。やっとWingsの名曲などが生で聞けるわけです。
そして日本にとっては1990年初ソロ来日にて最後に演奏されたアルバム「アビーロード」からのメドレーを近年演奏していなかった。それを聞くことがまた出来るこんな素晴らしいことはないと思う。
元Beatlesではない!
PaulMcCartneyというアーティストが来るのです。
確かに1989年~1990年までのWorldTourで初めて多くBeatlesナンバーを演奏した。避けていたことを払拭するように。そして1966年のBeatles来日以来の日本公演であった。
それは当時の若い人たちにしろBeatles世代にしろ感動ものと思う。だって初演奏満載だったから。
PaulMcCartneyバカとして思うこと。
1990年のツアー。そして1993年のツアー。どちらもBeatles満載でも当時のニューアルバムからはかならず演奏した。1993年以降はBeatles関係の仕事もあり、また愛妻Lindaさんの病気のことなどあらゆる面で世界的Tourはしなかった。
そして2001年何を感じたかPaul。もちろんNew Yorkで丁度旅客機に乗り離陸前に発生した、
アメリカ同時多発テロに遭遇、ツインタワーが崩壊していくのを見たと思う。これは誰だってリアルにみれば相当の衝撃があるとしか思えない。それは死んでいく人たちのことを思えばなおさら。当時日本でも夜11時前辺りから中継し始めたくらいの事件であった。
※ただしアメリカの謀略の噂も今だありですが。
それに触発されたPaulは救助した人たちや、警察官へ向けて、そして被害者に対してのチャリティーLiveをすることを決定してしまった。
もちろんこの事件の前にニューアルバムもリリース直前でもあった。
この人のLive復帰はここからスタートした言っても過言ではない。愛妻Lindaの死、Beatlesでの歴戦の友GeorgeHarrisonも亡くなりと動きがなかった頃でもあった。
そしてチャリティーは成功した。
それが彼にとってのメインアクトとしてのLive復活を駆り立てた。もちろんチャリティーによっての観客からの反応が本当にうれしかったのだと思う(この辺りは彼らしい前向きさ)。
2002年遂に9年ぶりの全米ツアーをスタートし、それが休みなくアメリカ、ヨーロッパ、南米へと極東はこないとしても世界的に3時間もかかるようなコンサートを11年間止まることなく続けてきた。2002年~2004年辺りまではやはり久し振りでもあるBeatlesナンバーは多かった。但し幾つかは過去一度も演奏をしたことなかったものもある。これだからPaul=Beatlesが来たと言われる原因でもあるかと。
11年間で結果今やセットリストは大きく変わった。Beatlesはもちろんだけど、それにはWingsの曲も増えた。更に新曲も入れてくる。また時として別名義のFiremamからも演奏することも。
ハッキリ言うと
「元WingsのPaulMcCartney」と言うべきでもあるし今回の来日公演の期待はそこにもある。
そしてBeatlesナンバーといえど、過去は自分が作った曲を演奏していた、だが今やJohnLennonのBeatlesナンバーや、Georgeの曲がウクレレだけで分からない演奏など・・・。
私達ファンからすればPaulMcCartneyという音楽家の50年間のすべてがこのLiveにあるわけで、Beatles時代、Wings時代、80年代のソロ時代、90年代のソロ時代、そして現在まで、それらを全て理解しながら来日公演と思ってならない。ただのノスタルジーでなく生きる伝説でもあり、生きる世界遺産でもある。でも彼は死ぬまで新しい音楽を作り続けるのは間違えないのは、もう27年以上見ていて確実に思っていること。
50年間批判されようが、文句を言われようが音楽を一度も止めなかったのはこのPaulMcCartneyただ一人です。
なぜって!Liveもアルバムも無しでも何かしら動きがあること。とにかく何かしないと気が済まないタダのRock少年を今も続けている人。本当に71歳なのか?。
こんな曲が聞ける日がくるとは1975年のビザ発給されなく来日断念から、1980年での大麻不法所持での国外退去でWingsが幻になった日本人。やっとWingsの名曲などが生で聞けるわけです。
そして日本にとっては1990年初ソロ来日にて最後に演奏されたアルバム「アビーロード」からのメドレーを近年演奏していなかった。それを聞くことがまた出来るこんな素晴らしいことはないと思う。
元Beatlesではない!
PaulMcCartneyというアーティストが来るのです。
困った。来日しちゃいますか?
