部屋に入るときに「あれっ、何しに来たんだっけ?」と思うことがあります。若い頃はまあそんなこともあるさ、と思うものの、現在65歳の私は、これは老化なんだなあとおもってしまいます。
歳をとるにつれ、こうした物忘れが増えるのは珍しいことではないですね。50代からこういうことが良く出てきましたから。しかし2026年9月、学術誌「パースペクティブズ・オン・サイコロジカル・サイエンス」に発表された最新の研究論文によれば、そこには私たちが見落としている生物学的な要因があるそうです。
同論文を発表した米アリゾナ大学の研究チームは、加齢に伴う脳の変化は決して衰退の兆候ではなく、大局的な視点や感情の統制力を強化し、さらに次世代への知識の継承という新たな役割を担う「発達の新たな段階」だと主張します。
論文の共著者で人間の認知や神経系を研究するファビアン=ホセ・フェルナンデスは、「歳を重ねた脳は、若い脳とは根本的に異なる目標を持つようになる」と述べています。彼によれば、老いていく脳を「若い脳が衰えつつあるもの」と捉えるのは間違いであり、むしろ「大局の把握を最優先するように特化・適応した脳」と見るべきなのだと言います。
う~ん、ポジティブな見解ですが、これは科学的に正しいのでしょうか?
加齢による変化は「脳の新たな発達段階」
フェルナンデスらの研究チームによれば、高齢者の脳は海馬への依存度が下がると言います。海馬は、名前や場所といった日常の細かい情報や空間認知、新しい記憶の形成・想起を担う場所です。高齢者が記憶力を必要とする課題に直面した際、脳内では海馬の代わりに高度な思考や情報の統合を司る前頭皮質がより活発に動きます。
こうした変化はこれまで、前頭皮質が衰えゆく海馬の能力を補填しているのだと考えられてきたが、フェルナンデスは新たな見解を示します。彼は人生の後半においては、新しく見聞きすることのすべてを暗記するより、「知恵」こそが必要になると考えました。
「だからこそ高齢者の脳内では、本質的でない細かな情報を削ぎ落とし、問題の核心へと一気にたどり着く能力が優先されるのです」と彼は説明しています。
他の研究でも、健やかな加齢は脳の新たな発達段階であり、能力の衰えだけでなく独自の強みを獲得していることが判明しています。
たとえば、子供の脳は語学の習得能力は並外れているが、大人に比べると感情や衝動のコントロールに難を抱えることが多いですよね。同様に70~80代といった高齢期においては、細かな数字や出来事の暗記より、物事の全体像を把握することが得意になります。
南カリフォルニア大学の老年学・神経科学教授ダニエル・ネイションは、「記憶力の変化は、人生の後半戦においてはむしろプラスかもしれない」と話しています。
「私たちは認知力の衰えをネガティブにとらえていますが、高齢者はそこから何らかの恩恵を得ている可能性があります」
彼はその例として、「おばあさん仮説」をたてました。これは、子孫を残せない年齢に達した後もなぜ女性が長生きするのかを、進化生物学的に考察した理論です。おばあさん仮説はその理由を、高齢女性はコミュニティの子供の世話や若い世代への知恵の継承といった新たな役割を担うからだと説明しています。近頃、老いた人をなんだか社会の邪魔者みたいなことをいうSNSで暴言を吐く人もいらっしゃいますが、引退後の人々にはこういう役割を果たすということです。
老化には「恩恵」もある
ミシガン大学の心理学・神経科学教授パトリシア・ロイター=ローレンツは、フェルナンデスらの論文を「非常に刺激的で、思考を促される内容だ」と評価します。
ロイター=ローレンツもまた、これまでは高齢者が海馬の機能低下を補うために前頭皮質を使っているという「補填説」を支持してきました。だがその一方で、彼女は老化がもたらすポジティブな面にも関心を寄せており、現在は人生の後半にさしかかった人間の感情を研究しているということです。
高齢者は若者に比べてよりポジティブな側面に着目し、それを強く記憶に留める傾向があることがすでにわかっており、彼女はそのメカニズムを解明しようとしています。
ただしロイター=ローレンツとフェルナンデスの双方が、脳の加齢による変化を単なる衰退ではなく「適応の段階」として捉える視点については、今後さらなる検証が必要であるという見解を示しています。
「健やかな脳」を保つためにできること
老化は「人生の新しい段階への適応」なのか、それとも「衰退の補填」なのか──いずれにせよ、より豊かに歳を重ねるためにできることは存在します。
フェルナンデスによれば、生涯学習、複雑な頭脳労働、活発な社会活動を続けている高齢者ほど、脳の柔軟性を維持できる傾向にあると言います。こうした習慣によって脳の健康を保っていれば、たとえ海馬が縮小しても、複雑なタスクを支障なくこなし続けることができると主張します。
ロイター=ローレンツもまた、日々のライフスタイルが極めて重要であると述べています。
「脳の健康のためには適度な運動、質のよい食事、充分な睡眠が欠かせません。さらに良好な人間関係を築き、知的な刺激を受け続けることも大切です」
さらに彼女は、加齢に対してポジティブなイメージを持つこともよいエイジングにつながるため、研究者は老化のプラス面に光を当てるべきだと強調します。
「歳を重ねるにつれ、愛おしむべき宝物が見つかります。それは老いを迎えて初めて手に入れられるものでもあるのです」
老化が体力的な後退ではなく、むしろ進化しているところにもスポットを当てる研究が必要なのですね。