大変お久しぶりです。
変な意味でなく家庭内でバタバタしていたので、書くのもおろそかでした。
そちら話でなくすいません(笑)
今年の5月辺りから嫌、裏では既に2月頃から噂と言うより、実際に交渉中であったと思われる超大物アーティストがついに11年ぶりに日本に来ることになりそうと。
それが先週の木曜日辺りからあらゆるところで本格的になってきた。
そして結果的に優先チケットの予約がスタート。但し今日段階で正式発表はされていません。
今まで1966年の来日からすれば、1980年の来日で国外退去。1990年のソロ初来日東京6公演、1993年東京福岡で計5公演。2002年で東京大阪で5公演・・・。1993年から2002年間は9年かかった。そして今回2013年となり11年掛かった。そして6回目の来日であり71歳として本当に極東にくるのはこれで最後と思われる。
さて!困った。どうしょう。2013年はRingoStarrも来たと思えばなんとも凄いことに。
この冬の為に予算どうにかしなくては。
変な意味でなく家庭内でバタバタしていたので、書くのもおろそかでした。
そちら話でなくすいません(笑)
今年の5月辺りから嫌、裏では既に2月頃から噂と言うより、実際に交渉中であったと思われる超大物アーティストがついに11年ぶりに日本に来ることになりそうと。
それが先週の木曜日辺りからあらゆるところで本格的になってきた。
そして結果的に優先チケットの予約がスタート。但し今日段階で正式発表はされていません。
今まで1966年の来日からすれば、1980年の来日で国外退去。1990年のソロ初来日東京6公演、1993年東京福岡で計5公演。2002年で東京大阪で5公演・・・。1993年から2002年間は9年かかった。そして今回2013年となり11年掛かった。そして6回目の来日であり71歳として本当に極東にくるのはこれで最後と思われる。
さて!困った。どうしょう。2013年はRingoStarrも来たと思えばなんとも凄いことに。
この冬の為に予算どうにかしなくては。
樺太1945年夏 氷雪の門」1973年
以前、1945年ヤルタ会談での米ソの対日参戦密約について日本政府又は軍部の認識を書きました。
8月9日、長崎に原爆が投下される前にの早朝に旧満州や北方へとソビエトがなだれ込んだ。
トルーマンはとしては既にスターリン率いるソ連に頼る必要はなかった・・・。日本対応遅すぎた。そして降伏したと言わない終戦の日である8月15日正午までは本土空襲も行われたし、更に満州、北方の樺太でも戦闘は行われていた。
それらを映画とした作品が1973年に作られています。
タイトルは「樺太1945年夏 氷雪の門」。
1945年8月15日に玉音放送後にの樺太を舞台として、ソ連軍が迫る中、最後まで電話交換手業務を続けた真岡郵便電信局の電話交換手であった9人の乙女の悲劇を中心に、ソ連による南樺太侵略の史実を描いたもです。昨年にて見ました。
私はこれを見て日本本土でない島で降伏してからも戦場があったこと・・・本当に驚きました。
終戦記念日とは一体何なのか?忘れられた戦争の犠牲者が15日以降も居たことは忘れてはならない。
※尚、映画「樺太1945年夏 氷雪の門」1973年に製作されましたが、旧ソ連からの干渉によりお蔵入りとなった。一部では上映されたようだが2010年まで公開されることが無かったそうです。それにしても今もロシア領土について問題あるし、旧ソ連の体質とどう違うのか政治的に考えさせられる現代です。
北方領土での終戦時の話15日段階でで旧ソ連と交戦して亡くなった方々の話・・・本当の終戦とは?。
8月9日、長崎に原爆が投下される前にの早朝に旧満州や北方へとソビエトがなだれ込んだ。
トルーマンはとしては既にスターリン率いるソ連に頼る必要はなかった・・・。日本対応遅すぎた。そして降伏したと言わない終戦の日である8月15日正午までは本土空襲も行われたし、更に満州、北方の樺太でも戦闘は行われていた。
それらを映画とした作品が1973年に作られています。
タイトルは「樺太1945年夏 氷雪の門」。
1945年8月15日に玉音放送後にの樺太を舞台として、ソ連軍が迫る中、最後まで電話交換手業務を続けた真岡郵便電信局の電話交換手であった9人の乙女の悲劇を中心に、ソ連による南樺太侵略の史実を描いたもです。昨年にて見ました。
私はこれを見て日本本土でない島で降伏してからも戦場があったこと・・・本当に驚きました。
終戦記念日とは一体何なのか?忘れられた戦争の犠牲者が15日以降も居たことは忘れてはならない。
※尚、映画「樺太1945年夏 氷雪の門」1973年に製作されましたが、旧ソ連からの干渉によりお蔵入りとなった。一部では上映されたようだが2010年まで公開されることが無かったそうです。それにしても今もロシア領土について問題あるし、旧ソ連の体質とどう違うのか政治的に考えさせられる現代です。
北方領土での終戦時の話15日段階でで旧ソ連と交戦して亡くなった方々の話・・・本当の終戦とは?。
Big Boys Bicering
参議院選挙かぁ~選挙権をもって早十数年。かならず行きますが…まいど困る。
結果的には数の論理なので。
本音を言うと今までに納得できなかった昨年の衆議院選挙では行ったのはいいけど全て「ダメ」と書き無効票となっております。
選挙には絶対に行きますが、こんなことをしたのは始めててでした。でも選べない日本国民としても。
今回はどうするかまた考えますが、私は維新なる維新にならないところは確実にアウト。
そして被爆2世として原発を進める党の人も。後の党は今のことしか言わず、数十年後のことを一切言わない党・・・。どうやって選べって?
この曲の通りです。「ファック」でしょう。
ちなみにこの曲を作ったのは東京滞在中であったこと。当時の日本政治も酷かったし理解していたのか?
結果的には数の論理なので。
本音を言うと今までに納得できなかった昨年の衆議院選挙では行ったのはいいけど全て「ダメ」と書き無効票となっております。
選挙には絶対に行きますが、こんなことをしたのは始めててでした。でも選べない日本国民としても。
今回はどうするかまた考えますが、私は維新なる維新にならないところは確実にアウト。
そして被爆2世として原発を進める党の人も。後の党は今のことしか言わず、数十年後のことを一切言わない党・・・。どうやって選べって?
この曲の通りです。「ファック」でしょう。
ちなみにこの曲を作ったのは東京滞在中であったこと。当時の日本政治も酷かったし理解していたのか?
懐かしのPDC
アナログHPの画像を撮っておいたのにどこに保存したか忘れました。
それよりも当時はまるで3G=第三世代みたいにいいましたが、実際は2.5GであるPDCでなくcdma規格の登場の1998年、最初はアナログとcdmaのディアルバンドでスタートした。
これ分かる人にしか分からない内容ですいません。
物の整理をしていると唐突に発見されたcdamOneの移動機。これも三重県でやったもの。既にリセットしていてデータが残ってなく忘れていますが、この移動機、いつしか公開したC102Kのストレートタイプをフリップタイプにしただけのもので、基本的にソフトは共通なんです。一つ違ったのが、当時IDO通信がサービスしていた着信音のDLサービスに対応し、また懐かしいですが自作のメロディーをショートメールで送信できるという、まず自作が懐かしすぎる一品でした。但しセルラー地域では着信音のDLには対応していなかった。
この移動機で一番苦労したのが、そのDLする着信音なんです。まずデータ受信量が少ないSMSで受けるところ、長い曲には一通のSMSでは無理でした。よってSMSを3分割で受信をして3件目を受信したところでソフトが統合して一曲がDLし再生できるといった。今ではまったく考えられない仕様でした。これらを評価していて統合できなかったり、その間に着信あったりやらも考えながら、それらにもバグは多かったものでした。
消さずにデータ残しておけばよかった。そうしたら2000年頃に流行った邦楽の曲が聞けたのですけど残念。


やたらめっらたある私って・・・もう使えない移動機ばかり幾ら開発評価業務といえよくも残ってましたわ!

それよりも当時はまるで3G=第三世代みたいにいいましたが、実際は2.5GであるPDCでなくcdma規格の登場の1998年、最初はアナログとcdmaのディアルバンドでスタートした。
これ分かる人にしか分からない内容ですいません。
物の整理をしていると唐突に発見されたcdamOneの移動機。これも三重県でやったもの。既にリセットしていてデータが残ってなく忘れていますが、この移動機、いつしか公開したC102Kのストレートタイプをフリップタイプにしただけのもので、基本的にソフトは共通なんです。一つ違ったのが、当時IDO通信がサービスしていた着信音のDLサービスに対応し、また懐かしいですが自作のメロディーをショートメールで送信できるという、まず自作が懐かしすぎる一品でした。但しセルラー地域では着信音のDLには対応していなかった。
この移動機で一番苦労したのが、そのDLする着信音なんです。まずデータ受信量が少ないSMSで受けるところ、長い曲には一通のSMSでは無理でした。よってSMSを3分割で受信をして3件目を受信したところでソフトが統合して一曲がDLし再生できるといった。今ではまったく考えられない仕様でした。これらを評価していて統合できなかったり、その間に着信あったりやらも考えながら、それらにもバグは多かったものでした。
消さずにデータ残しておけばよかった。そうしたら2000年頃に流行った邦楽の曲が聞けたのですけど残念。


やたらめっらたある私って・・・もう使えない移動機ばかり幾ら開発評価業務といえよくも残ってましたわ!
